かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 432(韓国)

2019-12-10 18:56:27 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の外国詠59(2013年12月実施)
   【発光 武寧王陵にて】『南島』(1991年刊)P90~
    参加者:K・I、崎尾廣子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:崎尾 廣子   司会とまとめ:鹿取 未放


432 物部連(もののべのむらじ)ら海を越えゆきて百済の黄金いかにか見けむ

     (レポート)
 日本古代史年表(吉川弘文館編集)によると西暦515年乙未(きのとひつじ)物部連らが率いる倭国軍、帯沙江で伴跛國軍に敗れ汶慕羅に逃れる、とある。この年代は武寧王が在位している。この史実を踏まえての歌なのであろうか。「物部連ら」が百済の黄金を見たときの心の動きは歴史には記されていない。自身が見た韓国の古墳のきらびやかな出土品を身につけていた王、王妃らを見た物部連らの驚きを尋ねているようである。(崎尾)


     (当日発言)
★日本はこの当時金は出なかったんじゃない。だから驚いた。(曽我)    


         (追記)
 「日本書紀」の継体天皇の条などによると、物部連らは百済に派遣され、百済の使者に労をねぎらわれたり、贈答品を交換したりした記事が出ているが、在位中であっても武寧王や王妃には会っていないだろう。謁見があれば「日本書紀」に記述があるはずである。黄金の一端をかいま見た物部連らは百済という国の力にやはり圧倒され、自国の後進性を自覚したことであろう。「いかにか見けむ」と疑問の係り結びにして、どのように見たんだろうか?賛嘆すると同時に自国の非力を苦く認識したことだろうなあ、と彼らの心中を推察している。それは当然、武寧王の遺品を目の当たりにした作者の心の反映でもあろう。(鹿取)

 


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