2020年の出来事

どこでウイルス禍を経験したか 今後の人生に大きく関わる予感

 駐夫です。

 早いもので、6月下旬を迎え、夏至を過ぎた。日の長さで言えば、これからは冬に向かっていくことになる。

 

 昨年の夏至は、タイムズスクエアで例年行われるヨガイベントに参加し、世界のど真ん中で寝そべって、悦に入ってたわけで、あまりの違いに当惑してしまうぐらいだ。

 

 今回のウイルス禍をどこで迎えたか。日本国内のどこか、世界のどこか・・。これは、今後のそれぞれの人生に大きく関わり、影響を与えるのではないかと考えている。

 戦争、自然災害、局地的紛争、テロ、事件、事故などは、起こる地域は限定的だ。ところが、今回の(名前を言うのも忌々しい)は、世界のどこにいても無関係ではいられないものだった。

 つまり、発生地周辺の住民、発生地周辺に家族や親族、大切な人がいる人々を除いては、言ってしまえば「他人事」だったことと比べて、誰しも「自分事」として捉えなければいけなかった。

 ひとりひとりが、恐ろしい事態をどう受け止め、どう考え、どう対処したか。人、それぞれが問われた。

 いくら「被害に遭った人々、被災した人々らに思いを寄せる、常に考えている」と思ってみても、自分の周辺ではそうした深刻な状況にはないため、100%寄り添うというのは、なかなか難しかったのが、自然災害しかり、テロしかりだったのではないだろうか。

 今回の見えない敵は、全世界を襲い、狼狽させ、不安にさせた。

 そして、各国のリーダー、各自治体のリーダーの力が如実に、露骨なまでに表面化してしまった。同時に、そうした時に見せる住民、市民の対応力、行動様式なども問われた。その国、地域の特性などもくっきり表れた。

 筆者のニュージャージー州で言えば、隣接のニューヨーク州知事が華々しく、連日記者会見に臨み、効果的なパワポ、数字に基づいた解説、気の利いたフレーズを盛り込み、住民に訴えていた。

 初期対応の遅れに批判こそあれど、多くの州民は説明に納得し、安心しながら、節度のある行動を取っていたのではないだろうか。 

 一方、わが州知事の発信力はイマイチで、生活情報を手に入れるのに、いろいろ苦労した。地元ローカルメディア、地元自治体が発する情報にはできる限り目を通したが、全米に情報発信されていたクオモNY州知事の存在が何かと眩しかった。

 ウイルス禍が進行中の最中、黒人殺害事件が起き、抗議デモ、略奪、反人種差別運動が広がった。マンハッタンで略奪が起きるなんて、思いもしなかったし、今回の事件がなければ、米国歴史上の人種差別の変遷などを調べることもなかったはず。

 英国民は、現職首相が生死をさまようという経験をした。

 台湾は、徹底した対策を施した結果、封じ込めに成功した。

 ブラジルは、リーダーの対策が激しく批判されている。

 スウェーデンは、集団免疫という独自の取り組みに直面した。

 日本国内でも、都道府県知事の方針次第で、対策の成果、抑え込みに成功したところもあれば、そうではなかったところもあるだろう。

 暮らしている場所で、何を見て、何を感じたか。何を経験して、何を経験しなかったか。母国などに退避しようと思ったか、思わなかったか。

 それぞれが価値観に基づく行動を取ったことに、無論、正解も不正解もないし、まだ、何が正解で、何が正解でないかも誰も分からない。

 ただ、言えるのは、まさしく、それぞれの考え方に沿いながら行動し、自らを守ろうとしたということ。そして、この間の出来事は、少なからず人々の価値観、生き方、ライフスタイルを変えてしまったということ。さらに、今後の人生に、それらが大きく反映されるのではないかということ。

 

 そう考えると、今も続いているし、この先どこまで続くか分からないが、とんでもないことが起きてしまったという風に思わざるを得ない。

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