そこのお前の外資系勤務と与太話ブログ

凡人が行く外資系企業勤務やキャリアの与太話や裏話。緩いのと辛いのまぜまぜ。人見知りやビビりだって人生案外イケるじゃんって思ってもらうための与太話。毎週月曜・水曜・土曜日更新予定

長時間労働は周りの雰囲気に支配されて発生するんじゃなかろうかという話 (一人だけでは残業がやりにくい話)

こんちわ~

 

昨今、残業や長時間労働に関する分析や本が脚光を浴び、働き方改革等の観点から様々な説が出るようになりました。


 

正直、欧州にいても日本の長時間労働についてよく質問されます。笑

 

長時間労働の弊害やその分析などは昔から存在したのもの、ここまで注目されるのはなかったんじゃないでしょうか。

 

いろいろな説が出ているので何が正しいのか正直わかりませんが、どうやら、長時間労働はいろいろな要因が絡み合って発生します。

お金と同じで長時間労働のあるところには長時間労働が寄ってきて、相互に刺激しあい、労働強度を上げていきます。

 

この上昇はある程度の領域で限界を迎え、強度の上昇が止まるケースもありますが、かなり多くのケースではゴールなき過酷なサバイバルレースになり、最終的に破たんします。

特に、集団や組織の場合は人を少しずつ変えながらその強度が上がり続ける作用が働き続けます。

 

正直、この労働強度ですが、耐えきれる負荷には個人差(当然年齢による差も)がありますし、業務の熟練度や慣れの多少や生活基礎によっても同じ強度で個人が受ける負荷やストレス蓄積度合も変わるので単純に時間数や業務単体で測れるものではありません。

 

そういうそこのお前も自分の限界を試すという意味合いも込めて、どこまで強度を上げられるのか試してみたことがあります。

急激に上げると崩壊する可能性が高いと思ったので2年ぐらいかけてじっくり上げていきました。

 

そして、最後には残業時間換算で月間160時間以上の月をピークに連続12か月合計で1300時間を超える時間外労働まで伸びました。

 

結果、一般的な過労死ラインの2倍の残業時間になることがあったり、時間数の観点からはもれなくギンギンのブラックゾーンです。

 

幸い、心身ともに健康ゾーンを保ったままでこの時期を抜け出すことができはしましたが、もう一回やりたいかと問われると手は上がりません。

(※これ、そこのお前の企業が全員そうなわけではありません!、そこのお前が例外です。)

 

正直な話、残業時間で月100時間を超えたあたりから仕事から頭を離すことができなくなっていたため、残業として労働時間にカウントしている以外にも頭はほとんどフル稼働だった気がします。

(※そういう人、一定数いると思います。例に漏れず、働いている時間でなくとも頭が独占されることが慢性化していました。)

 

たまたま、大火事になりそうな仕事がいくつか連続してそこのお前の近くに発生し、巡り巡ってそこのお前の足元にころがってきたため、全力で掴みに行った結果です。

この過程で、崖っぷちや修羅場というものを経験しながら業務時間当たりのプレッシャーや業務の烈度・ストレスレベルも徐々に上がっていきました。

 

正直、今までの人生で一番きつかった時期は高校野球のトレーニング漬けの日々と思っていましたが、それを超えました。

とはいえ、若い時の苦労は買ってでもしろという格言もあるように、おそらくここがキャリアの中での踏ん張りどころの一つだったとは思います。

 

2度目はもう結構ですが、この試み、あんまり人に大っぴらに言えるものではありませんが、やってよかったなと思います。

 

自分の限界を自覚したのと、どういうことが起こりうるかを身をもって経験したことで、思考停止的に冒頭の調査を信じ込むのではなく、ある程度の実感をもちながら受け入れることができるようになりました。

 

また、これから人に話をして、理解してもらうという意味では大きなアドバンテージになったかと思います。

 

あくまでn数=1のそこのお前オンリーの事例ですが、その結果と感じたことをまとめて書きますと

結果 

・通常の労働時間や小刻みな時間活用では決してカバーできない質と量の成果がうまれ、爆発的な結果を生んだ

・睡眠時間が徐々に減少し、それに伴って人の話を処理する力(理解力)が落ちた。

ケアレスミスの数は増えた。

・時間が伸びれば伸びるほど、興奮していく状態になり、ゾーンに入ったような感覚になった。(※大部分は本当に入っていたわけではない。) 

考察と感じたこと

・労働時間の多寡よりも睡眠時間と睡眠の質が低下することが致命的。

・業務に対して熱意を持ち、興奮すればするほど、負荷がかかっていることを忘れることができるが、負荷を適切に消化しているわけではない。

・自覚しないストレスに対する反応なのか、酒量が上がったり、食べ物の好みが変わり、生活基礎が乱れやすくなる。

・これ以上続いた場合、パフォーマンス低下が慢性化し、損害の方が大きくなっていた可能性が高い。

 

ざっとこんな感じです。

ただ、世の中には短い睡眠時間でも比較的影響がないという人がいたり、思考体力が圧倒的に高い人もおり、上記の時間や強度の労働をしても影響が少ない人もいます。

そこのお前の場合は巷でバズっているところの睡眠負債が結構レッドゾーンの深いところまで達してしまった時が最も悪い状態でした。(最後に駆け抜ける直前。)

 

ぶっちゃけた話、大手弁護士事務所や外資系コンサル等で1日15時間とか常時働き続けている人を見ると本当に別次元の人に見えます。

 

そういった方々は大学(または大学院)やロースクールに通って研究や勉強でそういった長時間の作業に慣れているからなのかもしれませんが、どのようにしてその領域にたどり着いたのか非常に興味があります。

 

上記の実感はあくまで個人の一例であり、そこのお前は上記の例外的なグループには属さず、あくまでおよそ一般的な凡人の領域を出ない中での実感です。

もう、これ以上は。。。というところで、何とか区切りがつき、幸運にも欧州勤務に切り替わって急激に環境が変わったのですが、ここからが本題です。

 

欧州勤務になってから変わった残業力

 

 

欧州勤務に変わり、周りが絶対に定時で帰るような人たちになったとたん、なぜかそこのお前も急に長時間労働ができなくなりました。

仕事自体は新しいことに満ち溢れ、やりがいもある楽しい状況だったのですが、どうしてでしょう。

いまいち釈然としないまま、自分の意志とは無関係に脳が働かなくなるようになってきました。

 

そこで、実感として初めて、残業は周囲との相互作用で伝播され、環境が作り出す部分が思った以上に大きいことを理解しました。

 

一人だけでは案外長時間労働のモチベーションを保持しきれず、無意識に周りと足並みを合わせる作用が出るのか、みんな帰ると脳が「もういいじゃん」っていうシグナルを露骨に出すようになりました。

 

もちろん日本にいた時のように、今やらなきゃヤバい!っていう仕事が減ったという理由もありますし、日本では残業代が発生する範囲では何としても昼間と同じ出力以上でやろうとしていたのが、欧州の残業代なし体系になってからはその縛りが取れて気持ちいい範囲だけでやるように変わったのもあるかもしれません。

 

ただ、それにしても自分でコントロールしていたと思っていた労働時間や労働強度が実は環境によって支配されていたということを実感した時に、この長時間労働の解消の難しさと人間の習性の一部を理解しました。

 

定時に帰るといっても、やりたい仕事がある時は家に帰ってご飯を食べてから仕事を再開して集中したりもしますので、必ずしも一人で仕事ができないということではありませんが、日本にいた時のような最後の一滴まで体力を振り絞りながらやろうとするようなストイックさはなくなり、マイペースにやるようになりました。

 

この違いをきちんと解き明かすにはもう一回日本で働いてみないと何とも言えませんが、少なくともこの今の感じを忘れずにきちんと比較できるようにしておきたいと思います。

 

ちなみに、

そこのお前は長時間労働は絶対反対派ではありませんが、礼賛しているわけではないのです。

欧米の絶対定時で帰る文化もいいですが、実際問題、個人の適切な睡眠時間及び生活リズムを基礎に、頭のパフォーマンスを保てる範囲において活動する場合のみ問題ないと思っています。

 

それに、頭脳や体を使うのが仕事だけだと思ったら大間違いで、自分の趣味に生きていても、自分の生活を保つ諸雑務にも体力や頭は使います。

そういった生きている上でのトータルの自分自身の使用可能なパワーをどこに割り振るかの問題なので、それも含めて労働時間をコントロールできていればいいと思います。

 

当然会社として気にするリスクはコンプライアンス上の条件が入ってくるのですが、その制約条件を加えることは個人的には疑問があります。

 

誰にも負けることのないスタミナだって社会で生きていくための立派な武器になると思いますし、それが高いレベルの出力で実現可能ならば、それを最大限生かした戦い方があっていいと思うのです。

 

一部の化け物レベルのスタミナを持つ方々に全体の基準を合わせる必要はありませんが、社会人1年目よりももっと経験を積んだ10年、20年戦う人の方がスタミナは当然ありますし、逆にベテランになってくるとだんだんそのスタミナも落ちてきます。また、トレーニングや仕事術次第によっては個人の持つスタミナをより最大化させることもできます。

 

そういった個人差があるので、一律の数字を当てはめるよりも各々が自分自身に責任をもってケアできるような状況・状態・文化を作ることが重要だと思います。

 

独身で若ければ仕事に全振りするもよし、家庭があれば、ある程度は家庭に割くことを織り込みながら限界労働強度を決めればよし、趣味や会社以外のところで何かエネルギーを使いたいのであればそれとのバランスを追求するなど、仕事だけでなく自分の24時間トータルで見た時に最も健全に人生が構築できるように頭脳・体力のパフォーマンスや出力・スタミナを上げていく意識のもとに可能な範囲を広げていけばいいだけなんじゃなかろうかと。

 

これを一般化するには多くの現実的障壁が待ち受けているので、あくまで夢を見ている段階ですが、それを制度による縛りにするよりは個人個人が責任をもって決め、その通り行動に移すことに抵抗がないような状態になっていったらいいなぁと夢を見ています。

 

それに少なくとも、そこのお前個人はもっとスタミナをつけ、実力をつけて効率・時間ともに最大化できるように鍛錬を積み、日々を送っていきたいなと思います。

 

次は労働強度の上げ方、スタミナのついていく過程について自らの崖っぷち人体実験をもとにした内容を書いていきます。

 


 

 

ではでは

またね~