そこのお前の外資系勤務と与太話ブログ

凡人が行く外資系企業勤務やキャリアの与太話や裏話。緩いのと辛いのまぜまぜ。人見知りやビビりだって人生案外イケるじゃんって思ってもらうための与太話。毎週月曜・水曜・土曜日更新予定

新人は「会社に居場所がない。」と感じやすい話

「居場所がある感」は案外人を支配する。 

居場所。

 

案外定義が難しいし、人によっても感じ方が違う。

 

自分が自分らしくいられるところ

と表現する場合もあれば

自分がいることで成立するところ

と表現する場合もある。

または

危険がない安心・安全なところ

であることもあれば

自分自身が生きていることを確認できるところ

と考える人もいる。

 

とにかく居場所があると感じることができるかできないかで自己肯定感にも大きな影響が出てくる。sokono-omae.hatenablog.com

 

が、その居場所感はあいまいで可変的、千差万別の感覚的領域である。

 

それでも、この感覚が非常に重要なのだ。

 

上記に表現した居場所と認識されうる感覚のうち、どれも持たない部類に属するグループがいる。

新人だ。

 

小学生が中学生になる時でも、新しい部活に入る時でも、中学生が高校生になる時でも、とにかく新人は安定した居場所を持たない。

 

今日は社会人新人の居場所について見てみる。

 

sokono-omae.hatenablog.com

 

そもそも新社会人はいろいろな場面で様々な新しいことを経験するわけだが、なんだかんだ誰もが通る道である。

 

だから、新卒採用をする企業は大なり小なり新人教育を行う。

 

新人教育は同時に会社目線で見ればある種の特別扱いだ。

 

中途採用であっても、新卒であっても、それに合わせたトレーニングプログラムはどこにでもある。

ただ、一般的に構築されたこれらのトレーニングプログラムが苦手とするのが人の居場所の用意である。

 

居場所感の欠如は能力がある人にもない人にも訪れうる話

 

むしろ居場所づくりの能力というものを定量化したほうがいいかもと思われるぐらい一般的で普遍的に求められるスキルである。

 

実際、居場所づくりが上手い人はいるし、同じ人でも居場所が作りやすいか作りにくいかは場所によって大きく異なる。

マルっと言ってしまえば運次第であって、自分でコントロールしきれるものではない部分がある。

 

居場所があるという魔力

 

一朝一夕にはできない居場所だが、居場所ができてくるとそれが自分に利益として跳ね返ってくるようになりうる。

困った時に頼れる人や自分を守ってくれる人など様々な技を体得できる。

 

単純な論理的思考能力とか頭の回転の速さ、正確さといった個人の資質に依存する能力とは違う技術を身に着けるようになる。

 

これは組織・集団への最適化であり、そこにハマりすぎると他での生存能力を失うリスクを持つが、それと引き換えに今目の前の現実的利益の取り分を最大化してくれる。

 

逆に今いる場所への最適化を逃したり、居場所の保持や維持に失敗するとその人の資質や能力とは異なる結果を生み出す。

 

そういう人たちは少し運が悪いと

窓際族

老害

ぼっち

村八分

などと呼称され、集団の中でつまはじきにされるわけだ。

 

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ここからの逆転は非常に大変である。

まずこびりついた悪い認識や評判をとるのに時間がかかるし、さっさと環境を変えたほうが結果的にはラクだったりする。

 

が、終身雇用時代は一つの会社を強制的に居場所にしなければならなかった。

居場所を作ることが何よりも重視される環境だった。

 

だから無理しても飲み会で徹夜するし、めちゃくちゃなお世辞で媚びを売らざるを得ない場面も出てくる。

要は居場所を維持拡大することに比重が置かれるようになるのだ。

 

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なぜなら、それがなければ生きている時間の大半を見知らぬ国や土地で過ごすようなものになるからだ。

 

だから、そのための礼儀作法が生まれ、そのためのビジネス慣行が生まれ、居場所の大きさと質に主軸をおいた仕事の仕方をする。

 

 

このモデルだと、成熟した組織や文化であればあるほど新参者や異なる立場を内包することができなくなってくる。

 

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社会人新人はその最たる例である。

自分のこれまでの常識も感覚も通用するかわからない。

むしろ、周りを見て必死に合わせることを要求される場面がふえる。

 

今まではそれが普通だった。

 

みんな通ってきたからこれからもみんなが通る。

 

そう思っている。

だが、その前提には社会がこれ以上多様化しないという条件が付いている。

 

この変化の早くて多様化がもてはやされる時代にそんな常識は通用しない。

それでもその前提条件が頭にこびりついた人たちは未だに今までに培った発想から抜けきれないでいる。

 

が、若い世代は違う。

 

その“居場所”は自分をずっとは守ってくれない。

終身雇用は終わりかけているし、転職市場が活性化した今、上司も部下も永遠ではない。

年功序列は緩やかに解体され、自由化が進んでいる。

かつての部下は上司になるかもしれないし、その逆だってありうるのだ。

 

だが、居場所があった人はその魔力から抜け出すことが難しかったりする。

抜け出さなければならないことはわかっていても、抜け出すタイミングを失う。

それは居場所に依存した年月と依存度合いが高ければ高い人ほど苦労する。

 

が、新人は真逆の立場にある。

そもそも居場所がないのだから。

 

居場所がないから簡単に離れていくし、離れたって困ることが少ない。

 

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同時に、今の居場所に依存しないことが重要であることを感覚的に理解している。

 

だから飲み会もそこそこにするし、会社外に自分の軸も持ち、主軸への依存を避ける。

 

そういった感覚を持つ個人からすれば、会社に多くを期待せず、自分の利益と両立する範囲でしか貢献しないというスタイルをとる方が合理的になるのだ。

 

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実は若い世代に限った話ではない。

そういう考え方をする人はどの世代にもいる。

が、一般的な感覚になってきたのは日本では最近だと言える。

 

全世代に分布しているが、特に若い世代を中心にそういう考え方が一般的になってきている傾向は否めない。

 

さて、それはなぜか。

結局、この居場所感の多寡が影響しているんだと思う。

 

むしろ、居場所感が重要だったのは過去の話かもしれない。

今は居場所ほどではない緩くつながり、とても流動的でフラットでシンプルな場所が重宝される。

 

一蓮托生とかそんなことはなく、必要な時に必要な範囲で必要な距離感でつながるというようにお互いに無理しないつながり方を理想とする人が増えている。

そして、そういったことが簡単にできる世の中になった。

 

それに慣れると旧来の居場所を作り、保持するための面倒な手続きや慣行を避けることが合理的になる。

こうして居場所づくりに失敗した組織は徐々に競争力を失うわけだ。

 

だから、逆説的ではあるが自分たちが期待する新人に対して居場所を作れるかどうかは企業にとって非常に大きな意味を持つのである。

 

副業をOKにしてみたり、働き方を自由にしてみたり、公私のバランスをアピールしてみたり、LGBTへの配慮をしてみたり、今もてはやされているものもあるが、本当はそうではない。

 

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古い慣習と心中する組織なのか、居場所を作る各人のIdentity managementが上手い組織となるべく既得権益としての居場所に手を付ける勇気を持つことができるかどうかである。

 

企業の人手不足の解消の課題はそこに潜んでいるとそこのお前は思う。