真剣道外伝★無端晟輝の残日録

真剣道・基道館宗師範の残しておくべき余談集

森のかほり、木のにほひ。

2019年10月10日 | 詩篇

此の泉州に住まいして四十年。

野心もあり、挫折もあり。

而して、およそ結末、決算を迎えやうとしてゐる。

わが武名の示す通ほり、人生は有限で、できることはたかが知れてゐる。

 

そこで、いささか痴呆の入ったわが身を勘案するに、これだけはといふ思ひがある。

 

***************

 

私は今、岸和田の山近くに住み、にゃんこも公認で住める快適な公社団地にゐる。

痴呆、といふか物忘れがひどいといふか。

先ほど階下の自家用車に忘れ物をして階段を下りた。

すると、森のかほりがする。

この香り立つ国を滅ぼしてはならない。

そのためには、人々の規範となる武士道精神を持った有意の人士を育てることは急務であろう。

 

弟子のまた弟子には「原発はぜひ必要だ」という方もいる。

個人の見解は尊重するが、原発必要論の根拠が「経済発展」ではまことに心もとない。

 

人は、お金を儲けるために生まれたのか?

人は、名誉を求めるために生まれたのか?

 

それとも幸せを感じるために生まれたのか?

長渕君の歌にあった。

 

♪ 幸せになるのではない、幸せは感じるものだ

 

ただいまこの時、現実こそ生きている時間だが、目前の課題に全力で取り組む、のもいい

それって、全力なら余力はないのだろうか?

 

選ばれた人々に、凡夫の私からお願いしたいこと

 

目前の課題も大切だが、余力を残して、来るべきクライシスでの領導に備えていただきたい。

もちろん、そういう優れた人もいらっしゃると期待しています。

 

 

*********************************

私は今度の春、松山に帰る。

懐かしい松山弁、祖母に手を引かれって行った石手寺、何よりも胸に残る松山城の上に広がる黄昏の空。

その中にいて、やがて死んでゆく。

こんなうれしいことはない!

 

もちろん、そんなことは誰も言わないだろうが、私はこう思っている

 

ウエルカム、バック、ホーム。

 

 

 

50年ほど前の、松山での夕暮れを書いたものがあった、それを思い出した。

当時私は18歳、そういう見方があったのだな~という記憶です(笑)




(1968年刊)土居豊一詩集 「残照」


   「黄昏」

風が立ち
旗翻り
紫の煙たなびき
電線は微動を起こし
屋上の風信器の車
それぞれに回り始めて
夕日浴び影はあざやぐ
夕餉の匂い路地に漂い
自転車のチェーンの音させ
生活の話しながら
人の背は下駄はいて去り
影ばかり思いに残る
嗚呼、そのとき悲しいまでの色彩が
空仰いでゆく人たちの上に炎え
黄昏として展がる・・・・・

 

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿