長い期間、投稿できず。多くの考えること、そして再開に向けた決意。
前回の投稿から約3か月半。
色々ありました。
母は、元気です。
元気というのが適しているかどうか分からないけど、現在のところ手術は成功し、抗がん剤治療を続けています。
年度も代わり、新たな令和に突入しました。
毎日が、とても早く思考と体が追い付かない日々を過ごしています。
母の癌の投稿をした日。
手術が終わり、夕方ロビーで手続きをしていると、一本の電話が入りました。
これまで3年にわたり、私の住んでいる地域、小学校と、とある海外の国との国際交流に奇跡のような支援を続けてくれた方が亡くなったと。
最後にその方とお会いしたのは、昨年の12月。
病気を患っていて、とても痩せこけていました。
それでも子どもたちを前に、海外へ挑戦する事の勇気、様々な失敗を通じて得られる知識、何事もあきらめない継続する力こそ大切だと、特別授業を開いていただいた。
帰られる際、力強く握手をしていただき、3月の卒業式前にまた子どもたちに会いに日本にお越し頂けると約束をしたのが最後でした。
これまで、海外からの旅行団をツアーの一つとして私の地元の小学校に連れてきてくれ、外国語交流の機会をたくさん与えてくださり、子どもたちの将来に対する夢と希望を広げてくれた。
2年間、全校児童を海外に招待し、現地との学校交流、ネイティブでしかわからない歴史、華やかな施設での夢を抱く経験など、全てその方のご支援で子どもたちに様々な体験を実現してくれた。
その方が亡くなったと。
日本人の方でしたが、海外にご家族で住んでおられましたので、日本の葬儀にあたるセレモニーも海外の現地でされるとの事。
私の地元だけではなく、日本全国様々な地域と海外を繋ぐ交流に尽力されておられたので多くの方がセレモニーへの参加を希望しましたが、親しい方々だけの家族葬をされるとの事でした。
子ども達とたくさん悲しみました。
6月11日。
日本でのお別れ会を開催していただけることになり、参加してきました。
日本全国から最後のお別れをしようと300名以上の方々が参加されていました。
そのセレモニーの中でのビデオに、私の地元で行っていただいた、子ども達への授業の様子が最後に流されました。
ビデオを見ながら走馬灯のようにこれまでかかわらせて頂いた瞬間や海外での交流の様子を思い出しました。
最後の命を懸けた授業でこう仰られました。
「継続」
あきらめず信じていけば必ず壁は超えられる。
そして、ご家族に語った最後の言葉。
「生きた、愛した、戦った。」
母の癌。
偉大なる恩人の永眠。
子ども達と過ごす日々の生活。
地域組織やPTAでのかかわり。
長男の進路に向けた準備。
一日一日があっという間に過ぎていく中で、
私は何を学び、
何を創り、
何を残し、
何を伝え、
何を築き、
何に向かうのか。
この年になってもまだ正直分からない。
だが、この数か月の出来事は色々と生き方について考え直す時間を与えて頂いた。
私はこれまでやってきた活動や事業を
「継続」
することと決心した。
継続していれば、いつか「何に向かうのか」見えるだろう。