前回の記事で。翌日にアップします、と言っておきながら放置していた記事を今更ながらアップ。(笑) なんだかんだ用事を片付けていたら、1週間があっという間に過ぎていたということにびっくり!

 

さて17日は、「自由と民主主義のための闘争日」という国民の祝日でした。日本では、ビロード革命30周年記念式典としての報道が目立ちましたが、正式には、「ビロード革命記念日」という名称ではありません。

というのも、11月17日は、チェコスロヴァキアにとって、2つの歴史的意味合いがある日だからです。

 

1つ目は、第2次世界大戦前夜の1939年に、チェコスロヴァキアの学生による抵抗運動をナチスドイツが武力により鎮圧し、学生主導者たちが処刑され、全国の大学が閉鎖されたことを記憶する日です。ちなみに、11月17日が「国際学生の日」に制定されているのは、この事件が背景となっています。国境沿いを中心に、チェコスロヴァキアにはドイツ人人口が多い地域があり、ナチスドイツは自国民の保護を理由にして、チェコスロヴァキアを事実上支配するようになっていました。さらには、この占領行為は、ミュンヘン会談において、イギリスやフランスから承認される形になり、チェコスロヴァキアは国際社会から見放されることになります。そうした占領行為に反対して学生運動が起こりますが、ナチスドイツの武力制圧により、9名が処刑、1200人以上が強制収容所に移送、チェコスロヴァキアの全ての高等教育機関が閉鎖という悲劇に見舞われます。そのため、チェコスロヴァキアでは、この日は、自由と民主主義が弾圧された、暗い歴史の象徴なのです。

ちなみに、チェコスロヴァキアは、戦後、領土内に住んでいたドイツ人を財産を没収した上で、強制送還するという処置をとっています。ブルノも、元々はドイツ人人口が多い街でしたが、この追放措置により、現在ではほとんど残っていません。当時の写真を見ると、ドイツによるユダヤ人やロマの迫害とやっていることは、あまり変わりません。まあ、報復したくなる気持ちも分かるんですがね…。このようなことは、日本の授業では絶対に習わないので、こちらで初めて知って驚きました。ヨーロッパ諸国の間では、ドイツに好ましくない印象を抱いている国が多いのは事実のようです。あと、チェコ、スロヴァキア、ハンガリーも、歴史的背景を巡って、地味にギクシャクしています。隣国同士仲が悪いのは、世界共通のようですね。(笑)

 

2つ目の歴史的出来事は、ビロード革命が始まり、共産主義政権が終わりを告げるきっかけになった日だということです。1989年11月17日に、上述した学生運動の抑圧を記憶するデモ行進が行われたところ、政権側の特殊部隊と衝突。それがきっかけで、全国の大学や劇場でストが実施され、ゼネストや抗議デモが多発し、結果的に共産主義体制が終わりを迎えることになりました。革命とはいうものの、大きな流血に至らず、比較的平和に民主主義を獲得したことから「ビロード革命」と呼ばれています。

 

当時のブルノの様子。Namesty Svobody(自由広場)です。毎日のように通っている場所が歴史の舞台になったのだと実感しました。

そして、30年後のNamesty Svobody。歴史はつながっているんですね。

無料ケータリングのカップケーキにもチェコの国旗が!

イベントで配られた記念グッズたち。鍵は、当時の人々が鍵を鳴らして抵抗したことから、この革命のシンボルになっているのだそう。

シュピルベルグ城も、チェコ国旗のトリコロールにライトアップされました。最近、トリコロールからフランスではなく、チェコを連想するようになったところは、1年間の滞在の成果です。(笑)

ブルノってこんなに人が居たんだろうかと思うくらいのすごい人、人、人!!!プラハでは、この日に合わせて、バビシュ首相の辞任を求めるデモが行われましたが、ブルノは比較的平和でした。ただ、大学の教授たちの演説の中で、バビシュ首相がかなり批判されており(多分)、市民たちが拍手喝采していたので、やっぱり嫌われているみたいです。ビジネスマンでもある彼には、根強い汚職疑惑が持たれている上に、共産党時代に秘密警察の幹部とのつながりがあったのではないかとの指摘もあり、特にリベラル派が多いプラハやブルノでの支持が低下中。

このイベントの中継映像が上がっていたので、興味のある方はぜひ。2時間55分あたりからは、国歌斉唱の様子が映っています。「我が家何処や (Kde domov můj)」というタイトルなのですが、チェコの歴史を象徴しているようで、僕は好きです。

 

 

それでは今回はこの辺で!

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