「個別指導」の授業にも

 

やり方はいろいろあると思いますが、

 

 

 

 

千歳烏山校では

ホワイトボードを使って

解説を行います。

 

 

そして、生徒たちには

ボードで示した解説について、

 

ノートをとってもらっています。

 

 

たとえば、

一枚のプリントを

講師と生徒で共有して、

そこにさまざまなことを書き込んで理解していく。

 

 

個別指導では

そういうスタイルもあるでしょうし、

ボクは、それを決して批判はしません、

ノートをとってほしいのは

もしかしたら

ボクのエゴかもしれないと思うから。

 

 

 

 

ボクは、

生徒たちに

本当の「学ぶチカラ」

身につけてほしい。

 

 

 

 

先生が

「これ、ノートに書いといて」

っていうと、

めんどくさがる生徒が増えています。

 

 

 

 

そもそも、

「ノートを作れない子」が増えています。

 

 

 

 

 

 

 

ノートを書くのは

何のためか。

 

 

そういう質問にも

答えられない子どもたちが増えています。

 

 

 

 

 

ノートを書くのは

何のためか。

 

 

 

なんなら、

さっき、高校3年生に

小論文の指導の中で同じ質問をしたんだけど、

ピンと来ていないようだった^^;

 

 

 

 

「ノートを書くのは、

 後で見直すため。」

 

 

 

大半の人がそう答えるでしょう、

 

これは確かに正しい。

 

 

 

 

 

しかし、

 

ノートを書くことの目的は

「後で」以外にもある。

 

 

 

 

ノートを書くという行為そのものによって、

物事を整理し、

正しく理解する。

 

 

 

 

さきほど、

「ノートを作れない子」

と書きましたが、

 

 

 

 

彼らは、文字通り、

「作れない」のだと思います。

 

 

何を、どう書けばいいのか、

わからない。

 

 

 

先生が

「これ、ノートに書いて!」

と指示を出すと、

 

初めて、あわてて、ノートに書くけど、

 

それは決して

「整理するため」のものではなく、

 

「書け」と言われたから書くのであって、

 

 

だから、ページの隙間に

文字通り「書いた」だけのノートになってしまう子がいる。

 

 

 

 

 

「書け」という指示がない限り

一切、ノートをとらない子も多くなってきた。

 

 

「書け」と言われたら書くけど、

黒板に書かれたことを

とりあえず写すだけの子も多い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから、

 

「書かなくても、

 ケータイで写真とればOKじゃん?」

 

という発想になる。

 

 

 

 

 

「後で見直す」という目的だけなら

確かに、写真でもよかろう。

 

 

しかし、

「作る過程において、物事を整理する」

という機能でいえば、

 

 

 

ケータイでパシャッ!

 

というのは、

まったく役に立たない。

 

 

 

 

 

さっきから

「作れない、作れない」と書いてますが、

 

本当に、

「ノートを作れない子」が増えているんです。

 

 

 

 

 

 

たとえば、

 

一冊の大学ノートの中に

5教科全部の「メモ」が集約されてたりする、

 

こっちのページに

英語の文法のまとめがあったかと思うと、

そのページの下部には計算式が書いてあり、

次のページに歴史年表があったと思ったら、

突然向きが変わって国語の短歌が書いてあったりする、

 

連続する授業があったとして、

前回のノートの続きに

今回の内容を書いてもらおうと思ったら、

すでに途中に、ほかの「落書き」が混じってたり、

 

まー、続きモノのノートになるのが難しい。

 

ボクらが、ノート指導をしていても、コレです。

 

 

 

 

 

 

ノートが、ぐっちゃぐちゃ

 

ということは、

 

勉強した内容理解も

ぐっちゃぐちゃ

 

と言ったら言い過ぎか?

 

 

 

 

ともあれ、ボクは

彼らに

「本当の学ぶチカラ」を身につけてほしい、

 

ただ単に受験で合格するとか

テストでいい点数を取るとかだけじゃなくて。

 

 

いわば、

オトナになったときにも

勉強することができるチカラ、

 

オトナになったときにこそ、

物事を整理して身につけることができるチカラ、

 

 

 

カンタンに言えば

 

「できる人間」であるためのチカラ。

 

 

それを身につけるのが

学校に通っていることの意義の一つだと思っています。

 

 

 

その一つが

「ノートを作るチカラ」です。

 

 

 

 

正直言えば、

 

すでに大学生の講師たちの中にも

「ノート力」の弱い人もいる、

彼らには、研修を通じ、

「ノート」の大切さを理解してもらい、

授業で実践してもらうことで、

自らの学ぶチカラとして、

学問に活かしてほしいと思っています。

 

 

 

 

そんなわけで、

千歳烏山校では

 

いくら「めんどくさい」と言われたとしても、

ノートをとってもらう場面は出てきます。

 

 

・・・全部じゃないですよ、

たとえば、ボク自身の授業でいえば

国語の読解問題は、

1枚のプリントの文章に

いろいろ書き込みながら進めたりする、

 

 

一方で、

数学の図形や関数の問題の場合、

問題用紙に書かれた図やグラフに

ちょこちょこ書き込んで解こうとすることは

ボクは、よしとしない。

 

関数の問題であれば、

印刷されたグラフを使うのではなく、

問題文を読みながら

別紙に文章に従って座標平面を書いていく、

そういう過程を踏むことで

「状況」がアタマの中で整理されていく。

 

教科や場面によって

ノートを使う頻度も変わってきますが、

 

 

その判断ができるようになるのも

また、ノート術の効果かと思っています。

 

 

 

 

ここで、

恥ずかしながら

ボク自身の「ノート」をご紹介します、

 

先日「外出自粛要請」の中、

やることないから

家の掃除をさんざんやってたときに出てきたノートです。

 

 

大学生の頃のノートです。

 

ボク、大学時代は

割とマジメに授業を受けてたと思います、

大学の講義ってのは、

ホントに面白いから♪

 

【自然科学論】

 

【心理学概論】

 

 

 

別に「ドヤ顔」するつもりはないけど、

 

 

 

これらの講義について、

 

教授たちは

人名以外のことを

黒板に書かない人たちだった

 

ということは書いておきます。

 

つまり、

このノートの内容は

ボクが教授たちの

ハナシを聞き取って作ったものです、

板書などには表現されていない。

 

 

もっとも、

そんなボクも

大学を卒業し、

パソコン全盛時代に入ってからというもの

(大学1・2年時 ようやくWindowsが出始めた頃だった)

手書きのノートから離れつつある、

 

今は、キーボードを叩く方が

数十倍のスピードになって、

そればかり頼ってしまっていて

ノートを書く、文字通りの筋力の衰えを感じます^^;

 

 

 

けど、

こうしてブログを書いたり、

立体的に物事をとらえたりすることができるのは

「ノートで整理するチカラ」を

身につけたせいかとも思っています。

 

 

 

猫kama

 

 

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