まみずハルカブログ

私の日常もあなたの非日常。とにかく雑多に書いてます。

「やればできる子なのに!」の呪いにかからない話

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こんにちは、まみずハルカです。

みなさんは、「やればできる子なのに(どうしてやらないの)」と言われたことはありますか。

親に一度くらい言われたことのある人が多いのではないでしょうか。

 

私もたまにですが、親にこの言葉を言われていた記憶があります。

おそらく私の能力を見込んで、「努力すればもっと上に行くだろう」という考えから来るものだと思います。親バカ」の一環かもしれません。

 

しかし、私はこの言葉を言われたのは親だけではありませんでした。

「もっとできるはずなのに」

「本気出したら良いのに」

「やらないのはもったいない」

これらは、小学校の時の先生から受験時の塾の先生など

何人もの「学生時代に関わった大人」に言われてきたものです。

もちろん、これらの大人たちは私に期待していただけなので悪意があるわけでも、

プレッシャーをかけようとしてきたわけでもありません。

しかし、私はこの言葉をかけられていつも反応に困っていました。 

 

まず、小学校の時の担任の話をします。

小学校の頃、授業中に先生は「この問題わかる人〜?」と質問します。

私は当時から中学受験用の塾(N能研)に通っていたので、

小学校の授業の内容はすでに知っているものしかありませんでした。

かといって、目立ちたいタイプでもなかったので手を挙げることはほとんどなかったのです。しかし先生が「この問題わかる人〜」と言った後、誰も反応しないと私に当てるのです。そこで、私は問題に答えるのです。つまり、正解を知っているのに手を挙げないということです。

 

先生にとっては、私を授業に対して「授業への関心意欲」のない子供と認識してしまうはずです。

当時から「小学校の授業はくだらない」と斜に構えるような小憎たらしい子供でした笑

そのため通信簿のコメント欄に「もっと本気にやってみましょう」と書かれたり、

面談でその旨を言われたりしていました。

しかし、私はもちろんそれを素直に聞くような子供ではありません。

やりたくないことや非合理的なことはやりたくないタチでした。

だから、自分を変えることは結局しませんでした。

 

先生の目には「子供らしくない」生意気な子供に映ったと思います。

当時の私の考えとしては、私がその問題に答えたとして

それは私の学びにならないし面倒臭いだけと思っていました。

また、手を挙げることは先生を喜ばすため(気に入られる)だけの行動にしか思っていなかったと思いました。捻くれてますね笑

そんな考えを知る由もない先生は、私に「できる能力があるんだったらやりなさい」と言うのです。

 

他の例を挙げましょう。

高校受験の時の話です。高校の頃の先生と塾の先生は、進学実績を上げるために、東京大学あるいは東京工業大学を受けることを勧めました。プロフィールの通り、私は国立前期入試で九州大学を受けました。九大を受けることを決めたのは高校3年の秋でした。自慢ではありませんが、模試では九大に関してはA判定しか取ったことはなかったです。そのため、九大を受けることを言った途端周りにとても驚かれました。決めてもなお、引き止められた記憶があります。おそらく「もったいない」と思われていたのでしょう。

 

しかし、私は東大に入るための勉強をするのはアホらしいと思っていました。

(今思うと、失敗したくないだけの逃げ腰の決断です)

 

それには、いくつか理由がありますが一つだけ紹介します。

それは、私は勉強の効率を考える人間だったからです。

たとえば化学のテストがあるとします。周りの友人たちは、100点を目指し、120%の努力をします。(周りは、進学校の勉強熱心な子ばかりでした)

しかし、私は80点を目指し50%の努力をします。結果、友人たちは90点をとり私は80点をとります。テスト勉強を経た人なら分かると思いますが、90点を100点にするのはとても難しいです。同じ10点分でも努力量は点数が上がるにつれて必要量が増えていくのです。私はいつもこの最後のツメの段階の努力を怠っていたと自覚しています。

 

私は受験勉強という詰め込み型の学びが根本的に嫌いだったので、この最後のツメをしたくなかったのです。もちろん、東大のレベルはこのツメの勝負になってきます。

私は、生意気にも「この勉強は私にとって無駄だ」と思っていました。

「ただ逃げたかっただけ」「負け犬の遠吠え」に聞こえるかもしれません。しかし、これは誰にも言わない本心でした。周りにはこの理由は決して言わず、九大を受ける理由は適当なことを言ってごまかしていました笑

 

さて、話を戻します。

「実力以下の所を選ぶなんてもったいない」という内容の事を言われることが多かったです。しかし、この言葉は全く本質的ではないのです。

自分の能力によって、自分の将来を決めるのは逆にもったいないと思います。

つまり、学力や能力が高いことは良い大学や会社に入ることを意味するのではなく

単純に選択肢が増えるというだけのことなのです。

 

それを、「自分の能力と釣り合った所に収めなければいけない」とするのは自由ではありませんね。選択の自由を手に入れるために努力をしているのに、選択の余地がないのは本末転倒な気がします。

 

リスクがあるのはわかってます。東大に入って有名商社に就職した時の生涯賃金は圧倒的な差になるのはわかっています。

しかし、私はそれよりも自由な人生の選択や経験を重視したかったのです。

はい、これを許してもらえる環境に身を置いている自分はとても恵まれていると感じています。親には感謝しています。

「やればできるのに」と言われて、「じゃあ、やろう!」と思わないタイプだったので今まで後悔なく自分で決断して来れたのかもしれません。

 

みなさんは、自分の現在の能力で生き方を決めていますか。

それとも、自由な人生の選択をしていますか。

 

私の選択や判断が正しいわけではなく、むしろ効率が悪く損なやり方をしてきたと思います。

しかし、自分で決めてここまでこれたというのは幸せだと思います。

死ぬ直前まで、どの選択が良かったかの判断はできかねません。

だから、この話は終わりにします。

 

では、また〜