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スペイン王室の現在①

2020-09-27 07:30:38 | ヨーロッパ
今年の8月3日スペインの前国王フアン・カルロス1世(82)亡命のニュースが報じられた。 


事実上の「亡命」は、2014年に退位した前国王ファン・カルロス氏が、息子のフェリペ6世現国王(52歳)に宛てた書簡を、スペイン王室が発表したことにより発覚したそうだ。前国王は「スペイン国外移住という熟慮の上での決意を、国王のあなたに伝える」という手紙だったそうだ。


翌朝にはスペインでは全国の新聞が一面で大々的にこのニュースを報じた。


スペインのメディアによればこれまで、フアン・カルロス1世は国から19万4000ユーロ(約2300万円)以上の年間手当を受け取っていたそうなのだが、3月16日にスペイン王室は声明でフアン・カルロス前国王に対するこの年金を中止すると発表。


1939年から75年にフランコ総統が死去するまでスペインでは36年間軍事独裁政権が続いた。


フアン・カルロス氏はフランコ将軍の後継者として育てられ、1975年のフランコ将軍の死後、44年ぶりの国王として王位についた人物だった。81年にはフランコ派のクーデターを命懸けで阻止。


ファン・カルロス前国王はスペインの民主化の英雄として、長年国民に支持されてきた。


■ファン・カルロス前国王の退位までのいきさつ
ファン・カルロス前国王の場合「過去の愛人問題や金銭疑惑が、退位後にも次々と浮上したことで、王室や息子への批判の高まりを回避するための(生前)退位だった」とみられていた。  


2012年4月、スペイン経済危機の最中、ファン・カルロス前国王がアフリカのボツワナに愛人であるフランクフルト生まれのドイツ人女性コリーナ・ツー・ザイン=ヴィトゲンシュタイン(Corinna zu Sayn-Wittgenstein )と共に象狩りに出かけ物議を醸した。


この女性には6500万ユーロ(約79億円)が渡ったとも報じられ、ファン・カルロス前国王は「申し訳ない。私の間違いだった。二度と繰り返すことはない」と謝罪したが、国民の反感は増していったのだ。


フアン・カルロス氏はかねて、そのぜいたくな暮らしぶりが批判されているほか、マネーロンダリングへの関与などでスイスの金融当局の捜査を受けていた。


今年に入りスイスの日刊紙トリビューン・ド・ジュネーブ(Tribune de Geneve)はフアン・カルロス1世がサウジアラビアからオフショア口座を通じて1億ドル(約107億円)を受け取っていたと報じた。 


同紙によると受け取った金はパナマの財団名でスイスの銀行口座に預けられ、総額のうち6500万ユーロ(約79億円)は、フアン・カルロス1世から元愛人でドイツ人のコリーナ・ツー・ザインビトゲンシュタインさん(注)に送金されていたそうだ。



英紙デーリー・テレグラフ(Daily Telegraph)によると、この財団はフアン・カルロス1世の自家用ジェットのフライト費用としても数百万ユーロを支払っており、現国王のフェリペ6世もフアン・カルロス1世在任中に設立された同財団基金の受益者であったと報道。


これに対し、スペイン王室は3月15日「フェリペ国王は、自身が財団の受益者に指名されていたことを全く知らなかった」と述べた上で「フェリペ6世は昨年4月、公証人に対して問題の財団からは一切金を受け取らない」と発表。



王室の発表によるとフェリペ6世現国王は、違法なあるいは王室の品位を損なう可能性があるいかなる資産や株、投資も放棄し、父である前国王からの相続も放棄するそうだ。


引用元:




スペインの現国王のフェリペ6世は、父で前国王ファン・カルロス氏のへの批判が自らにも及ぶことを回避するために火消しに回っているという状況らしい。


フランコ独裁時代からジャーナリストとして活躍し、スペイン王室に「最も詳しい」ハイメ・ペニャフィエル氏(86)は「現在の)スペイン王室には存在意義はなく、消滅したところで国民の生活は何一つ変わらない」とまで断言


王室記者がみたスペイン王家の実像を様々な記事から引用しながら現在のスペイン王室の実像に関してまとめてみた。


■前国王ファン・カルロス氏は嘗て人気が高かった
フアン・カルロス1世はスペインの「民主化の英雄」といわれ、実は「ファン・カルリスタ(フアン・カルロス支持者)」と称される熱狂的なファンを持つ国王だったそうだ。


スペインでは1930年代にブルボン王朝が倒れて共和政となった直後、スペイン内戦で共和政も倒れ、その後はフランシスコ・フランコ将軍が36年間、独裁体制を敷いた。



独裁者フランシスコ・フランコ(右)と前国王フアン・カルロス
Photo: María Gabriela de Saboya / Getty Images


独裁を敷いたフランコ総統が1975年に死亡すると、当時皇太子だったフアン・カルロスが即位して王政復古したが、フアン・カルロスは自ら民主化を推し進め、スペインは立憲君主制に移行。


即位後、フアン・カルロス氏は専制支配を維持しようとするフランコ将軍の支持者を無視し、立憲君主制への移行をはかり、在位中も徐々に政治的な活動を抑え、象徴的な立場へと変わっていった。


スペインの民主化プロセスが理想的な形で進んだのは前国王ファン・カルロス氏の功績であったと評価されていたのだ。


また、カタルーニャやバスクといった独立を求めている地域を安定させたほか、1981年には軍部が計画したクーデターを抑え込んだことも評価されていた。


■即位のとき誰からも祝われなかった前国王
(以下、「クーリエジャポン(2019年4月26日付)」より引用)

フアン・カルロスは、現国王であるフェリペ6世のように生まれながらの皇太子ではなく、フランコ時代に無数の屈辱に耐え、多くの苦労を乗り越えてきた人物で、当時支給されていたのは7万5000ペセタ(約6万5000円)で、食費も交際費も含めすべてをこの金額で賄わなければならなかった。


ジャーナリストのハイメ・ペニャフィエル氏が大衆誌「オラ(¡Hola!)」に採用されると、国王になる前のフアン・カルロスから電話がかかってきて、給与はいくらかと聞かれた。自分が支給されている金額と比較するためだったらしい。


フランコ政権は、コーラの代金から当時アテネにいた(ギリシャ王女の)ソフィア(後にファン・カルロスの妃となった)への電話代まで、国王の出費を詳細に管理していたそうで、そんな経験をしたことでフアン・カルロスは「人間性が深まった」のだとハイメ氏は説明。


スペインのファン・カルロス前国王とソフィア前王妃


フアン・カルロス前国王の女性関係は、長い間スペインメディアによって敢えて報道されることがなかったし、スペイン人は「ブルボン王家」の国王の愛人の存在を問題視していなかったのだそうだ。


スペインのメディアは王室をとても尊重していた。しかし現在はフアン・カルロス前国王に対して(赤裸々な報道がなされている点で)フェアではなく、まるで過去の時間を取り戻そうとしているかのようだとハイメ氏は指摘する。


ハイメ氏いわく、「(自分自身はジャーナリストとして)フェアであろうと努めてきたし、王室については常に批判的な立場を取ってきた。」


「王室は批判されることを嫌うけれど、自分は彼らの気に触るようなことを書いてきた。それでも彼らには、おおかた(国民に)尊重されてきた。」


ハイメ氏は今でも「ファン・カロリスタ(国王支持者)」であるそうなのだが、彼がファン・カルロス前国王とどのようにして親しくなったのかに関しては以下のように語っている。

王に友人はできないものです。「王の友人だ」と言う人間は、信用できない。そう言って、相手から何かうまみを引き出そうとする。

私は彼が士官学校にいた頃から、フアン・カルロスのことを知っています。彼の外国訪問にも記者として100回以上、同行しました。

私が娘を亡くしたとき、彼はとても親身に慰めてくれました……。そうした気遣いは、深く心に残るものです。

でも、60年間の記者人生のなかで最も重要な日は、1975年11月22日。フアン・カルロスとソフィアが国王と王妃に即位した日です。

その日の夜7〜9時くらいまで、私は2人とサルスエラ宮殿の一室で過ごしました。部屋には私たち3人しかいませんでした。即位式のあと、2人はオープンカーで宮殿に移動しました。その際、フアン・カルロスが私の姿に気づいて、後で電話するように手でサインを送ったのです。電話すると、宮殿に来るよう言われました。

──呼ばれたのは、あなただけだったのですか?

はい。ちょっとしたレセプションでもあるのかと思ったのですが、到着すると、国王はカメラの掃除中で、王妃は電報に目を通しているところでした。書斎に2人きりでいたのです。仰天しましたよ。彼らの人生で最も重要なその日、私が宮殿に到着してからの2時間半、電話1本かかってこなければ、書斎の扉を叩く人もなかったのです。

このうえなく奇妙でした。まるで即位ではなく、退位したかのようでした。ほかの親族はおそらく、裏切られて“敗者”となったバルセロナ伯フアン・デ・ボルボン(フアン・カルロス1世の父)と一緒にいたのでしょう。

また右派は、亡きフランコに別れを告げるため弔問の列に並んでおり、一方、左派はフランコの死を祝っていたか、彼の死を自らの目で確かめるために同じく、弔問の列に並んでいました。

そんなときに、フアン・カルロスやソフィアのことを考えている人などいませんでした。というわけで私はあの日、宮殿の書斎で2人に自分の人生について語っていたのです。


■ファン・カルロス前国王の退位
退位の数年前までその人気は高かったものの、2012年にボツワナで行ったゾウの狩猟に対する批判や、国王の次女のクリスティーナ王女(現国王フェリペの姉)とクリスティーナ王女の夫で元ハンドボール五輪代表選手だったイニャキ・ウルダンガリン 氏による横領事件(最高裁判決で禁錮5年10月の実刑判決が下り、現在収監中)などを受け、カルロス国王の退位を求める声が高まったようだ。


2014年にフアン・カルロス前国王が退位すると同時に、熱狂的な国王支持者である「フアン・カルリスタ」も徐々に消滅。


■ファン・カルロス前国王の愛人コリーナさんは「マネーハンター」
2012年イースター中の4月初旬にフアン=カルロス国王(74)がアフリカで負傷し、マドリッドの病院に緊急搬送された。スペインの金融危機のさなかに自家用機で象のハンティングに出掛け、自らを誤射し、しかも愛人とのお忍び旅行だったとあって、それまで沈黙してきたスペインとドイツのメディアがついに記事を掲載。


王の愛人としてマスコミに追い掛け回されたのはブラジルの航空会社の欧州代表だったデンマーク人を父に持ち、フランクフルトとロンドンで育ったコリーナ・ツー・ザインビトゲンシュタインというドイツ人女性。


コリーナさんは最初に結婚した英国人富豪とは娘を産み5年で破局。次々に有名人と浮名を流し、2000年に再婚したツー・ザイン=ヴィトゲンシュタイン伯爵家の子息カシミールとも息子を産んで離婚。メディアによれば、彼女は「マネー及び爵位ハンター」なのだとか。


フアン=カルロス王とは06年頃から公式行事に同行するようになり、当然ながらソフィア王妃の耳にその噂が入らないわけはない。


ソフィア王妃はドイツ帝国皇帝ヴィルヘルム1世のひ孫にして元ギリシャ王コンスタンティン2世の姉で19世紀にバイエルンから移入されたギリシャ王室(1974年廃止)の元王女。


生まれながらの王族であり誇り高く、王妃の任務を完璧にこなすプロとして、数限りない夫の浮気にこれまでは目をつぶってきた。


流石に今回は堪忍袋の緒が切れたらしく、ボツワナで負傷したファン・カルロス国王の入院から3日後にやっと王を見舞い、病室滞在は僅か15分だったそうだ。

その年の5月14日に予定していた夫ファン・カルロス国王との金婚祝賀も中止したらしい。


■ファン・カルロス前国王の「隠し子」問題
ソフィア妃と結婚する前に交際していた女性との間に「隠し子」がいたとされ、スペインに住む男性と、ベルギーに住む女性は、何度か事実を確認するため裁判所に提訴している。


スペイン憲法は国王に全面的な免責特権があると定めていたため、フアン・カルロス1世の在位中は提訴が却下されていた。


しかし、退位後は免責特権の及ぶ範囲が狭くなったため、2014年7月31日、スペイン最高裁は提訴を受理したとされる。


引用元:





http://www.newsdigest.de/newsde/news/kao/4277-corinna-zu-sayn-wittgenstein/


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