【サラブレッド夜話】マルゼンスキー |  おおむね日刊 ★ 狐のブログⅡ

 おおむね日刊 ★ 狐のブログⅡ

  今週は「ユニコーンS(G3)」「青葉賞(G2)」「天皇賞(G1)」です。

「賞金も要らないし、大外出走でも構わないからダービーを走らせてくれ」8戦8勝で引退、今のルールなら8冠も?史上最強馬候補マルゼンスキー
 こんばんは、管理人の狐です( ´_ゝ`)ノ
 今日の夜話はちょっと古くなりますが…マルゼンスキーです。朝日杯を、2着馬が見えなくなるくらい離したレコード勝ちしましたが、マルゼンスキーは「持ち込み馬」、当時のルールでは外国産と分類され、三冠レースはおろか重賞すらほとんど出られない。大げさな話ではなく、今のルールなら6連勝で皐月賞制覇、7連勝でダービー、9連勝で菊花賞、10連勝で有馬記念…も夢じゃなかったと思います。当時最弱世代と呼ばれた同期生だったので、なおさらクラッシックを走らせてあげたかった!
  マルゼンスキーは、父がイギリスの三冠馬ニジンスキーで母はアメリカの名馬25勝の記録を持つバックパサーの仔シル。連戦連勝を続けるも、当時のJRAでは多数の重賞に出走制限が課されていた外国からの持込馬なので、クラシック三冠競走には出走できなかった…
 
大外枠スタートで他の馬には迷惑かけない。賞金もいらないからダービーに出させてくれ」
 
中野渡騎手の言葉ですが、関係者でなくてもファンなら、いやファンでなくても当時競馬を知る人間ならだれでも抱いた願望だったのです。管理人は、マルゼンスキーなら調教代わりでダービー勝っちゃうと思ってますので、有馬記念でトウショウボーイ・テンポイントと戦わせてみたかったですわ。 
 

 さて、マルゼンスキーは馬主が早来の牧場経営で知られる橋本善吉氏。そう、オリンピックのメダリスト橋本聖子さんの父親です。この善吉オーナーが欧州から手に入れたわけですが、当時で9000万円!牛牧場風情が訳も判らず高馬を買った、などと陰口を叩かれたとか。とはいえ、欧州のセリの競争相手は、走らせずに種牡馬にする予定だったというから、その価値は想像がつくでしょう。

 

 さて、2歳秋のデビュー戦(中山千二)を、何もしないまま大差勝ち(確か新聞に載ったと思う)続くいちょう特別(今のサウジアラビアRC)を9馬身差で連勝。本郷師曰く(偶然ですが、管理人は本郷先生のところと後日に偶然ちょっとした縁ができるのですが、この時はまだまた聞き)「まだろくに調教すらこなしてない」状態でこれ。続く府中3歳Sで内国産のエースだったヒシスピードにハナ差の辛勝、まぁ実はこれ騎手の大ミスだったんですが…でも、続戦の朝日杯。

 

 

 続く朝日杯では、調教で馬を作って本気のレース。ヒシスピード相手に今度は大差を付けて容赦ないレコード勝ち、…でもクラシックに出られないんです。出られるレース自体限られてる…

 

 この後、明けて3歳。使えるレースは平場と「日本短波賞」のみ。本当に理不尽なことですが、当時の競馬体型がいかに偏っていたかを理解していただけるかと思います。OP平場をアホみたいな楽勝で2連勝、臨んだ日本短波賞(今のラジオNIKKEI賞)では、単勝一番人気でオッズは1.0倍!NHK杯を勝ってここにやって来た2番人気のプレストウコウを、多少は追ってたと思いますが7馬身差で圧勝というか楽勝。そのプレストウコウ、セントライト記念・京都新聞杯・菊花賞と3連勝(しかも連続レコード勝ち)なわけですから、ファンにしてみれば「マルゼンスキーがクラッシックに出ていたら、軽く3冠だった」というのにも一理あるわけです。

 

 さて、短波賞を勝ったマルゼンスキー。今みたいにJCとかあるわけでもないので、年内使えそうな唯一の重賞「有馬記念」に向かいます。その前に、夏の札幌で脚慣らし…と言うことでもないんでしょうけど、ダートの短距離S(当時の札幌競馬場はダートのみ)に出て、ここでも2着に大差をつけて圧勝、8戦8勝となります。

 

 「待ってろ、トウショウボーイ!」有馬に向けて調整を重ねるも、痛恨の脚部不安。関係者の無念たるや、想像に難くないですね。競馬にもしもがあるなら、TTGの4歳有馬記念はラップを無視したつばぜり合い、恐らく…恐らくは、(テンポイントびいきの管理人ではありますが)マルゼンスキーが勝ったんじゃないかと思います。

 

 今なら、休養後にレースを使ってとなるのでしょうが、ここで明けて4歳になっても使えるレースは、大きなところでは宝塚記念くらい、となる為に引退種牡馬とあっけなくマルゼンスキーの競走馬生涯は終わってしまうのですが、ところがどっこい。種牡馬入りしたあちに、直仔はバンバンG1勝つわ、孫はG1勝つわ、ブルードメアサイアーとしてもG1馬だすわで、ラムタラと並ぶニジンスキーの代表産駒であることは間違いないです。

 欧州の競馬関係者が、たまたま日本を訪れた時にマルゼンスキーを見かけて言った言葉だとされる「ニジンスキーの最高傑作が極東の島国にいた」この言葉が、マルゼンスキーの評価のすべてじゃないでしょうかね?それにしても、TTGとの対決、見たかったよ~(了) 

                                             だから、競馬は面白い。