好きすぎてわけわかんなくなっちゃうことがあるじゃない?
バーで隣になってみたい人はたくさんいる。
好きな俳優、芸人、作家。その人が許してくれるなら、 時間の許す限り愛を伝えたい。
友人との飲み会が早く終わってしまい、 私は以前複数人で訪れたことのある居酒屋かバーか定義しかねる酒場 に、一人で足を運んだ。
カウンターに座り、ハワイの地ビールを頼む。
コトリと置かれたビールを三分の一ほどグイと飲んだ。
グラスを置いて私は固まる。一人でバーに来るのは初めてだ。 何をすればいいんだろう。
コースターをぼんやり眺めていると、不意に、 右からお菓子が登場した。
おばけを見るような動作でゆっくりと視線を右へやると、 やわらかい笑みをたたえたスーツの男と目が合う。
「新商品です。よかったらどうぞ」
半透明のパッケージの中に、クッキーが三枚入っている。 察するにお菓子メーカーの社員らしい。
「すいません。ありがとうございます」
何か悩ましげに見えたのだろうか。 申し訳なさを隠すようにお菓子を手に取ると、私は目を見開いた。
パッケージには、『LOTTE』とアルファベットが印刷されていた。
「ロッテ!?」
「はい。ロッテです」
男は依然として笑顔を張り付けている。
私はあれこれ逡巡して、言葉足らずに想いを伝えた。
「チョコパイが一番だと思ってます……」
感謝を告げたい人なんていうのは山ほどいる。
その中でもやはり『ロッテのチョコパイ』 を開発した人々に対して感謝を告げたいと、 折に触れて思っていた。ついにそのチャンスが訪れたのだ。
「チョコパイが一位です。キングです」
「そうですか」
男の目がいっそう細くなった。
「お菓子というか、ケーキですもん」
「そりゃまた」
男は驚くように眉を持ち上げる。
「私、エンドロールのSpecial thanksに入れる予定なんです。ロッテのチョコパイって」
「そこまでですか」
そこで私はブヒブヒと力説する自分に気が付いた。 本人がひいてしまうほど熱弁してしまう、ファンのアレなヤツだ。
恥ずかしくなって話題を変えた。
「この新商品はいつから販売しているんですか?」
「さぁ? 私にはちょっと」男はさっぱりした声で答える。「 さっきコンビニで買ったんです。新商品って書いてありました」
はぁ? 頭のコンピュータが一瞬固まって、 それからグルグルと動き出した。
頭の中で男の発言を思い返す。
「新商品です」
「はい。ロッテです」
「そうですか」
「さっきコンビニで買ったんです」
「新商品って書いてありました」
まさか……。いや、そうだ……。
男はロッテの社員だとは一度も言っていない。
私がチョコパイを褒めても、ありがとうとも言わなかった。
「あの、失礼ですが、どちらにお勤めで?」恐る恐る聞く。「 ロッテですか?」
「いえ、違います」
やっぱりそうか。彼はただ、さっき買った新商品のお菓子を、 一つ分けてくれただけだったのだ。
「じゃあ、あなたは?」
問いかけに、男はサッと表情を曇らせた。
「バッタです」
バッタ?
ミチミチと音がして、男のスラックスが弾ける。 緑色の強靭そうな下半身が姿を現した。
じゃあまた、と言うと、 男はブゥンと羽を鳴らして飛び去ってしまった。
グラスがいくつか割れた。
マスターは苦い顔で入り口を見つめる。
「飛ぶのはダメ」と注意書きが貼ってあった。
あいつ、常連なのか。
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