君が笑顔でいられるなら、僕は悪者じゃないはずさきっと
なると巻きの桃色の渦を見ても、私は何とも思わない。
それは薄情なことだろうか。
なるとは時計回りに見える方が表だとか、あるいは裏だとか、そんなことは一度も考えたことがないし、たとえ今それが気になったとしても調べる気にはならないし、ましてやそれを覚えて明日誰かに披露しようとも思わない。せいぜい抱く感想は、「なるとにも裏表があったんだ、へぇ」ぐらいのものだ。
そんな風に、駅や町ですれ違う見知らぬ人たちに対しても、それぞれ人生があるのだとも考えたことが無かった。私の人生の主人公は私だ、とかいう一丁前な自尊心みたいなものがあるわけでもないのに、彼らにも意思があって、悲しんだり、楽しんだりしているというという事実に何故だか興味を持っていない。
それは薄情なことだろうか。
それを誰かに打ち明けたとして、
「そんなの当たり前だよ」
と答えが返ってきたなら、それはそれで悲しいというか、寂しいというか、哀れみを希釈したみたいな感情が私の底に溜まってしまいそうだ。さっきまでの自分を棚に上げて、それこそ「薄情な奴だ」と失望しかねない。
私たちもきっと、銀河を宇宙を超越する者から見れば、なるとの渦程度の存在だろう。
どれだけユーモアに溢れていようが、金を持っていようが、輪切りにしたなるとの一片にすぎない。
道ですれ違うあの人にだってこの人にだって同等の、あるいは数倍にも及ぶ人生があるのに、私は彼ら彼女らのことをなるとの渦ほどにも考えたことがないのだ。
私はそれにとてもよいタイミングで気が付いた。散歩中のことだ。
彼は、とても困っている様子だった。見るともなしに見ただけでそう感じたのだから、よほど長い間その前で四苦八苦していたのかもしれない。
老人だった。郵便局のATMを相手に、片方の手で少ない髪をわしわしと乱しながら半ば諦めたように戦っていた。今にも落城しそうな城を守る、生も痕も尽きる寸前の戦士だ。
私は、老人が困っている姿や、苦しんでいる姿を見るのが嫌いだ。女の子が鳴いている様子を目の当たりにするよりも、よっぽど胸に来るものがある。
「優しさ」というよりも、「憐憫」に近い感情だと思う。
「どうしました?」
思わず声を掛けていた。
私に祖父がいたら、どんな風に接していただろうか。
私には祖父がいない。複雑な事情があるのだろうが、いい大人になるまで私は自分に祖父がいないことに何の疑問も持っていなかった。というより、そもそもそれを考えたことすらない。やはり薄情なのかもしれない。
老人は突然の助っ人にぱっと目を輝かせて、しかしそれを悟られまいと老練な顔捌きで封をして、落ち着いた声で答えた。
「ちょっとねえ、わからなくなってしまって……」
苦笑いをする老人に、手を貸さずにはいられない。「もし、よろしければ……」と控えめに手を差し出すと、おずおずと老人はその手を取った。例え話なので、実際に手と手を取り合ったわけではない。
「なるほど……」素早く画面を操作すると、老人に尋ねた。「さて、何をされたいんですか?」
彼は金を引き出したいのだと答えた。隠居暮らしをしているので、滅多に金を使わない。数か月に一度まとめて金を下ろすのだという。しかし、その数か月でATMの操作が分からなくなってしまった、と苦笑した。
その笑顔はやはり、私の胸を冷たくて硬い鎖で締め付ける。やめてくれ。
笑顔で返す。老人のためでもあるし、自身に巻き付いた鎖から逃れるためでもある。
人に何かを教えることには多少の覚えがある。
老人にも自尊心があるだろう。あまり軽んじる様子を見せないようにして、かつ彼自身の溝に落ちてしまった経験を思い出させるように、最適だと思える距離感で操作を導く。老人の落としてしまった記憶は幸いすぐ近くにあったようで、一つ二つ教えただけですぐに操作方法を思い出したようだった。
私たちは互いに頭を下げあって、逆の方向へと別れた。
いいことをするのはやはり気持ちがいい。人の温かさに触れたという嬉しさが、老人の表情からも見て取れた。
大金を、得た。
私は非道だろうか。
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