★『主上』『王』『王者』『皇帝』『帝』『天皇』
世情で色んな事が囁かれ議論されている。
定義として以下のものに成る。
・陛下とは橋の袂にいて帝と庶民とを繋ぐ使者との解釈で居たが下段に示す意味でハッキリした。
理解してきたそのままで意味は通る。
調べれば調べるほど成立するまでには色んな葛藤が有ったようだ。
頭の悪い私では総てが理解できるわけではないが大まかな事は理解できた。
戦国時代などに政権を争った意味が解る。
どんなに時代が進もうとも天皇よりも上に位置することはどの人物も避け
むしろそのシステムを守ることで自分の身の安泰を休んじていた。
現代は その天皇よりもむしろ上に立ちたいと願う人がいかに多いことか。
現実には陛下のされていることはどんなスーパーマンでも身代わりは出来無い。
モシ世情に言われる女帝などが立った場合
その旦那が卑しい身分のものでもなれることに成る。
旦那が世襲をした場合は陛下の
あの体力 精神力はとても持てるものではないと思う。
DNAに書き込まれ子供の頃よりその中に引き継がなければ到底務まるものではない。
ソレこそ今日は気分がすぐれぬ 体がだるいなどと行ってずるを起こすのが落ちではなかろうか。
何をおいても守りぬかないと日本民族の滅亡に繋がる。
神風だけを当てにしていてはダメに思える。
戦後に米国が日本に行なってきた施策
それと手を組んだ反日と言われる勢力。
一致団結して国難に立ち向かった日本民族の気持ちが解る。
太陽シンボルの国旗。
自然崇拝の民族。
だからナノだろうと理屈抜きで理解できる。
諸外国が日本が怖いというのはこの辺りに有るのではなかろうか。
◆敬称 - Wikipedia http://bit.ly/xykMQp
個人を特定し「様」を利用したり(当然、相手方姓名は列記される事になる)、団体には「御中」を利用するなどの考慮も必要である。
「各位殿」「各位様」という表現は、二重敬称にあたるため好ましくない。
主上(しゅじょう)・聖上(せいじょう):天皇に対して呼びかける語。
またはそれ自体が独立した呼称として用いられる。
(使われていたのは昭和天皇在位中まで。
21世紀初頭の現在では宮内庁、それも内廷関係者以外ではあまり用いられない)。
◆10分でわかる「平家物語」巻七「主上都落」(都落ちをすることを決意した平宗盛と建礼門院徳子の会話)
http://manabiyah.seesaa.net/article/382241522.html
2012年06月21日
源氏の方には十郎蔵人行家、数千騎で宇治橋より入るとも聞えけり。
陸奥新判官義康が子、矢田判官代義清、大江山をへて上洛すとも申しあへり。
摂津国河内の源氏等、雲霞のごとくに同じく都へみだれ入るよし聞えしかば、
平家の人々「此上はただ一所でいかにもなり給へ」とて、方々へ
むけられたる討手共、都へ皆よび返されけり。帝都名利地、鶏鳴て安き事なし。
をさまれる世だにもかくのごとし。況や乱れたる世においてをや。
吉野山の奥のおくへも入りなばやとはおぼしけれども、諸国七道悉くそむきぬ。
いづれの浦かおだしかるべき。三界無安猶如火宅とて、
如来の金言一乗の妙文なれば、なじかはすこしもたがふべき。
同じき七月廿四日のさ夜ふけがたに、前内大臣宗盛公、建礼門院の
わたらせ給ふ六波羅殿へ参ッて申されけるは、
「此世のなかのあり様、さりともと存じ候ひつるに、いまはかうにこそ候ふめれ。ただ都のうちでいかにもならんと、人々は申しあはれ候へ共、まのあたりうき目を見せ参らせむも口惜しう候へば、院をも内をもとり奉ッて、西国の方へ御幸行幸をもなし参らせて見ばやとこそ思ひなッて候へ」と申されければ、女院「今はただともかうも、そこのはからひにてあらんずらめ」とて、御衣の御袂にあまる御涙せきあへさせ給はず。大臣殿も直衣の袖しぼる計に見えられけり。
◆主上都落(しゅしょうのみやこおち)
かくなる上は、一門の者はみな集まって一緒に 最期を遂げようではないか」
それさえできれば源氏に対して名目上の正義を保持でき たのですが、法皇を失えばその効力は半分、いやそれ以下に減ってしまいます。
◆朗読 平家物語 主上都落 http://bit.ly/ye6PLV
主上都落
平家物語:主上都落(一)朗読mp3
平家物語:主上都落(二)朗読mp3
平家物語巻第七「主上都落(しゅしょうのみやこおち)」です。木曾義仲の 上洛を前に平家一門は安徳天皇と後白河法皇の身柄をとり奉って都落ちを決意します。 しかし法皇は事前にこれを察知、身を隠します。
◆しゅ‐じょう〔‐ジヤウ〕【主上】
《古くは「しゅしょう」》天皇を敬っていう語。至尊。
◆みやこ‐おち【都落】
〘名〙
① 都にいられなくなって地方へ逃げ出すこと。特に、戦争などで、それまで都で栄えていた人々が都から逃げて行くこと。
※高野本平家(13C前)七「主上都落」
② 転じて、都会、特に東京を離れて地方に就職したり、地方の学校に入学したりすること。
※青春(1905‐06)〈小栗風葉〉秋「閉院すると共に都落(ミヤコオチ)と決めて」
◆王 - Wikipedia http://bit.ly/w4lIXi
王(おう)は、標準的な君主号であり、皇帝よりは下位とされる。
皇帝号登場後の東 アジア地域では諸侯や皇族の称号としても用いられる。
君主号としては、国王とも。
また、特定の領土を持たずとも、ある部族や種族の長たる者を王と呼ぶ。
◆王者とは - はてなキーワード http://bit.ly/yN41pt
1.王である人のこと。王国の国王の地位にある者など。
2.同類のものや 集団の中で最も実力のある者や最高の地位にある者のこと。
3.孟子の思想で王道を 用いて国を治める者のこと。対義語は「覇者」。
◆君主(くんしゅ)http://bit.ly/xcYelp
一般には世襲により国家を治める最高位の人。伝統的には国家で特定の一人が主権を持つ場合、その主権者が君主であるが、世襲君主の他、選挙君主も存在する。通常は皇帝、国王、大公、公などの君主号を伴うが、特定の称号を持たないものもある。
◆皇帝=『帝』 - Wikipedia http://bit.ly/wbiWQt
皇帝(こうてい、ラテン語: Imperator, 英語: emperor, ドイツ語: Kaiser, ギリシア語: Βασιλευς, ロシア語: император, トルコ語: İmparator)は、君主の称号(君主号)の一種であり、伝統的には、標準的な君主号である「王」よりも上位のものとして観念される。
女性の場合、女帝、女皇などと言うこともある。
なお、皇帝の正妻を皇后というが、皇妃ということもある。
◆天皇 - Wikipedia http://bit.ly/k9F9Je
規定された日本国および日本国民統合の象徴たる地位、または当該地位にある個人。
7世紀頃に大王が用いた称号に始まり、歴史的な権能の変遷を経て現在に至っている。
在位中の天皇は、上皇明仁第1皇子である徳仁(今上天皇)。
「てんのう」は、「てんおう」の連声(れんじょう)とされる。
古代の日本では、ヤマト王権の首長を「大王」(オオキミ)といったが、天武朝ごろから中央集権国家の君主として「天皇」が用いられるようになった。
「天皇」は大和朝廷時代の大王が用いた称号であり、奈良時代から平安時代にかけて政治・祭祀の頂点だったが、摂関政治・院政・武家の台頭により政治的実権を失っていった
近年の研究では、「天皇」号が成立したのは大宝律令で「天皇」号が法制化される直前の天武天皇ないしは持統天皇の時代(7世紀後半)とするのが通説である。7世紀後半は、唐の高宗皇帝の用例の直後にあたる。
◆天皇の一覧 - Wikipedia http://bit.ly/yXR0Vt
日本の歴代天皇およびその他の天皇の一覧である。
◆陛下(へいか)http://bit.ly/ydVEAb
皇帝・天皇の敬称。転じて国王の敬称としても用いられる。
また、日本では皇室典範の制定以後は、后位(皇后・皇太后・太皇太后)の敬称としても採用される。
尊敬の対象を直接呼び掛けることを忌むことで敬意を示す敬称であり、「玉座、高御座(たかみくら)の陛(階段)の下においでのお取り次ぎの方にまで申し上げます」程度の意味。
元は中国・秦において採用されたとされ、後漢の蔡邕の説によれば、「陛」とは皇帝のいる宮殿の階段のことであり、皇帝に上奏する者は「陛」の下にいる侍衛の臣にその内容を告げて奏し、侍衛の臣が上奏者に代わって上奏したことに由来したという説を唱えている。
日本では律令法の「儀制令」において天皇に上奏する際の敬称として「陛下」が採用されて以来、天皇に対してのみ使われる敬称であったが、明治時代に皇室典範が制定された際に天皇に対する一般的な敬称として定められると同時に国母に対する敬意を表するために三宮(皇后・皇太后・太皇太后)に対する敬称としても用いることが許されるようになった。
また、広義には、皇帝や国王に相当する地位にある者(皇后、王妃、スルタンなど)への敬称としても用いられ、この場合は例えば英語のYour/His/Her (Imperial, Royal, etc.) Majestyとほぼ互換出来る。
世情で色んな事が囁かれ議論されている。
定義として以下のものに成る。
・陛下とは橋の袂にいて帝と庶民とを繋ぐ使者との解釈で居たが下段に示す意味でハッキリした。
理解してきたそのままで意味は通る。
調べれば調べるほど成立するまでには色んな葛藤が有ったようだ。
頭の悪い私では総てが理解できるわけではないが大まかな事は理解できた。
戦国時代などに政権を争った意味が解る。
どんなに時代が進もうとも天皇よりも上に位置することはどの人物も避け
むしろそのシステムを守ることで自分の身の安泰を休んじていた。
現代は その天皇よりもむしろ上に立ちたいと願う人がいかに多いことか。
現実には陛下のされていることはどんなスーパーマンでも身代わりは出来無い。
モシ世情に言われる女帝などが立った場合
その旦那が卑しい身分のものでもなれることに成る。
旦那が世襲をした場合は陛下の
あの体力 精神力はとても持てるものではないと思う。
DNAに書き込まれ子供の頃よりその中に引き継がなければ到底務まるものではない。
ソレこそ今日は気分がすぐれぬ 体がだるいなどと行ってずるを起こすのが落ちではなかろうか。
何をおいても守りぬかないと日本民族の滅亡に繋がる。
神風だけを当てにしていてはダメに思える。
戦後に米国が日本に行なってきた施策
それと手を組んだ反日と言われる勢力。
一致団結して国難に立ち向かった日本民族の気持ちが解る。
太陽シンボルの国旗。
自然崇拝の民族。
だからナノだろうと理屈抜きで理解できる。
諸外国が日本が怖いというのはこの辺りに有るのではなかろうか。
◆敬称 - Wikipedia http://bit.ly/xykMQp
個人を特定し「様」を利用したり(当然、相手方姓名は列記される事になる)、団体には「御中」を利用するなどの考慮も必要である。
「各位殿」「各位様」という表現は、二重敬称にあたるため好ましくない。
主上(しゅじょう)・聖上(せいじょう):天皇に対して呼びかける語。
またはそれ自体が独立した呼称として用いられる。
(使われていたのは昭和天皇在位中まで。
21世紀初頭の現在では宮内庁、それも内廷関係者以外ではあまり用いられない)。
◆10分でわかる「平家物語」巻七「主上都落」(都落ちをすることを決意した平宗盛と建礼門院徳子の会話)
http://manabiyah.seesaa.net/article/382241522.html
2012年06月21日
源氏の方には十郎蔵人行家、数千騎で宇治橋より入るとも聞えけり。
陸奥新判官義康が子、矢田判官代義清、大江山をへて上洛すとも申しあへり。
摂津国河内の源氏等、雲霞のごとくに同じく都へみだれ入るよし聞えしかば、
平家の人々「此上はただ一所でいかにもなり給へ」とて、方々へ
むけられたる討手共、都へ皆よび返されけり。帝都名利地、鶏鳴て安き事なし。
をさまれる世だにもかくのごとし。況や乱れたる世においてをや。
吉野山の奥のおくへも入りなばやとはおぼしけれども、諸国七道悉くそむきぬ。
いづれの浦かおだしかるべき。三界無安猶如火宅とて、
如来の金言一乗の妙文なれば、なじかはすこしもたがふべき。
同じき七月廿四日のさ夜ふけがたに、前内大臣宗盛公、建礼門院の
わたらせ給ふ六波羅殿へ参ッて申されけるは、
「此世のなかのあり様、さりともと存じ候ひつるに、いまはかうにこそ候ふめれ。ただ都のうちでいかにもならんと、人々は申しあはれ候へ共、まのあたりうき目を見せ参らせむも口惜しう候へば、院をも内をもとり奉ッて、西国の方へ御幸行幸をもなし参らせて見ばやとこそ思ひなッて候へ」と申されければ、女院「今はただともかうも、そこのはからひにてあらんずらめ」とて、御衣の御袂にあまる御涙せきあへさせ給はず。大臣殿も直衣の袖しぼる計に見えられけり。
◆主上都落(しゅしょうのみやこおち)
かくなる上は、一門の者はみな集まって一緒に 最期を遂げようではないか」
それさえできれば源氏に対して名目上の正義を保持でき たのですが、法皇を失えばその効力は半分、いやそれ以下に減ってしまいます。
◆朗読 平家物語 主上都落 http://bit.ly/ye6PLV
主上都落
平家物語:主上都落(一)朗読mp3
平家物語:主上都落(二)朗読mp3
平家物語巻第七「主上都落(しゅしょうのみやこおち)」です。木曾義仲の 上洛を前に平家一門は安徳天皇と後白河法皇の身柄をとり奉って都落ちを決意します。 しかし法皇は事前にこれを察知、身を隠します。
◆しゅ‐じょう〔‐ジヤウ〕【主上】
《古くは「しゅしょう」》天皇を敬っていう語。至尊。
◆みやこ‐おち【都落】
〘名〙
① 都にいられなくなって地方へ逃げ出すこと。特に、戦争などで、それまで都で栄えていた人々が都から逃げて行くこと。
※高野本平家(13C前)七「主上都落」
② 転じて、都会、特に東京を離れて地方に就職したり、地方の学校に入学したりすること。
※青春(1905‐06)〈小栗風葉〉秋「閉院すると共に都落(ミヤコオチ)と決めて」
◆王 - Wikipedia http://bit.ly/w4lIXi
王(おう)は、標準的な君主号であり、皇帝よりは下位とされる。
皇帝号登場後の東 アジア地域では諸侯や皇族の称号としても用いられる。
君主号としては、国王とも。
また、特定の領土を持たずとも、ある部族や種族の長たる者を王と呼ぶ。
◆王者とは - はてなキーワード http://bit.ly/yN41pt
1.王である人のこと。王国の国王の地位にある者など。
2.同類のものや 集団の中で最も実力のある者や最高の地位にある者のこと。
3.孟子の思想で王道を 用いて国を治める者のこと。対義語は「覇者」。
◆君主(くんしゅ)http://bit.ly/xcYelp
一般には世襲により国家を治める最高位の人。伝統的には国家で特定の一人が主権を持つ場合、その主権者が君主であるが、世襲君主の他、選挙君主も存在する。通常は皇帝、国王、大公、公などの君主号を伴うが、特定の称号を持たないものもある。
◆皇帝=『帝』 - Wikipedia http://bit.ly/wbiWQt
皇帝(こうてい、ラテン語: Imperator, 英語: emperor, ドイツ語: Kaiser, ギリシア語: Βασιλευς, ロシア語: император, トルコ語: İmparator)は、君主の称号(君主号)の一種であり、伝統的には、標準的な君主号である「王」よりも上位のものとして観念される。
女性の場合、女帝、女皇などと言うこともある。
なお、皇帝の正妻を皇后というが、皇妃ということもある。
◆天皇 - Wikipedia http://bit.ly/k9F9Je
規定された日本国および日本国民統合の象徴たる地位、または当該地位にある個人。
7世紀頃に大王が用いた称号に始まり、歴史的な権能の変遷を経て現在に至っている。
在位中の天皇は、上皇明仁第1皇子である徳仁(今上天皇)。
「てんのう」は、「てんおう」の連声(れんじょう)とされる。
古代の日本では、ヤマト王権の首長を「大王」(オオキミ)といったが、天武朝ごろから中央集権国家の君主として「天皇」が用いられるようになった。
「天皇」は大和朝廷時代の大王が用いた称号であり、奈良時代から平安時代にかけて政治・祭祀の頂点だったが、摂関政治・院政・武家の台頭により政治的実権を失っていった
近年の研究では、「天皇」号が成立したのは大宝律令で「天皇」号が法制化される直前の天武天皇ないしは持統天皇の時代(7世紀後半)とするのが通説である。7世紀後半は、唐の高宗皇帝の用例の直後にあたる。
◆天皇の一覧 - Wikipedia http://bit.ly/yXR0Vt
日本の歴代天皇およびその他の天皇の一覧である。
◆陛下(へいか)http://bit.ly/ydVEAb
皇帝・天皇の敬称。転じて国王の敬称としても用いられる。
また、日本では皇室典範の制定以後は、后位(皇后・皇太后・太皇太后)の敬称としても採用される。
尊敬の対象を直接呼び掛けることを忌むことで敬意を示す敬称であり、「玉座、高御座(たかみくら)の陛(階段)の下においでのお取り次ぎの方にまで申し上げます」程度の意味。
元は中国・秦において採用されたとされ、後漢の蔡邕の説によれば、「陛」とは皇帝のいる宮殿の階段のことであり、皇帝に上奏する者は「陛」の下にいる侍衛の臣にその内容を告げて奏し、侍衛の臣が上奏者に代わって上奏したことに由来したという説を唱えている。
日本では律令法の「儀制令」において天皇に上奏する際の敬称として「陛下」が採用されて以来、天皇に対してのみ使われる敬称であったが、明治時代に皇室典範が制定された際に天皇に対する一般的な敬称として定められると同時に国母に対する敬意を表するために三宮(皇后・皇太后・太皇太后)に対する敬称としても用いることが許されるようになった。
また、広義には、皇帝や国王に相当する地位にある者(皇后、王妃、スルタンなど)への敬称としても用いられ、この場合は例えば英語のYour/His/Her (Imperial, Royal, etc.) Majestyとほぼ互換出来る。