縄文人の志葉楽さんのブログ

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●日本の正月 年中行事

2020年01月19日 02時40分58秒 | 文化
●日本の正月 年中行事
朝三時か四時位で置きられて 禊(みそぎ)日本人が何ん大事な時に 頭から水を被り 身に付いた 不浄を長い晒す。
どうも 大晦日から 心の準備にかかり禊に挑み。
四時ころから正装に着替えて宮殿に入られる。
●四方拝   https://www.dailymotion.com/video/xywgem
史上初!天皇陛下の正月祭祀 【四方拝】
 
●四時間くらいはかかるようで 立ち居づわりが多く 体調の悪い時はお休み。
 
●四方拝と初詣の意義 〜皆さん初詣に行きましょう!〜 【CGS ねずさん 新年特別編1】   https://youtu.be/VV7y-Qy5D5U     2017/01/01
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CGSをご覧の皆様、明けましておめでとうございます!
今年も、元旦から配信です。今回は久しぶりの「ねずさんとふたりごと」特別編を3が日連続で配信致します。
今回は、1年の中で最初に行われる宮中儀式「四方拝」と初詣の関連を解説します。これは、天皇陛下が元旦の夜の明ける前に「全ての災難を引き受けるため」お祈りをされる行事です。
そして、それに感謝の意思を表すために、民衆が日が昇ってから初詣に行きます。
皆様も、四方拝や初詣の正しい意義を知って、お正月を過ごす事が出来るとさらに豊かな気持ちになれるかもしれません。
 
●四方拝【しほうはい】
年のはじめに天地四方を拝して年災をはらい豊作を祈る儀式。古くから行われたが,平安に入って年頭恒例の儀式となり,天皇以下広く庶民の間でも行われた。天皇は元朝寅(とら)の刻,清涼殿東庭に設けた座で行った。鎌倉以降は堂上家中心の行事となり,江戸時代には内裏だけとなった。明治以後は神嘉殿南庭に座を設けて行うようになった。
→関連項目元日|建武年中行事|歳旦祭|天長節
 
●四方拝   https://youtu.be/4OhyMx4lmdA   2015/09/14
(市山神友会 桜江町市山)
 
◆これから始まる。
 
◆初詣 - Wikipedia
http://www.org.com/wiki/初詣
初詣・初詣で(はつもうで)とは、年が明けてから初めて神社や寺院などに参拝する行事。一年の感謝を捧げたり、新年の無事と平安を祈願したりする。初参・初参り(はつまいり)ともいう。
歴史
元々は「年籠り」(としこもり、としごもり)と言い、家長が祈願のために大晦日の夜から元日の朝にかけて氏神神社に籠る習慣であった。やがて年籠りは、大晦日の夜の「除夜詣」と元日の朝の「元日詣」との2つに分かれ、元日詣が今の初詣の原形となった。治承5年に源頼朝が鶴岡若宮に参詣したことが初詣が広まるきっかけになったとの指摘もある。
戸時代末期までの元日の社寺参拝としては、氏神神社に参詣したり、居住地から見て恵方にあたる社寺に参詣(恵方詣り)したりといったことが行われた。
「年籠り」形式を踏まず、単に社寺に「元日詣」を行うだけの初詣が習慣化したのはそれほど古い時代ではなく明治中期のことで当時の鉄道会社が神社とキャンペーンをして遠方の有名神社へ初詣する風習を作り出したとされている。また、氏神や恵方とは関係なく、有名な社寺に参詣することが一般的になった。俳句で「初詣」が季語として歳時記に採用されたのは明治末期であり、実際に「初詣」を詠んだ俳句が登場するのは大正時代以降であるという。
また現在でも、除夜に一度氏神に参拝して一旦家に帰り、元旦になって再び参拝するという地方がある。これを二年参りという。
 
◆ルール
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この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2017年1月)
初詣の対象は神社・寺院のいずれでもかまわないとされている。これは明治時代初期に神仏分離が行われる前は、神道と大乗仏教ならびに祖霊信仰が一体化した神仏習合による信仰が一般化していたためである。つまり、初詣に限らず社寺への参詣に神道・仏教の区別はあまり無いとされていたことの名残である。
初詣には、定められた規定は特に無い。『デジタル大辞泉』の定義では年明け最初の参拝を初詣としている(時期や期間については触れていない)。「年が明けてから初めて神社や寺院などに参拝する行事」であるため、年内ならいつ参拝に行っても、その参拝が年内最初の参拝であれば「初詣」となる場合もある
 
◆水天宮|行事のご案内
http://www.suitengu.or.jp/koyomi/水天宮
水天宮(すいてんぐう)は、福岡県久留米市の水天宮(久留米水天宮)を総本宮とし、日本全国にある神社である。
祭神
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、安徳天皇、高倉平中宮(建礼門院、平徳子)、二位の尼(平時子)を祀るが、これとは異なる祭神の水天宮もある。
 
◆意外と知らない?年賀状の由来と歴史、豆知識|富士フイルムの ...
https://www.postcard.jp/nenga/column/01nenga-yurai.html
昔から大切な人と交わされてきた年賀状。
そこには人とのつながりを大切に、相手を思いやる日本人の心が現れています。
メールが普及した現在でも年賀状の販売枚数は国民一人あたり約27枚。
ところでこの風習、一体いつから始まったかご存じですか?
■平安時代にもあった!年賀状は日本の伝統文化
年賀状の歴史は古く、平安時代までさかのぼります。
現存する日本最古の年賀状といわれるのが、平安時代の学者である
藤原明衡が作った手紙の文例集『庭訓往来』の中にある正月の文例。
「春の始めの御悦び、貴方に向かってまず祝い申し候」
(春始御悦向貴方先祝申候訖)とあります。
同時に平安時代頃からは年の始めにお世話になった人や親族の家をまわって
挨拶をする「年始回り」の習慣も広まりました。
これは大正時代あたりまで広く行われ、正月は挨拶のために
行き来する人々で通りが混雑するほどだったとか。
 
◆年始回りの日時や注意点……元旦を避けるのがマナ
https://allabout.co.jp/gm/gc/71814/
2019/09/22
年始回りの始まりは、本家と分家に分れた一族がお互いの家を
訪ねてお正月を祝ったのが始まり。
「年賀」「年礼」ともいいます。
現在では実家や親類、直属の上司、特にお世話になった知人、
仲人の家を訪問するのが一般的です。
しかし、最近では年末年始を海外で過ごしたりして家族水いらずで
お正月を過ごされる方も多くなり、お年始の挨拶まわりもそれほど多く
行われていないようです。
それでも仲人やお世話になった方へお年始のご挨拶に伺うのが礼儀です。
また、頼まれ仲人の場合でも結婚後3年はお年始の挨拶をするのが一般的。
それ以降は年賀状での挨拶に切り替えてもよいでしょう。
<目次>
お年始の挨拶に伺う日、時間、その他注意点は?
年始回りのお年玉マナー
年始回りの服装マナー
お年始の品(年賀の品)選びは?
お歳暮を贈っていない場合は?
相手が喪中の場合の年始回り
 
◆屠蘇 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/屠蘇
屠蘇(とそ)または、お屠蘇(おとそ)
一年間の邪気を払い長寿を願って正月に呑む縁起物の酒であり風習である。
屠蘇」とは、「蘇」という悪鬼を屠(ほふ)るという説や、悪鬼を屠り魂を蘇生させるという説など、僅かに異なる解釈がいくつかある。
中国の漢の時代に、華佗が発明した薬酒であり、平安時代初期の嵯峨天皇の時代に日本に伝わってきたと言われています。
数種の薬草を組み合わせた屠蘇散(とそさん)を赤酒・日本酒・みりんなどに浸して作る。
屠蘇は、通常、屠蘇器(とそき)と呼ばれる酒器揃えによって供される。屠蘇器は、屠蘇散と日本酒・味醂を入れる銚子(ちょうし)、屠蘇を注ぐ盃、重ねた盃をのせる盃台、これらを載せる盆からなる。屠蘇器には、漆器製、陶磁器製、ガラス製など様々な種類がある。
小・中・大の三種の盃を用いて飲むが、「一人これを呑めば一家病無く、一家これを呑めば一里病無し」と言われ、日本の正月の膳などに呑まれる。
元日の朝、年少の者から年長の者への順に頂く。
屠蘇散


屠蘇散の処方は『本草綱目』では赤朮・桂心・防風・菝葜・大黄・鳥頭・赤小豆を挙げている。
現在では山椒・細辛・防風・肉桂・乾姜・白朮・桔梗を用いるのが一般的である。
人により、健胃の効能があり、初期の風邪にも効くという。時代、地域などによって処方は異なる。
 
◆お年玉 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/お年玉
お年玉(おとしだま、御年玉)は、新年を祝うために贈られる金品のこと。
単に年玉(としだま)ともいう。
現在では特に子供に金銭を与える習慣及びその金銭の意で用いられている。
歳暮と異なり、目上の者が目下の者に贈るのが特徴。
反対に、目下の者が目上の者に贈る場合はお年賀(御年賀)という。
 
◆正月 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/正月
正月(しょうがつ)は、各暦の年初のことである。
文化的には旧年が無事に終わったことと新年を祝う行事である。
正月飾りをし、正月行事を行ったり御節料理を食べて、盛大に祝う。
日本では、1月1日の元日のみを国民の祝日としているが、
少なくとも3日までの三箇日は事実上の祝日と同じ状態となる。
 
◆正月事始め - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/正月事始め
正月事始め(しょうがつごとはじめ)とは、正月を迎える準備を始めること。かつては旧暦12月13日、現在は新暦12月13日に行われる。昔はこの日に門松やお雑煮を炊くための薪など、お正月に必要な木を山へ取りに行く習慣があった。
江戸時代中期まで使われていた宣明暦では12月13日の二十七宿は必ず「鬼」になっており、鬼の日は婚礼以外は全てのことに吉とされているので、正月の年神様を迎えるのに良いとして、この日が選ばれた。その後の改暦で日付と二十七宿は同期しなくなったが、正月事始めの日付は12月13日のままとなった。
なお、歳時故實大概では2月8日を神代武甕槌命魔鬼制伏出陣の日として事始、12月8日を帰陣の日として事納とする説を紹介しており、12月8日を正月の事を取り賄い始める日、2月8日を正月の事を取り賄い納める日とするのを国俗としている。
また、江戸總鹿子新増大全 七巻「江都年中行事」、歳時故實大概「二月」、俳諧歳時記「二月」、近世事物考「初編」、用捨箱「上編」の各記事では正月の事始を十二月八日、正月の事納を二月八日としている。
年年隨筆「六巻」には、江戸では十二月八日を事始としており、尾張では十二月十三日を事始としている、との記事がある。
京都祇園では、芸妓や舞妓が芸事の師匠宅やお茶屋を訪れ、あいさつをする習わしが続いている。
 
◆年越し - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/年越し
年越し(としこし)は1年の最後の日、グレゴリオ暦で12月31日であり、多くの地域ではシルヴェスターの日と呼ぶ。
多くの国で、年越しの夜の会合で多くの人が踊り、食べ、酒を飲んで、新年を迎える花火で祝う。
年越しの礼拝に行く人たちもいる。
祝祭は通常、深夜0時を過ぎ1月1日(元日)まで続く。キリバスとサモアが最も早く新年を迎える国であり、ハワイ州ホノルルが最後の地域である。
 
◆年越し蕎麦   https://ja.wikipedia.org/wiki/年越し蕎麦
年越しそば(としこしそば)
大晦日(12月31日)に縁起を担いで食べる蕎麦で、
歳末の日本の風物詩ともなっている、日本の文化であり風習である。
地域による特色があり、
呼び方も晦日蕎麦、
大年そば、
つごもり蕎麦、
運蕎麦、また、
大晦日蕎麦、
年取り蕎麦、
年切り蕎麦、
縁切り蕎麦、
寿命蕎麦、
福蕎麦、
思案蕎麦と多くある。
江戸時代には定着した日本の文化であり、ソバは他の麺類よりも切れやすいことから「今年一年の災厄を断ち切る」という意味で、大晦日の晩の年越し前に食べる(#歴史と由来を参照)蕎麦である(地域差もある。後述)。2012年現在、大晦日に年越しそばを食べる人は57.6パーセントにのぼり、風習として深く定着していることが窺える。
日本各地に見られる文化であり、地域の特色の現れたさまざまな形式のそばが存在する。
正月十四日 十四日年越とて、節分になぞらへ祝う。この日そば切を食ふ人多し。
-----大坂繁花風土記
遅くとも1814年には大坂で年越しそばが、日本の文化として定着していたことが窺える。
さらに年越し蕎麦の起源をさかのぼると、江戸時代中期には商家に月の末日に蕎麦を食べる三十日蕎麦(みそかそば)という習慣があり、これが転じて大晦日だけに行われる年越し蕎麦になったと考えられている
 
◆お年玉   https://ja.wikipedia.org/wiki/お年玉
お年玉(おとしだま、御年玉)
新年を祝うために贈られる金品のこと。
単に年玉(としだま)ともいう。
現在では特に子供に金銭を与える習慣及びその金銭の意で用いられている。
歳暮と異なり、目上の者が目下の者に贈るのが特徴。
反対に、目下の者が目上の者に贈る場合はお年賀(御年賀)という。
概要
お年玉の語源は、正月に歳神(年神)を迎えるために供えられた、
丸い鏡餅=(歳神(年神)の霊魂が宿った依り代、歳神(年神)の象徴)が、
家長によって子供に分け与えられ、その餅が「御歳魂(おとしだま)」と
呼ばれたことから、とする説がある。
つまり、その年を、
1年間を、生きるために必要な、歳神(年神)の霊魂=生命を、
子供に分け与えることで、子供の無事な成長を願う、宗教的な意味がある。
また、これを年のありがたい賜物(たまもの)である
として「年賜(としだま)」と呼ばれたことから、とする説もある。
お年玉の習慣は中世にまでさかのぼり、
主として武士は太刀を、
町人は扇を、
医者は丸薬を贈った。
現代のように現金を渡すのが一般的になったのは、昭和30年代以降
だとされている。
これは、経済成長とともに農村社会が解体され都市生活者となり、
稲(米)や餅を作らなくなった代わりだともされている。
 
◆お年玉袋   https://ja.wikipedia.org/wiki/お年玉袋
お年玉袋(おとしだまぶくろ)は、正月にお年玉をあげる際にお金(主に紙幣)を入れる袋のこと。
紙製のものが多く、名刺大から長形4号封筒のサイズぐらいのものまである。
「ポチ袋」(点袋)と呼ばれることもあるが、
この「ポチ」は関西方言で「心づけ、祝儀」を意味し、
もっぱら舞妓などに与えていた祝儀袋のことであった。
「ポチ」には「小さな」(これっぽち)という意味があり、
「少ないですが」という謙虚な気持ちで与えたのが始まりである。
近年では全国共通で「ポチ袋」と呼称される事が多い。
なお、日本では白地が主流だが、中華圏では赤地が主流で、
「紅包」「紅包袋」などと呼ばれる。
 
◆初夢   https://ja.wikipedia.org/wiki/初夢
初夢(はつゆめ)とは、新年のある夜に見る夢。
この夢の内容で、1年の吉凶を占う風習がある。
字義どおりに新年最初に見る夢とされることは少なく、
現代では元日(1月1日)から2日の夜、
または、2日から3日の夜に見る夢とされることが多い。
 
◆正月遊び
・凧(たこ)
・福笑い(ふくわらい)
・手まり
・毬杖(ぎっちょう)
・百人一首
・かるた
・コマ回し
・羽子板
・羽根突き
・書き初め
 
◆七草 (カテゴリ 正月)
草なずな 唐土の鳥が、日本の土地に、渡らぬ先に、合わせて、バタクサバタクサ」など地方により多少の違いがある。 七種の行事は「子(ね)の日の遊び」とも呼ばれ、正月最初の子の日に野原に出て若菜を摘む風習があった。『枕草子』にも、「七日の若菜を人の六日にもて騒ぎ……」とある。
 
◆三ヶ日   https://ja.wikipedia.org/wiki/三ヶ日
正月三が日(しょうがつさんがにち)とは、1月1日(元日)・1月2日・1月3日の3日間である。単に三が日とも呼ばれる。
 
◆鏡開き   https://ja.wikipedia.org/wiki/鏡開き
鏡開き(かがみびらき)・鏡割り(かがみわり)とは、正月に神(年神)や仏に供えた鏡餅を下げて食べる、日本の年中行事である。神仏に感謝し、無病息災などを祈って、供えられた餅を頂き、汁粉・雑煮、かき餅(あられ)などで食される。
 
◆初釜(はつかま、はつがま)
年始めの茶会のこと。




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