幼少期のあの頃

正解などなかった。


木々はただ美しかったし

道を歩けば、発見と驚きの連続で

世界はいつでも新しいままだった。


出逢う人の人間性に興味はなく、

ただ会話をすることが好きだった。


疑うことを知らず

嫌なことをされれば泣くだけだった。


夜はお祭りに行くと

提灯の灯りがきらめいていて

やきそばを焼く匂いにときめいていた。


親に怒られれば泣き

褒められると自慢げになり

笑ったり泣いたり

そこにどんな思惑もなかった。


そして。


世界そのものを楽しんでいた。


人生が与えてくれる経験を

わたしはわたしなりに味わい尽くしていた。


大人になる頃には

世界を味わうことは忘れた。


他人の人物評価をしてみたり

意見が合わなければ喧嘩をしたり

自分のストレスを吐き出すように

陰口するようになった。


一度行ったお店に評価を下し

あそこの食材はどうだとか

味付けが良いだ悪いだとか

自分の好みを見つけるようになった。


代わりに自分の好みに反するものは

どんどん受け入れられなくなった。


歩く道はいつも同じで

木々はただそこに生えているだけで

新鮮味は全くなく

海外旅行など特別な空間にしか

満足できなくなった。


経験を味わうのではなく

経験を積む。


現代において大人になるとは、

まさにそういうことらしい。








ー この世界に正解など、ひとつもない ー








感情とともに生きていく。

喜びも、悲しみも。

楽しさも苦しみも。



この世界に正解はない。



誰かが言う。

これは正しい。

あれは間違っている…と。

これは好ましく

あれは好ましくない。


この人は優しく

あの人は自分勝手な人。


わたしは正しくて

あの人の考え方が間違っている…



そうして世界はどんどん味気なく

つまらないものへ変わっていく。


正解がひとつしかないような。

そんな選別が、世界をつまらなくさせる。


この世界はもっとずっと広大だ。

個人の思惑が世界の代用になることはない。



どうせ正解などないのだから。

世界をそのまま味わい尽くすのがいい。


木々が美しければ見惚れればいい

非難されて苦しければ苦しむのがいい

楽しい時には心から笑えばいい

悲しい時には悲しめばいい。



ただ味わい尽くすために

いまここにいる。


ただ味わい尽くすために

生きている。