いまここを生きるとは、
リラックスして歩くということ。
レットゴーに他ならない。

それは決していまここを生きようと試みることではない。


スピリチュアルの世界では「いまここ」の大切さを解くブログや書籍が数多く出版されている。
しかし「いまここ」をどう生きたらいいのか具体的にレクチャーしているブログや書籍は見つけられない。なぜだろう。


いまこことはこの瞬間を生きようと意図することではない。
言い換えれば「いまここ」とは、あなたが自分以外の何かに「なる」ことではない。



例えば、思考を断ち切っていまここに集中できるだろうか?やってみるといい。
大切なことだ。

他人の言葉をそのまま信じてはいけない。
あなたは多くの書籍やブログで、いまこことは集中ではないと知っている。
しかし、知識以前にあなたはそれを体感しているだろうか?理解と認知は違う。

いいかな。
あなたはまず自分で体感しなければならない。
他人の言葉を鵜呑みにしてしまうと、あたかもあなたがそれを知った気になってしまうからだ。

あなたが真にいまここを理解していれば、そもそもこのブログを熱心に読む必要はない。

だから、まず試してみることだ。



一 いまこことは意図することではない 一





あなたはただリラックスしている。

思考を断ち切ろう。
無思考でいよう。
光を視覚化しよう。
呼吸を落ち着かせよう。
座禅を極めよう。
瞑想に落ちてみよう。
無思考を目指そう。

ということではない。


あなたはいつでも何かを「目指している」。
あなたは100メートル走をしたことがあるだろう。何を目指したかね?

100m先のゴールを目指して走ったはずだ。

ゴールとは何かね?
ゴールとは未来だ。いまこの地点から見える100メートル先の未来のことだ。



いいかな?
いまこことは目指すことではない。
いまこことは未来ではない。

いまここを目的地とすることがそもそも間違いなのだ。


あなたはずっと探し求めてきた。
もう、いまここを理解する準備は整っている。
なぜならあなたに準備がなければ、このブログのことなど気にも留めないだろうからだ。


あなたがこれまで読んできたもの。
あなたが信じてきたもの。
もう一度。
それら全てが真実かどうか確かめてごらん?


確かめるとは、あなたがこれまで読んできたあるいは信じてきた宗教、スピリチュアル、精神世界、座禅を通じて何か尊く言葉では言い表せない世界。

そう、あなたが思考を超えて真実になれた瞬間があったかどうかを確かめるということだ。


最初はリラックスから初めてみるといい。
肉体のリラックスだ。
緊張が身体のどこかにないか。
よく感じてみることが大切だ。

やがて身体のどこにも緊張がないとき。
あなたは同時に目指すべき目的地がないことを悟る。

そして。

悟るものなど何もなかったことを理解する。