人は何のために生きているのか。

人は一生の中でこのような疑問を抱かずにはいられないだろう。

 

この疑問は現状に対するジレンマだ。

目の前に何かしらの問題があって初めて人は環境に疑問を抱く。

あなたの世界が住みやすければ、このような疑問は決して生まれないだろう。

 

何のために生きているのか。

あなたはこの問題を解くために旅に出なければならなかった。

これまで住んでいた家は決して悪くなかったが

—この問題は何かとても重要なことの様な気がして—

旅に出なければならなかった。

 

20代の頃に迷いはなかった。

時間は無限の様に感じられたし、未来に対するとてつもない期待があった。

この疑問もいつか解決するという希望に満ちていた。

 

30代になる頃には現代社会に順応し、自分の中に確固たる自信が芽生えてくる。

今は社会的役割の中心にあり、この疑問のことなど忘れてしまう。

 

40代には自分の可能性に対する迷いが芽生え、ふと立ち止まるが、その原因が分からなかった。目の前の役割を全うしなければならなかった。

 

そうやって歳を重ねるごとに、自分が旅に出ていることは忘れてしまう。

これが人生のジレンマだ。

社会的役割を果たす中で、自分の答えを探し出すという目的を忘れてしまう。

 

人は何のために生きているのか

 

この問いかけに対する答えは見つけられただろうか。

あなただけの答え。

それは宇宙の真理だ。

あなたの答え以外に正しいものはない。

 

 

……

 

 

答えは言葉のことではない。

言葉という表現しか見つかっていないとしたら。

あなたはまだ答えにたどり着いてはいない。

 

答えとは言い換えると「疑問がない」ということだ。

あなたが当たり前だと受け入れていることに疑問などないだろう。

 

なぜ息をするのか?という問いかけに対し、あなたは生きるためと答えるかね?

逆にあなたは息をしないんですか?と問いかけたくなるはずだ。

答えとはそれだけ当たり前のことを意味している。

答えを知るとはそういうことだ。

 

例えば

子孫を残すため

会社のため

妻のため

子供のため

社会のため

人々のため

生徒のため

財産のため

etc...結論は答えではない。

 

ではどうやってその答えを導き出すのか。

 

答えは言葉で表現できない領域にあること。

問いかけと共に歩くということ。

 

この2点を自覚することにある。

 

あなたはその問いかけを心の中で気にかけながら、様々な体験をする。

友人と会話する時、料理を作るとき、カフェでコーヒーを飲む時。

時にはただ歩いている時でさえ、全てがその答えのヒントになる。

あなたには問いかけを忘れない限り、その答えを必ず導くことができるという機能が備わっている。人はその機能と共にこの世界に生まれてきた。

 

何歳になっても、悩みは絶えない。

なぜなら問いかけから離れたことは一度もなかったからだ。

日々の生活の中で忘れていただけだ。

 

あなたには無限の可能性がある。

いまこそ、その答えを導く旅に出ていることを思い出す時だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしていつかあなたは我が家にたどり着く。

あなたが玄関のドアを開けたその時。

 

真理はそこにある。

 

何のために生きているのか。

その答えは自分の中にすでにあったことに気づく。

 

あなたは片時も真理から離れたことがなかった。

あなたが真理そのものであったことに気づく。

 

その時、あなたは初めて本当の感謝とは何かを知り、涙する。

 

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