脳は記憶で充満している。

それは選別されたものではない。

無選別に経験したものを記録するだけだ。

 

そして…

 

その記憶が好ましい場合は

似たような経験を追い求め

好ましくない場合は

似たような経験から逃れようとする

 

このように「好き」とか「嫌い」という

二極化された感情は身心に刻まれており

その刻まれた感覚から未来を選別している。

 

未来は新しい何かだ。

過去とは全く別物であるにも関わらず

人は選択に迷う場合

過去の記憶を頼りにしている。

これは思考が変化を望まないことを意味する。

 

なぜなら好きを選び嫌いを拒絶することは

過去の経験を反復することに他ならないからだ。

 

現状維持するように私たちは作られている。

 

だが人生では不思議なことが起こる。

 

現状維持を望みながら

変わらない日々に退屈し

変化を望む。

 

現状維持を望んでいながら

現状を変えようと、人生を二極化させる

ということが起きる。

 

この二極化はジレンマそのものだ。

 

あなたが探求者である場合

この原因を探らなければ

探求が止むことはない。

悟りに至ることはない。

 

今日は探究者に対するメッセージだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

一二極化は問題ではない。空こそ問題だ。一

 

 

 

 

 

 

 

あなたは自分自身の思考に

うんざりしたことはないかね。

 

止まることがない他者との比較

解決することのない悩み

無意味な分析

過去に対する妄想

未来に対する不安

 

気づこうが、気づくまいが

思考は常に動いている。

それは制御装置の壊れたシステムだ。

終わることがない会話を続けている。

 

 

思考はその連続性の中で

現状維持を生み出すが

 

困ったことに

私たちの本性は

常に変化とともにある。

 

昨日食べた夕食は身心の栄養となり

不必要なものは、形を変えて排出される。

母胎から生まれた赤子は

成人になり、やがて老人となる。

あれほど共感し合えた恋人は

今では誰かの夫になり。

学生時代に語り合った友は疎遠になり

会話すら交わさない。

情熱を燃やしていた趣味は

今では部屋の片隅に落ち着き

別の趣味に変わっている。

 

そう。

私たちは変化を生きている。

変化こそ生の証明なのだ。

 

現状維持を望む思考は

その生に矛盾している。

 

あなたはそのジレンマの中で

ストレスを抱える。

敏感な人々は瞑想などで

思考を落ち着かせようとするかもしれない。

 

しかし思考の連続性を止めることはできない。

瞑想によって心の平穏を取り戻すことは容易い。しかし思考の連続性は終わらない。

 

 

 

 

 

 

一二極化は問題ではない。空こそ問題だ。一

 

 

 

 

 

 

 

探究者として成長したいならば

二極化という矛盾をただ受け入れ

解決しようとしないことだ。

 

そして、大切なことは

二極化の外に出ることだ。

 

二極化を問題にする限り

それを解決することはできない。

相手をせず、ただ外に出なさい。

 

仮に思考が生に矛盾をもたらそうとしても

何も問題ではない。

生は思考に矛盾しないのだから。

 

あれこれ問題を解決しようとしないことだ。

 

ただ外に出る。

二極化について言えば

解決する必要はない。

問題などない。

 

 

いいかな。

 

 

思考は記憶で充満している。

ただそれだけだ。

思考は現状維持を望んでいる。

そこにどんな問題がある?

 

そこに余計な解釈を加えた時

私たちは問題を目にするのではないかね。

 

問題とすべきは、空についてだ。

空とは自由の別の名前だ。

 

何にも囚われず、ただ浮かび漂う。

 

二極化が起きても

邪魔をする者が現れても

何一つ問題はない。

 

思考は常に考える必要もない問題を

あたかも重要な問題のように問いかけてくるが

それは全くのナンセンスだ。

相手にする価値もない。

 


いいかな。

 

ただ外に出る。

 

このシンプルな言葉を全身で理解しなさい。

 

その時、扉は開かれる。

 

その時仏陀の語る空の意味を理解するだろう。

 

 

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