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昨日、あの忌まわしい事件の判決が言い渡さました。
 
あの事件。
 

2016年7月26日の未明に、神奈川県相模原市緑区にある知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者など45人の方々が、一人の狂者によって次々に刃物で刺された、あの殺傷事件です。

 

入所者19人の方々が死亡、職員2人を含む26人の方々が重軽傷を負いました。

 

 

殺人事件の犠牲者数としては、当時、戦後最悪の事件でした。

 

事件の動機について、逮捕された植松被告は、「意思疎通のとれない重度障害者は人間ではない」「障害者はいなくなればいい」などと、 障害者の方々の存在そのものを否定する供述を繰り返していました。

 

事件後、判明した事実として、植松被告は事件前の2016年2月に衆院議長公邸を訪れ、重度障害者470人を殺害するとの内容の、大島議長宛ての手紙を渡していたということが判明しました。

 

手紙には、「私の目標は重度障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です」などと書かかれていたそうです。

 

私は、精神科医でもカウンセラーでもありませんから、植松被告が何故そのような心理状態に至ったのかはわかりません。

 

しかし、植松被告が語った、「障害者がいなくなることで、家族が楽になる」 という言葉。

 

私は、この言葉を自分自身、完全に否定することができませんでした。

 

私の長男は、現在17歳で重度の知的障害があります。

 

当事者である私の私見ですが、悲しいことに、彼の言葉を否定できない家族は少なからず存在すると思うのです。

 

障害のある子の家族をみて「大変だな」「かわいそうに」と感じたことがある人は、少なくないのではないでしょうか。

 

実際の話として、障害のある子の子育ては本当に大変です。

 

私には、健常者である長女がいますが、子育ての大変さは健常の子と障害のある子では雲泥の差があったと言えます。

 

障害のある子の親御さんの中には肉体的にも精神的にも追い詰められ、私の知り合いにも、お母さんとお子さんが無理心中された事件が以前にありました。

 

しかし、障害のある子を育てる大変さは、その子自身が原因ではなく、わかりにくい法制度や社会福祉制度といった社会インフラが原因ではないか、と思うのです。

 

そして、障害者を取り囲む最大の困難が、植松被告のような障害者に対する強烈な偏見と差別感情に他なりません。

 

私は正直言って、健常者と障害者の方が完全にフラットな立場になる社会が来るとは思いません。

 

しかし、障害者の方に対する無知や無理解を減らし、障害者の家族の方々も利用できる法制度や福祉施策を使って、ほんのちょっとでもいいからフラットな社会に近づく努力はするべきだと思います。

 

 

植松被告の死刑判決は出ましたが、19人の犠牲者の方々は二度と戻ることはありません。
 

あまりに不毛な事件に、言葉が見つからないというのが私の本音です。

自分にできることは、長男をしっかり育てきること、そして、犠牲者の方々への哀悼の意も込め、障害のある方々に少しでもお役に立つこと。

あらためて、犠牲になられた19名の方々のご冥福を心からお祈りいたします。

 

 

 

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