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◆ 恵美須ヶ鼻造船所跡 【世界遺産登録】 洋式軍艦の建造に先駆的な役割をはたした造船所 恵美須ヶ鼻造船所跡 見取り図 嘉永6年(1853)、幕府は各藩の軍備・海防力の強化を目的に大船建造を解禁し、のちに萩藩に対しても大船の建造を要請しました。安政3年(1856)、萩藩は洋式造船技術と運転技術習得のため、幕府が西洋式帆船の君沢型(スクーナー船)を製造した伊豆戸田村に船大工棟梁の尾崎小右衛門を派遣します。尾崎は戸田村でスクーナー船建造にあたった高崎伝蔵らとともに萩に帰り、近海を視察、萩市小畑浦の恵美須ヶ鼻に軍艦製造所を建設することを決定しました。同年12月には萩藩最初の洋式軍艦「丙辰丸」(全長25m、排水量47t、スクーナー船)が、また万延元年(1860)には2隻目の洋式軍艦「庚申丸」(全長43m)が進水します。現在も当時の規模の大きな防波堤が残っています。 「今浦波戸」: 現存する石造防波堤 2隻の洋式軍艦の建造に関わったのは、楫取素彦の兄・松島 剛蔵です。 長崎に赴き勝海舟らと共に長崎海軍伝習所でオランダ人に航海術を3年間学び、帰藩して洋学所・軍艦教授所を創立する。軍艦教授所の門下生には高杉晋作らがいた。長州藩初の西洋式軍艦製造にともない、初代長州藩海軍総督となり、丙辰丸艦長に就任する。 ■ 丙辰丸【へいしんまる】 長州藩が初めて建造した洋式軍艦。安政3年(1856)起工。 木製帆船で、全長約25メートル。 万延元年(1860)、艦長・松島剛蔵のもと、江戸への遠洋航海が行われる。 高杉晋作も乗船しており、数か月日記に記している。 江戸では長州藩士と水戸藩士の交流があり、丙辰丸の船内で「成破の盟約(丙辰丸盟約)」が交わされた。 その後は、第二次長州征伐や戊辰戦争に参加。維新後の明治3年(1870)、商人に貸し渡された。 ■ 庚申丸【こうしんまる】 長州藩が丙辰丸の次に建造した洋式軍艦。万延元年(1860)進水。 木製帆船で、全長約25メートル(あるいは35メートル)、30斤砲6門を備えていた。 文久3年(1863)、関門海峡にて攘夷戦を始めるが、アメリカ軍艦に砲撃され沈没。その後引き揚げて修復され、第二次長州征伐で幕府軍と戦った。
by kfujiken2
| 2019-08-31 17:31
| 歴史
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Comments(1)
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