七五三。
真ん中がわたし。
7歳ってこと?





教育熱が止まらない!笑





わたしが教育に熱かったのは
小学生の時から。


子どもをどう育てるべきか。


無意識によく
そんなことを考え
周りの大人を観察してたよ。






子どもの頃の感覚

子どもの頃の記憶

よく覚えてるの。




紹介しよう!!













星大人は子どもをバカにする


やーいやーい!
っていうやつじゃなくて

愛と優しさのあるやつ。


おばあちゃん、
○○しましょうね〜〜〜〜
みたいなやつ。

善意だけどバカにしてることに
変わりがない。

「ああ、まともに話を聞いてくれない」
「なにその赤ちゃん言葉」
「話通じない」
「早く大人になりたい。(まともに扱われるために)」

そう思ってた。


尊敬してる
ドイツの森のようちえん
研修先の先生は

子どもの言葉を
真面目に受け取る
これに気をつけてる。

他の大人はやらなさすぎる
バカにしてる
そう言ってたなあ。

同感。


しかし・・・




大人になってみて
特に親になってみて

できないことも多い・・

時間的精神的な余裕が
足りなくて。


反省〜〜〜〜〜








星大人は死んだ目をしてる


ふと街を歩きながら
大人を観察した。

「なんでみんな揃って
こんなに疲れた様子で
俯いてるんだろう。」

「子どもは元気に
生き生きしてるのに。」

小5だったと思う。


あんな大人にはなりたくないな。

ならないぞ!

そう思った。




なった笑

脱出中〜〜〜〜









星信用できる大人と信用できない大人


大人って
みんなほんと
いろんなバラバラのことを言う。

ああしろこうしろ

それぞれが勝手に
自分の価値観で
無責任にものをいう。


全く反対のことも言う


誰を信じたらいいの?



こんな大人になりたい

そう思う人の言葉だけを
信じよう。


だってその言葉に従ったら
その人みたいになるわけでしょう?

そんなのごめんだね。



これは中学生の時。


そんな大人には
ひとりも出会えなかった。

頼りたかった
意見を求めたかった
相談したかった
でもそれに値すると
わたしが判断した大人は
いなかった。



わたしが望む、憧れる、

人柄や人生を持ってる大人は

いなかった。


だから本を読んだ。

本の存在に感動した。

素晴らしい人や考えが

国を超え時代を超え

分かち合われてるのだから。


そして出会ったのが

ミヒャエル・エンデであり

次いで
ルドルフ・シュタイナー

そしてドイツの恩師
ゲアハード・ヘルマース








星大人は無責任

これを思ったのは
かかった歯医者と
進路相談した先生。

小学生時代と
高校時代。


歯医者が、

この歯は曲がって生えてるから
絶対虫歯になる。
って言ったんだ


絶対だって???
そんなこと断言できるものか。


未だに虫歯になってません。




海外経験のある
人望のある
考えも好きな
高校時代の先生に
進路相談をしたことがある。

わたしは
やりたいことがいっぱいあるって
言った。


そしたら言われたの。

「あなたは器用な方じゃないから
ひとつに絞ったほうがいい。
いくつもは無理だ。」



は????

何それ
どんだけのデータがあって
わたしのことどんだけ知ってて
そんな断言してんの?

それがどんなぬ影響力があるか
生徒の未来を潰すかもしれないとも
考えないで。


この先生は信用できないや。

残念。





星なんのために勉強するの?


そう質問した。
小学生時代に
大好きだった先生に。


「親になった時子どもに教えるため」


は?

バカなの?

失望した。


知らないんだ大人は。


知りもしないで勉強させてんだ。



もう二度と誰にも聞かなかった。
どうせ知らない。





高校を卒業した時に思った。


自分を知るため
世界を知るため

そして社会を、人生を
築くため。



でも今のわたしは
どっちも知らない!

小中高と12年間
幼稚園も入れたら14年間

真面目に学んできた
成長しようと言うことを聞いてきた。


無駄だった。



自分が何したいか

この世界のこと
社会のこと
自然のこと
暮らしのこと

何も知らない!


なんとなく表面的に
なぞっただけで
なんもわからん!



自分が何をしたいか、なんて、

一度も問われたことがない。





裏切られた!
騙された!
わたしの14年間返せ!





そして出会ったのが
シュタイナー教育。

これだと思った。

ほっとした。






何のために学ぶのか。

そんなことも知らない人たちに
教わったんだもん
分かるはずがない。









星教育者を知らない教育者たち


小学校3〜4年生の時。
突然、
当時慕っていた担任に
呼び出された。


他のクラスの先生のところに
連れていかれて
「証人を連れてきました」
そう紹介された。


相手の先生に

「この先生(担任)は
わたしの悪口
言ってるわよね?」


剣幕で聞かれて怖くて
うなづいた。



あとで、

「わたしは自分がしてもいないことで
謝りたくはない」

と言われた。


おい!

バカな喧嘩に巻き込むな!

何でウンと言ったかも

わからないの?

聞きもしないの?

何にも分かってないんだね。


と今にして思うけど
当時は
その思いが言葉にならないまま
釈然としない想いで
胸にあって
大好きな担任に悪いことをしたと
罪悪感でいっぱいだったよ。



そして中学になり

あー・・・・・

って感じの先生に

たくさん会い、



この人たちは
教師になるために
何を学んできたんだ?

まるで独学。

まるで自己流。

ちゃんと学んでから先生になんなよ・・

教育課程は

大したことないんだな。







星わたしの好きな先生


悪いことばっか書いたんで笑
いいことも。

小中高で出会った中で
わたしが唯一
いい先生と思う人。


小5〜6に担任。
新任だった。


若いお兄ちゃんって感じで
すごい一生懸命で
子どもたちひとりひとりを
大切に考えてるのが
無意識だけど感じられた。


先生の家に行って
ゲームを一緒にした。

恋人はいないのかと
笑った。

友だち感覚。

尊敬、敬意ゼロ。

でも、

言いたい放題
反抗までできたのは
この先生だけ。



男子は仲よかったけど

女子はみんな

完全にバカにしてて笑

徒党を組んで反抗したり

何かと口答えした。


でも
いつも真剣に向き合って
ちゃんと話を聞いてて
押し付けたり
抑え込むってことは
なかった。



家には教育関係の
本がたくさんあった。

生徒が先生に通信簿をつける。
そういうことが書いてある本が
印象的だった。



卒業の日

嫌いでもないけど

特に好きでもない先生だったので

名残惜しさはなかったのに

わたしの手を両手で握り

「ありがとう!」

そう真剣に懸命に

伝えてきた。

びっくりした。

意外だった。


今思うとわたしは、

感動してた。

その在り方に。





そしてね、


わたしは集団が苦手
社会が苦手
人が苦手
輪に入りにくい

いじめられたりする
タイプじゃないけど
何となく端っこにいる
端っこが安心んする
子どもだった。


クラスの中で
心から安心したことはない。

いつも何かに誰かにわずかに
警戒してる。


でもこのクラスだけは

のびのびしてて

気が大きくなってて

安心してたの。




クラスに明らかに
知的障がいがある子がいたけど
いじめなんて雰囲気は無縁で

みんなで自然にサポートしたし

いつも輪に入れて

自然な尊敬をしてた。



イートインのパン屋が
やりたいって
言ってたな。

先見の明!




男女もみんな仲良くて

放課後公園で

クラスみんなで遊んだのは

幸せな思い出。





あの先生はいい先生だった。

元気かな



10年後に再開した時、

そう伝えたら

いやいや、って

謙虚な頼りない反応。

相変わらずだった。

















今回はこの辺で!!




あ、その前にだいじなこと。





わたしが大人に対して
ネガティヴな記憶が多いのは
そもそもわたしは
大人不信だったから。

ていうか人間不信。

人が怖かった。



人に安心していればきっと、
こういう、
大人って??な気づきがあっても
それはただただ気づきのままで、
怒りにも失望にも
ならなかったはずと思う。
良いこと幸せなことも
もっともっといっぱいあったはず。

子どもは純粋で逞しくて
愛でものを見る。

それができないときは
怯えてる時
傷がある時かなと思うよ。



娘を見てると思うな。












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