【人生最悪の時の回顧録】vol.2 ~薬物依存症からの克服に向けて~ | メンタルヘルス ~希望へ向かって~

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メンタルヘルスナビゲータによるカウンセリングの提供と、「ホリスティック医学」の概念を基盤とした「次世代型 療院構想」について発信しています。

 

 

皆さん、こんにちは!

メンタルヘルスナビゲーターのK・HAMANOです('◇')ゞ

 

今日は、先日に引き続いて、「自分の人生最悪の回顧録」vol.2を書かせていただきます。

 

単に自分が過去に精神疾患の患者だったという事を告白する為ではなく、今現在、過去に私が同じように心の痛みに苛まれていたことを知っていただき、共感して、読者様にも「希望」に向かって生き続けてほしい願いでしたためようと思っています。

 

《前回の続きから》

精神病院の4人部屋に移されてから、集団生活で、食事の配膳下膳、部屋の掃除、トイレの掃除、シーツ交換、デイルームの掃除などなど、全部が自分たちでしなければならない、完全な閉鎖病棟で、刑務所のような所でした。何をするにも、集団行動でした。

 

毎朝、朝一番の患者全員がデイルームに集まり、「誓いの言葉」を皆で唱えます。そのあと瞑想の時間が15分あります。

 

《こんな感じの入院生活でした》

 

それから朝食で、毎日パンとジャム、バナナ、牛乳だけでした。たまにチーズが付いてる日もありました。

 

そのあと朝礼があり、再び、デイルームに患者全員が集まり、今日の日程を、患者で構成されてる「自治会」の会長が発表します。ちなみに私は嫌々、副会長をさせられてました。

それから、医師、看護師、作業療法士からの連絡事項が発表され、朝礼は終わります。

 

患者は総員80名くらい入院されてました。ほぼ全員が、アルコール依存症患者です。

 

少数派で、私ひとりが薬物依存症、あとギャンブル依存症の方も3人いました。

 

そのあと、ミーティングが始まります。各グループに分かれて、看護師がその日のミーティングのタイトルを決めて、それについて一人一人発言していきます。テーマは「償い」とか「どうすれば断酒ができるか」などの内容でした。

このミーティングというのが一日に3~4回あります。一回のミーティングは一時間半です。

 

アルコール依存症のためのミーティングなので、自分には関係ないものなのですが、強制的に出席をさせられました。発言の度に「私は、アルコール依存症ではないのですが・・・」から、毎回発言をしなければならない為、面倒でした。

 

毎日の行事の中には、断酒会、作業療法、AA(アルコホーリクスアノニマス)の自助グループの参加、断酒勉強会、ビッグブックというアルコール依存症の方の為の分厚い本の勉強会、夜間例会、ドクターミーティングなどがありました。

どれも、私には関係のない話や内容でした。

依存症という部分では同じなので、発言の際はそこだけ強調して話しました。

 

本当は6か月の入院を言い渡されていたのですが、自分とは合わない方たちとの集団生活は孤独で、何で自分はアルコール依存症ではないのに、こんなとこにいるのだろうと違和感を感じだしました。

 

夜中は、同室の方のイビキがうるさくで全然眠れなかったり、夜間に徘徊して自分らの部屋に迷い込んで入ってくる患者がいたり、自分のいる部屋の真ん前の廊下の角に小便をする人がいたり、一晩中、大声で奇声をあげてる人がいたり、まさに精神病院ならではの奇怪な場所で生活していくことが苦痛に感じて、鬱状態になってしまいました。

 

もう我慢ができなくなって、医師に、退院させてくれと言ったのですが、「まだ退院するのは早い」と断られましたが、何度も何度も訴えかけて、医師も「じゃあ、私は責任もてんからな」と言われ、なんとか3ヶ月で無理やり退院しました。

 

それからは家から比較的近い、別の病院に紹介状を書いてもらい、そこに外来受診することにしました。退院時にはかなり減薬されてたので、入院する前の状態と比べ、かなり回復していました。

体重も入院前は116㎏あったのが、101㎏まで減量してました。病院食だけの食事だったので、過食もしないし、カロリー控えめの食事だったので、おかげで減量も出来てました。

 

新しい、かかかかりつけの病院でも、薬は少量で、依存度の少ない漢方薬などが処方されました。これからは病院の管理下に置かれない、自由ですが、自分の意思との戦いでした。再びスリップするようなことがないように、とにかく薬を意識することを徹底的に排除していきました。

 

とにかく自己意識を変えていこうと思い、まず、ジェームス・スキナーの「成功の9ステップ」という、29,400円もするCDのオーディオコースを購入し、とにかく一生懸命それに集中し、CDの中でジェームス・スキナーから与えられた課題を徹底的に実践していきました。(本気で成功を手にしたい方にはお勧めです)

 

 

ジェームス・スキナーが言ってる言葉を、愚直に実践していきました。

オーディコースはCDが10枚入っていて、それぞれチャレンジのレベルが上がっていく内容のものです。何度も何度も聴き返し、実践していくにしたがって、自分の意識が変わり嵌めました。

 

新しいかかりつけ医から処方される薬を一カ月に1錠づつ減らしていくことを先生に相談し、実践しました。目標は「完全な断薬」です。

ジェームス・スキナーの言葉の受け捉え方も、言ってることは同じですが、受け取り方が変化していって、「成功のサイクル」によって、成功の為の基礎を作り上げることができました。

毎日を精いっぱい生きていくことができています。

《この言葉には、いつも心を打たれます》

 

薬以外のことに意識を集中し、時には、その時点での薬の服用も忘れるくらいにまでになっていました。そして、約6か月後、処方薬は完全に0になり、医師からは、もう通院しなくていいとの言葉をいただきました。

 

薬物依存症からは寛解し、他の「自閉症スペクトラム」や「双極性障害」「適応障害」「広汎性不安障害」による精神的な苦痛も併せてなくなり、「克服」という状態にまで登りきることができました。

 

既存の精神医学の概念では、精神疾患は「寛解」はするが「完治」はしないと言われています。しかし、潜在意識の開花によって、その概念を打ち砕くことができたのです。

 

あれだけ大量の薬を服用して、離脱症状で「幻覚・幻聴・妄想」まで引き起こしたのですから、脳にダメージを与えたことには違いありません。

 

しかし、潜在意識を開花させるトレーニングや、「気導術」や「ヒプノセラピー」といった「補完・代替医療」の施術を受けることによって、それまで眠っていた脳の分野を活性化させることができ、潜在能力を発揮することが可能になりました。

 

薬に対する渇望感もなくなり、入院前とは比べものにならない程に回復することができました。それからも、腕立てや腹筋、スクワットを100回づつする筋力トレーニングや、1時間くらいのウオーキングを日常生活に取り入れ、引き続き自己改革を行っていきました。

 

NA(ナルコホーリクス・アノニマス)という、薬物依存症の自助クループにも参加し、同じ薬物依存症の方で月に一回集まり、ミーティングをします。同じ薬物依存症患者同士なので、話が合い、仲間になれました。ミーティングで自分が発言する時も熱が入りました。同じ薬物依存症の苦しみを分かち合えると、話すことも本気で話せました。

お互い、断薬に向かって頑張っていこうとする意識の高い方の集まりです。仲間も頑張っているんだから、自分も頑張っていこうとモチベーションがさらに高まりました。

 

もう二度と、薬物にハマることはない。あれだけ人生のどん底を体験し、薬物の恐ろしさを体感し、精神病院での生活の惨たらしさを味わったのですから、同じ過ちは二度と起こさないと決断しました。

 

それまで籍だけあった会社は辞めました。復職してもハウスキーパーをしなければならないし、精神病院に入院したということで白い目で見られることが予見されたので、自分のプライドが許しませんでした。

 

社会復帰の為に1年近く失業手当で賄っていきました。

1年くらい後に、試しに卵の選別と出荷の仕事に就きましたが、腰痛が爆発して辞めてしまいました。次に警備員の仕事に就き、主には万引きG面の仕事でした。そこは数カ月働きましたが、通勤中の貰い事故で車が廃車になり、通勤できなくなり辞めました。

 

通勤災害と任意保険等と再就職手当で、一時的に大きいお金がまとまって入ってきたから、「次世代型 両院構想」の夢実現の最後のチャンスと受け止め、それを軍資金に東京に引越してきて、今があります。

 

現在は、完全に断薬できていますし、薬への渇望感もありません。東京に引越してきたので、息子との月に一回の面会交流はできなくなりましたが、上京前に一回会えました。1年以上会えてなかったので、その成長たるや本当に驚きました。

 

その時、息子に会って涙が止まりませんでした。やっと会えたという感動と、また会えなくなる寂しさや、これまで不憫な思いをさせてきた申し訳なさなどで、感情が高まり、号泣しました。

本音は、また息子と暮らしたいという思いがありますが、それは叶わぬ夢です。別れた妻が、完全に私を見捨てましたから。せめて、養育費だけは、息子が二十歳になるまで払っていってあげようと思います。

 

年に数回、地元に帰った時に、もし息子に会わせてもらえれば、ぜひ、会いたいと思っています。

 

 

東京での暮らしも4か月目に入り、暮らしにも慣れてきて、本業の仕事と、副業で生計を賄い、自分の悲願である「次世代型 療院構想」実現に向けて、計画的に日々を過ごしています。

 

先月は『NPO法人 日本ホリスティック医学協会 ホリスティックヘルス塾 インストラクター』の試験に合格し、インストラクターとして活動できるようになりました。

まだ開講はしていませんが、しっかり準備を整え、月に2回程度、日曜日に受講生さんを募り、日本ホリスティック医学協会のHPに講座案内を掲載し、最初は3~5名程度の少人数での講義を行おうと思います。

 

来年4月の「一般社団法人」設立に向けて、今は人脈と資金の確保を培っている段階です。

一般社団法人開設後は、最初は私が代表理事を務め、2~3名の少人数で運営していき、「次世代型 療院構想」の基本理念と行動指針に基づいて、統合医療の療院の建設を目指していきます。

私のように、人生で精神疾患でどん底の地獄から這い上がり、セラピストとして、また、自称「メンタルヘルスナビゲーター」として、クライアント様の心の支援に携わってる方って、そうそう存在しないと思います。

 

8月に、商業出版のコンサルタントの方と面談する機会がありました。

これまでの波乱万丈の人生を、一冊の本にまとめ、こんな私でも社会復帰でき、夢実現に向かって突き進むことは可能だということを、現在、未だ精神疾患や心の悩みに苛まれている方へ向けての、生きるための希望のバイブルとして出版する計画でいます。

現在、企画書を作成し、色々な出版会社の編集者宛に送る準備を進めています。

 

私には、この人生でやらなければならない使命を授かっています。

私自ら選んだ生き方でもあり、「大いなる存在」から拝命された使命でもあります。これは、私にしかできないことです。

私は、人生の目標と意味が明確になっています。

この夢実現の為には命を捧げています。

人生は、「そう思ったら、そう。」だと言えます。自分がそう思ったら、それは確実に現実化されます。ポジティブに生きるか、ネガティブに生きるか、それを選択できます。私は、どんな状況においてもポジティブに生きることを選択しました。

根拠のない自信と揺るぎない信念で、夢実現に生きています。

私の夢には、ひとつひとつの段落はありますが、最終ゴールは「世界平和」です。ひとつひとつの夢実現の中で人生を全うし、悔いなく、かっこよく死に逝きたいと思っています。

 

最後まで、ご高覧戴きありがとうございました。

 

                      メンタルヘルスナビゲーター

                                 K・HAMANO

 

 

同じ精神疾患を体験し、人生のどん底まで見てきた私だからこそ理解できる、心の深いところまでのお悩みを共感させていただき、あなたを克服に導きます。お気軽にご相談ください!

 

 

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