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【感想】宮西真冬『友達未遂』の圧倒的な「負の人間描写」の上手さに震えた

 

友達未遂

友達未遂

 

 

一読し、「人間が書けているとはこういうことだ」と強く思った。

全寮制の星華高等学校を舞台に四人の少女たちが織り成す人間模様には、圧倒的なリアリティがある。

彼女たちの存在がリアルに感じられるのは、この年頃の人間の抱えがちな執着や葛藤、コンプレックスなどの負の部分がていねいに書かれているからだ。

 

3年生が1年生とペアを組み、先輩が後輩の面倒を見る「マザー制度」が存在する星華高等学校を舞台にストーリーは展開するが、この小説では『マリア様がみてる』のような百合っぽい関係性はまったく描かれない。代わりに力が入っているのは競争意識や嫉妬、劣等感などの描写だ。といって、どろどろした話というわけではない。この4人は互いにいがみ合っているわけではなく、もっと複雑で微妙な関係性にある。それぞれの抱える負の感情がこの関係性を作り上げているのだが、四人の抱えている事情が事情なだけに、読者はいやおうなくこの物語に引き込まれることになる。

 

母に捨てられ孤独を抱える一ノ瀬茜、学校一の優等生の仮面を捨てられず苦しむ緑川桜子、さばさばしているように見えるが絵に自信を失いつつある大島千尋、そしてある人物への復讐のために星華へ入学してきた星野真琴。この4人の抱える事情はどれも読者が共感しやすいもので、ときに正しくない行動に出たり、暴走したりする彼女たちの心中が手に取るようにわかるように書かれている。

4章まではこの4人の視点が次々と入れかわり、それぞれを主人公とした連作短編のような構成になっているが、5章に入るとこの4人の関係性は意外な化学反応を起こす。物語は急展開し、緊迫する事態に読者は息を呑むだろう。そして最後に待っているのは、光景が目に浮かぶほどの美しいラストシーンだ。一人一人の抱える痛みの描写が生々しいので、読んでいる途中は感情移入して少々つらくなるかもしれないが、最後まで読めばきっとすがすがしい読後感が得られるだろう。

 

「人間がよく書けている」と最初に書いたが、どうすれば人間がよく書けていることになるだろうか、とこの作品を読んでいる間、ずっと考えていた。

リアルな人間を書くには、まず人間の負の部分をきちんと書く必要があるのだ、とこの作品を読んでいて感じた。正の部分だけを書いていると、人格に奥行きが出ない。しかし、ただ悪い人間を出せばいい、という話でもない。ある人間が正しくない行為をするのはその人が悪人だからだ、では人間描写としては薄っぺらい。これではただ正しい人間を裏返しただけだ。

 

つまり、マイナスなことを考えたり、悪い行為をする人間が出てくる必要があるが、なぜそうするのかという動機の部分に納得感がなければいけない。その点、『友達未遂』は実に巧みだ。たとえば一章の主人公である一ノ瀬茜は(表向きは)天使のようにやさしい緑川桜子に憎しみにも近い感情を抱くが、それは彼女が両親に恵まれていないからだ。

不幸な自分に比べ、桜子は優しい両親も、容姿も経済力も何もかも持っているように思える。他人に優しくできるのも、そうした余裕のあらわれだ、と見えてしまう。自分に良くしてくれる先輩をねたむのは正しくないが、その「正しくなさ」は読者にも十分納得できるものだ。

茜の自己評価の低さを示すエピソードも上手い。ある日、茜は机の引き出しに「死ね」と書かれた手紙を見つけてしまうのだが、彼女はここで怒ったり悲しんだりするのでなく、むしろ安心してしまう。桜子のような学園のアイドルが自分なんかに優しくしてくれるほうが異常事態だ、と彼女は思っているからだ。茜からすれば、ストレートな悪意を受け取るほうが、むしろ普通なのだ。

 

二章に入ると、今度は茜には完璧な美少女と思われていた緑川桜子の仮面が剥がされていくことになる。桜子の母親は「星華のマドンナ」と言われていた伝説の先輩で、それだけに娘の桜子にも完璧な星華生であることを強いる。

この過干渉な母親の負のパワーも相当なもので、母校を卒業してずいぶん経つのにかつてのチャイルド(マザーとペアになる一年生)だった親友の交友関係にまで口を出し、星華出身の人間としか付きあうなと言うほどに支配欲が強い。そのくせ茜の血筋がよくないことを知ると、彼女の前では「純血(代々星華を卒業している家系)でなくても優しくしてあげないと」と心にもないことを言ってのける偽善者でもある。こんな人物が母親ではたまらないだろう。主人公四人のなかでは、桜子の闇が一番深いかもしれない。

桜子は母親を嫌いつつも、いつしか母と同じように優等生の仮面をまとって生きてしまっている。学校では星華のマドンナの娘として見られ、皆が期待する自分を演じてしまっているのだ。家庭でも母の理想像を押し付けられるから、桜子が素の自分に戻れる場所はどこにもない。やがて過大なストレスから、彼女はあるショッキングな行動に出てしまう。これなども、その行動だけを取り上げてみれば皆から非難される行為だ。しかし桜子の受けている抑圧のひどさを読者はわかっているので、これを責める気にはなれないだろう。負の人間描写をきっちりすることで、読者は作中人物と同じ視点に立つことができ、その「正しくなさ」を受け入れられるようになる。

 

常に優等生を演じている桜子からすると、友人の大島千尋はいつも堂々として、素の自分で生きているように見える。しかし三章に入ると、彼女にもまた彼女なりに葛藤を抱えていることがわかってくる。この章は他の章ほど重くはなく、わりとストレートな青春小説の趣があるが、それでも田舎町独特の閉鎖性や外見と内面のギャップ、そして自分をはるかに凌駕する本物の天才、すなわち星野真琴に出会ってしまったことの苦しさなど、やはりここでも負の一面はきちんと描かれている。心の底から澄み切った人物は、この小説には一人も出てこない。

 

四章に入ると、今度は千尋には天才に見えていた星野真琴の新たな一面が描かれることになる。真琴の抱える闇もなかなかに深い。いや、真琴がというより彼女の姉の事情が重い。もともと星華に通っていたが、不登校になってしまった姉の「復讐」のため、真琴は絵画の腕を一身に磨き、星華の美術工芸コースに入学してくる。

真琴は正義感が強いのだが、10代らしくその正義は狭いものだ。志は正しいとしても、やっていることは間違っている。だが、姉の事情を知ってしまうと彼女の行動にもまた納得してしまう。真琴はこの物語のキーマンでもあり、最終章に至るまでストーリーをけん引していくのは彼女の正義感なのだが、この「正義」のゆきつくところがどこなのか、ぜひこの小説を手に取って確かめてみてほしい。結末はここでは言えないが、これが四人の挫折と成長を真正面から描く、きわめてまっとうな青春小説であることがよくわかるだろう。

 

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この記事によると、『友達未遂』はメフィスト賞への初投稿作で、受賞は逃したが編集者の勧めで改稿を重ねていたそうだ。著者の宮西真冬がメフィスト賞を受賞したのは『誰かが見ている』だったが、『友達未遂』が最初からこの完成度だったらこちらが受賞していたかもしれない。