葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

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靖国神社遊就館展示室「日清戦争」に展示されている「清国要塞砲」について堺市中央図書館に調査依頼

2020年01月22日 | 靖国神社日誌
遊就館展示室「日清戦争」に展示されている「清国要塞砲」が何故ここにあるのか、「敵国からの戦利品・鹵獲品」は、全てGHQの指令で返還した筈であるのにと、ガイドの時はいつも疑問に思っていました。
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清国要塞砲
ドイツクルップル社が明治十八年に製造し、清国が旅順港の防禦のため湾口の要塞に据付けた。日清戦争後、大阪堺市の輜重兵第四連隊の兵営に保存されていたが、昭和三十九年六月靖國神社に奉納された。(遊就館図録より)

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現在の国立病院機構近畿呼吸器中央センター病院敷地は、戦前は陸軍第五師団輜重兵第四連隊があり、戦後は米軍金岡キャンプとなった沿革があるようです。
偕行文庫室で「社報・靖國」昭和39年7月15日号を閲覧し複写してきました。「病院の庭で永い間風雨に曝されていたものである。」と書かれていますが、れっきとした「国有財産(旧軍関係遺物品)」である筈ですので、より詳しい経緯を堺市中央図書館に調査してもらいたいとFAXしました。
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旧陸軍第五師団輜重兵第四連隊にあった「清国要塞砲」について調査依頼をいたしますので宜しくお願いします。
靖国神社遊就感展示室「日清戦争」に清国要塞砲が展示されていますが、旧輜重兵第四連隊にあったものが昭和39年6月に移設されたようです。
①戦後は米軍金岡キャンプとなった沿革があるようですが、財務省近畿財務局の国有財産(旧軍関係遺物品)であったのか。
②誰が発案して、靖国神社に寄贈することになったのか、その経緯。
③社報「靖國」によると陸上自衛隊が運搬したようですが、運搬費用はどうしたのか。
以上
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靖国神社社報「靖國」昭和39年7月15日号より

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2005年11月24日(木)「しんぶん赤旗」より
「遊就館の質問への回答」
 靖国神社境内にある遊就館は、同神社付属の「掲額及武器陳列所」として始まります。1869(明治2)年に創建され、1879年に命名された靖国神社は、武器や戦死者の遺品などを集め、この陳列所を陸軍省が「遊就館」と名づけ、1882年に開設しました。
 1910年公布の「靖国神社付属遊就館官制」で「武器の沿革を知るべき物件を蒐集保存し、軍事上の参考に供する所」とされ、「館長は陸軍大臣及海軍大臣の監督を承け」るとしています。この「官制」による「遊就館処務規程」も定めました。
 日本のアジア侵略の拡大によって「祭神」とともに収蔵品も激増し、遊就館は増改築されますが、さらに1934(昭和9)年には遊就館に隣接して「国防館」が建設されました。
 「遊就館令」は、日本が中国への侵略戦争をすすめていた時期、1935年10月30日に公布された勅令です。天皇の命令で、この施設を「官制」の規定にくわえて「国防精神の作興及軍事知識の増進に資する為、之を公衆の観覧に供する所とす」としました。武器陳列所から戦意高揚、国民の精神的動員をはかる施設に変えたのでした。公布直後には「遊就館処務規程」が改定されて、遊就館は「国防館及其の付属施設」全体となり、運営体制も強化されました。
 終戦後の1945年9月11日、「遊就館令」は勅令で廃止され、遊就館を「靖国神社宝物館」と名づけて同神社の管理とします。翌年、靖国神社が宗教法人となると、ただちに遊就館と言い直しますが、閉館されていました。
 その後、遊就館は富国生命に賃貸されるなどの変遷をへて、86年7月に再開され、02年に全面改修されて今日に至ります。同神社宮司は、この施設には「英霊顕彰」と「近代史の真実を明らかにする」という2つの使命がある、といって、「正しい戦争」論の展示場にしています。国防館は、靖国会館と改称されています。(平)

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警告全國父老書
一九一五年留日學生總會李大釗撰
【現代訳】
東京に居り、遊就館にゆけば、その虜奪の物を陳列するをみる。その由を標名とし、誇りて國榮となさぎるはなし。鼎彝(ていい)は異城にうつり、銅舵(どうだ)は海隅に泣く。
物を睹(み)て懐(こころ)をいため、徘徊して去るに忍びず。けだし、この館なるものは、人(にほん)以てその功をしるし、我以てその恥を銘す。人(にほん)以てその気を壮し、我以てその心を痛む。ただ、人(にほん)に背いて涙にむせび、壁に面して聲をのむのみ。
【鼎】鼎は、青銅製である。神への犠牲を煮るのに用いたことから神聖視され、祭器・礼器として扱われ、占いにも用いられた。また王侯の象徴として扱われた。鼎(かなえ)の軽重の話は有名である。
【彝】古代中国の酒器。宗廟に常に置くもの。
さねとうけいしゆう著「中国留学生史談」から
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他にも、岩波書店刊 厳安生著「日本留学精神史 近代中国知識人の軌跡」や晶文社刊 木下直之著「世の途中から隠されていること―近代日本の記憶」の中に、遊就館展示に清国やロシアからの戦利品・鹵獲品が展示されていると「防衛省市ヶ谷記念館を考える会」共同代表春日恒男さんから紹介されましたので、世田谷区立図書館かから借りて読み始めています。
自分の祖国「清国」を改革しようと考えていた留学生達であっても、戦利品・鹵獲品の展示品には心を痛めていたことでしょう。



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