串本町立和深小学校 里川分校 | 日本廃校行脚

日本廃校行脚

主に近畿地方の廃校を探索しております。
いずれは日本全国の廃校を探索していく予定です。

2019/5/3訪問

 

大瀬小学校から古座川町の添野川沿いの県道を通って南下する。

 

次は、串本町の山間部の小さな集落にある分校跡へと向かうことにした。

 

情報では、工場の裏の雑木林にひっそりと佇んでいるようなことが書かてれいたので

 

分校跡へ逸れる枝道を必死に探していると、木々に隠れた木造校舎を発見できた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

道路側から少し登ってゆくと見える校舎。

 

これは下調べしないと分からないだろうなぁ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

木に隠れて全体を写すことは難しいが、こちらが入り口となっている。

 

ちなみに1970年に廃校となったそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

木製の扉は、どうぞお入りくださいと言っているかのように開いている。

 

では、ちょっとお邪魔してみましょうか・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昔ながらのシンプルな靴箱になっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

振り返ると教室になっているのだが、かなり酷い状態になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

屋根もご覧の通り、まるで隕石でも落ちたかのような崩壊っぷりだ。

 

こうなってしまえばもう自然に還るのは時間の問題・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中央に間仕切りがあるので、おそらく低学年と高学年で教室が分かれていたと思われる。

 

ここで自分は足を踏み外してしまい、とても身の危険を感じた。

 

床材である根太を伝って歩いていたつもりが、腐った床板に足を置いてしまったためズボっといった。

 

幸いケガはなかったが、今後は気を付けていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朽ち果てた教室を見渡すと、当時の面影を残すものはこの教壇と机や椅子くらいか・・・

 

昔はきれいに並んでいたのかもなぁ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これはチャイム用の鉄琴ではないか?時代を感じる代物だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の小学校時代はまだ算盤の授業はあったが、今の小学生は算盤を触ったことあるのかなぁ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本棚には僅かながら当時の本とインクの瓶が残されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

奥の部屋は職員用の宿舎として使っていたのかもしれない。

 

今では当時の面影すら残っていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここはトイレ・・・というより、便所という方が相応しい。

 

なるほど、昔の便所はみんなこんな感じだったのか・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かなり崩壊が進んでいる木造校舎だったが、昔はきっと素敵な佇まいだったのだろう。

 

このまま、この雑木林でひっそりと土に還ってゆくのは寂しいことだが、これも時代の流れか・・・

 

さて、次はどんな木造校舎に出会えるのか?

 

廃校巡りの旅はまだまだつづく・・・

 

おわり

 

 

 

 

 

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