夏侯玄(かこうげん)、魏の重職を担っていくが頓挫…幽霊となって司馬師を苦しめた…【三国志 演義と正史の比較】




三国志

夏侯淵の甥にあたる夏侯尚の子。二十歳蔵の若さで散騎侍郎、黄門侍郎に任じられました。

従兄弟の曹爽が帝の補佐になると征西将軍、雍州・涼州諸軍事などの重職も担い、多くの州郡で法律を制定しました。

254年、李豊·張絹とともに曹芳から司馬師の諜殺を命じられるが計画は露見、司馬師に殴りかかるも捕らえられます。

司馬師に殺された親帝・曹芳に最後まで尽くして抵抗を示したが、腰斬の刑に処されました。反乱に気づいた司馬師に機先を制され、三族皆殺しに処されてしまったのでした。

のちにその霊が病床の司馬師のもとに現れ、司馬師を悩ませます。

魏晋時代の著名な清談家(「清談」とは哲学的な議論のこと)でした。

演義の夏侯玄

魏の太常卿として最後まで帝の曹芳に忠動し、司馬師に殺されます。死後、幽霊となって司馬師を苦しめました。

正史の夏侯玄

聡明な人気者であったという。諸葛誕、毌丘倹らと親交深かった。

李豊が司馬師に対抗するために、夏侯玄を大将軍にたてようと運動して失敗し、夏侯玄も詠殺されたと伝えられています。

『張良論』などの著書があります。

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