貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

「魦」は、「いさざ」

2020-02-21 09:24:59 | 日記

「魦」は、「いさざ」

  降園時に参詣。

園児たちが群がって遊んでいる。

迎えを待つ一番楽しい一時

でもある。

 開基の善道は、八幡太郎義家の

弟の義綱の子孫。

 寛正2年(1461)大津・本堅田の

本福寺第3代住職である法住は、

布教伝道の拠点として各地に

本福寺の支坊(支院)を建立。

 蓮如(浄土真宗中興の祖)が、布

教活動の第一歩を堅田を拠点として

始め、寛正6年 (1465)に比叡山の

衆徒が真宗を弾圧。

 蓮如はこの本福寺に身を寄せ、

堅田門徒は団結し、山門勢三千人に

対抗し、蓮如の布教を成功させる。

 貞享2年(1685)、第11代住職

である明式は、松尾芭蕉の門下に入り、

千那と号する。

 たびたび、芭蕉を招き、句会を催す。

それに伴い「芭蕉寺」と号する。

また千那寺とも。

 現住職は、堅田本福寺より第19代目。 

 千那の句碑の句は、

「しぐれ来や 並びかねたる いさざ舟」 。

  魦(いさざ)とは、琵琶湖特産の小魚で、

ハゼの仲間。

 千那は芭蕉を初めて大津に招いた人で、

書や絵などにすぐれ、芭蕉は千那に俳画

を習ったと云われている。

 千那を称えているのか、

千那寺を称えているのか不明だが、

句歌碑が林立。

 そして、芭蕉の句碑群へ。


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