「魦」は、「いさざ」
降園時に参詣。
園児たちが群がって遊んでいる。
迎えを待つ一番楽しい一時
でもある。
開基の善道は、八幡太郎義家の
弟の義綱の子孫。
寛正2年(1461)大津・本堅田の
本福寺第3代住職である法住は、
布教伝道の拠点として各地に
本福寺の支坊(支院)を建立。
蓮如(浄土真宗中興の祖)が、布
教活動の第一歩を堅田を拠点として
始め、寛正6年 (1465)に比叡山の
衆徒が真宗を弾圧。
蓮如はこの本福寺に身を寄せ、
堅田門徒は団結し、山門勢三千人に
対抗し、蓮如の布教を成功させる。
貞享2年(1685)、第11代住職
である明式は、松尾芭蕉の門下に入り、
千那と号する。
たびたび、芭蕉を招き、句会を催す。
それに伴い「芭蕉寺」と号する。
また千那寺とも。
現住職は、堅田本福寺より第19代目。
千那の句碑の句は、
「しぐれ来や 並びかねたる いさざ舟」 。
魦(いさざ)とは、琵琶湖特産の小魚で、
ハゼの仲間。
千那は芭蕉を初めて大津に招いた人で、
書や絵などにすぐれ、芭蕉は千那に俳画
を習ったと云われている。
千那を称えているのか、
千那寺を称えているのか不明だが、
句歌碑が林立。
そして、芭蕉の句碑群へ。