CDG-HNDな遠距離国際恋愛日記

パリと東京。Aさんとわたし。

よく牡蠣食う客が惚気る

昨日ははてなハイクで知り合ったみなさんとオフ会をいたしました*1

企画名は、「牡蠣と日本酒とローストポーク(は食べないかもしれない)オフ」でした。その名の通り、牡蠣と日本酒をたらふくいただきましたよ*2

なんと持ち込み可のお店でしたので、幹事さんがおすすめの一升瓶など諸々を持ち込んだのですけれど、すっかりきれいにいただきました。

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 牡蠣と日本酒とその他を種々様々いただきながら、2時間ワイワイと過ごしたわけですけれど、非常に良い時間でした。火を囲んで、極めておいしいものを食べて、素敵な人々とおしゃべりをする。この組み合わせでつまらなくなるはずがありません。いい企画でございました。

 

 

このブログを見てくださっている方もいて、さまざまにアイディアをくださいました。なるほど、5月に会うならば新千歳空港集合でも面白かったでしょう。伊豆も「ここが良い」「あそこが良い」とアイディアをたくさんいただきまして*3、活かそう活かそうと思いつつ帰ってきました。 

なぜデレるのか

そんな楽しい時間のなかでAさんとわたしの事情を話題にしてもらって、大変に光栄な気分で帰ってまいりました。

けれど、そういう気持ちになれたのは割と最近のことなのです。以前お付き合いした人々について、その当時話題にして頂いたりすると、なんだか照れてしまって相手をちょっと悪く言ってしまうことがありました。しかしそういうことをするととても後味が悪いのです。後味が悪いだけじゃなくて、実際に少しずつ関係が崩れていくような気もしました*4

今日拝見した id:poolame さんのブログの記事*5に引用されていたことですけれど、

どこの国にも組織にも、無理して維持する必要のない、あるいはなくなった方がいい習慣や伝統がある。たとえば日本の場合、親が子の代わりに謙遜する文化はなくなってもいいと思う。

この「親」や「子」のところを「パートナー」に置き換えても一緒なんじゃないかと思うのです。

ややこしいコミュニケーションを自分より立場などが弱い人に対して強要するのは、ひたすら事態がややこしく、そこにいる人全員が不快に、そして不幸になるだけなので、その仕組みにはまらないようにし、仕組み自体を解体していくのがいい。

もちろん、パートナーは立場が弱い人というわけでは必ずしもないですけれど、何しろ今は、(知的な文脈はだいぶ共有しているけれど)文化的な文脈をほとんど共有していない相手とお付き合いしているわけですから、やたらに謙遜してみせるならば、事態はややこしくなります。などということを考えると、「必要に応じて、ちゃんと前向きにデレデレしておくのは大事なことだな」と思うのです。

*1:「なくなってしまったオンラインサービス終了後の会合は『オフ会』の名前に値するのかしら」とは思いますけれど、でも気持ちはオフ会なので、「オフ会」と呼ぼうと思うのです。

*2:たぶん、ローストポークも近々我々を追っかけてくる気がしたよ。

*3:それにしても、伊豆の話をするだけで、すでに温泉が恋しい。あと一ヶ月、ここからのオアズケはなかなか大変でございます。

*4:うまく行かなかった関係性を、どこから壊れ始めてしまったかという観点から考えるのは意味がないとは思うので、「これが毎回原因でした」とは思わないのですけれども。

*5:師岡カリーマ「謙遜は自分だけで」(2019 年 4 月 13 日 東京新聞朝刊「本音のコラム」)より - プール雨