ここ数日、右肩の痛みが酷くてですね、何をした覚えも無いのですよ。
これはきっと、季節柄の例の影響か
!?おばけ思ったりしているのですがあせる
それならいつも、肩の痛みがあって良いのでは無いかとも思うのですよ。
だから、きっと、痛みの原因は他にあるはず
ビックリマークと考えるのですが・・・・笑い泣き
分からない・・・・どうしてだ
!?叫び

 

ようこそお越しくださいましたニコ。ありがとうございます音譜
 
動物対話士ⓇKuonです照れ

 

 


子供の頃・・・多分、犬の散歩をしている途中だったと思うので、小学生か

中学生の頃だと思います。
地域の少し大きい公園に行き、普段は足を運ばない、その公園の裏の道

を歩いている時の事です。

その道沿いにビルが建っていて、そのビルに掲げてある看板を見て母が、

「くおんも将来こう言った会社に勤められたら良いんだけどねぇ~。」と。

「どうして?」と聞くと、「安定しているし」と、母が何気なく言いましたえー

本当に、ぽつりとつぶやく様に、独り言の様に、話を膨らますことは無く、

言った後はすぐ次の話題に移ったと記憶していますキョロキョロ
私は、ただ何となくその看板に書かれていた会社名を見ました。
母が言ったその会社が、どんな業種かどういう仕事をしているかも分から

ず、その時はただそこに書かれている文字を読んでいました目

「そうかぁ、○○と言う業種に務めたら良いのかぁうーんと、何となく心の隅

に記憶しました。

それから数年、ふと、その時の母の言葉を思い出すことはありましたが、

いつもただそれだけのことでした。


 

学生生活も終わり、就職の時期になり、私はある会社に勤め出しました。
でもそこは、

 

仕事が無いビックリマーク・土曜日出勤・給料安い・休みが無い・就業時間が長い!!!!

 

他のことは良いとしても、1日でコピー1枚取ったら良い方だと言う位仕事が

無く、することが無いまま退社時間まで過ごすことがとても苦痛でした笑い泣き
勿論、自分で仕事を探し、それをすることもありました。でも、そんなことは

すぐ終わってしまいます。
何より、違う部署に行った同期は毎日忙しそうにしている様子の中、私は

まともな仕事がありませんぼけー
私は表を作ったり計算をしたり、先輩の「雑用」をする毎日で、決まった

「自分の仕事」がありませんでした。
それでも仕事があれば良かったのですが、そんな仕事は常にあるとは限ら

ず、ほとんどの日々が座って資料を読んだりしている「暇な日々」でしたあせる

そんな私を見て、ある時会社の方から、
「居てくれるだけで良いんだよ」

言う言葉を頂きましたが、私にとっては暇な時間を過ごすことは、余りにも

辛い日々でした笑い泣き


友人達から、入社した会社での忙しさや、彼らのスキルアップの話を聞く度、

自分が何もしていないことが、とても辛く感じていました。

初めてのボーナス、友人から「片手は出たよ」との言葉に、自分との金額の

差よりも、就職してから今までの自分は何も成長できていないと感じました。


こんな暇な辛い時間を過ごしたくは無い!と、1年も居ないまま私はその会社

を退職しました。



退職してから2年後、私はある会社に就職しました。
最初はアルバイトとして入りましたが、半年後にそのまま正社員となりました。

良く
「都落ち」と言いますが、私の場合は「都上がり」状態で、前職とは違い、

日本全国に事業所があり、私の同期の新入社員は100人以上近く居る、規模

の大きな一部上場の会社でした。

ある時、父の仕事の関係で家に見えた商工会議所の方が、その会社名を聞く

「ああ!知ってますよ!。その業界では有名な大きな会社ですよね。良い会

社にお勤めですね」と言っていたそうですが、私はあまりピンと来ませんでしたあせる
なぜなら、私は知人の紹介で、その会社にアルバイトに入り、まあ、一通りの

現役大学生が受ける試験と同じ入社試験は受けましたが、そのまま苦労なく

自動的に社員になったようなものですからてへぺろ。。。
後に、
「人事部長が面接で君の人柄を気に入ったんだよ」と上司に言われまし

たが、試験は散々な結果だっただろうなぁと思いますゲッソリ
確かに面接は爆笑の嵐でしたが・・・・・
ニヤリ


同期が新人研修を受けている時は、すでに私は仕事をこなしている状態でし

たので、同期にずいぶん羨ましがられました。
仕事は、まあ、前職とは天と地で、毎日忙しく大変でした。
内容もある意味特殊な事が多かったので、資料や覚えることも多かったので

すが、興味がある事も一杯ある内容でしたニコ
暇な時間は息抜きになるくらい、毎日それなりに充実していました
チョキ

会社自体、仕事自体には何の不満もありませんでした。逆に、都上がり出来

たことに感謝する日々でしたほっこり
ここに勤められた事で、私も
「一人前の社会人」になれた気がしましたニコニコ
だから、遊びも心置きなく出来ました
てへぺろ
人が聞けば必ず呆れるほどの回数、1週間に3回劇場に通えたのも、ここに

勤められたからだと思いますウインク



その時・・と言うか、数年間は全く意識しなかったのですが、それから何年たち、

ある時ふと、「あれ!?あの時母が言った業種と、今私が務めている業種は同

じだ」と、急に思い出しました。

それまでも何故かあの時の母の言葉は心の中にありました。
本当に、心の中にあるのが不思議なくらい、本来は忘れて居るであろう些細な

母の一言が、ずっと心の中にありました。小さな小さな思い出として。
でも、この時、急に、
「あれ?同じだ」と認識しました。


偶然かも知れません。でも、
私にとっては偶然と言うにはとても不思議な出

来事なのです。

もしかしたら、母の言ってくれた業種に将来務めたい・・と思っていて、だから

覚えていたのかも知れません。
でも、そうだとしても、本当に初めからこの業種に務められたか
はてなマークと言ったら、

無理な状況でした。



知人が初めからこの業種に勤めたこと

私が初めに勤めた会社をすぐに辞めたこと。

知人の紹介で、知人の会社にアルバイトに行った事。

アルバイトが終わった後、知人と同じ業種の別会社に、知人の上司の紹介

でアルバイトで入ったこと。

そのアルバイト先で正社員になれた事。

結果、その正社員になった会社が、昔、母が勤められたら良いねと言って

業種だった事。

 

本来は忘れているだろう、散歩中に母がつぶやいた些細な言葉を、何故か

忘れずにずっと居たこと。



その昔、この知人と出会うきっかけとなった場所に、私が行くと決めた時、私

の中である決意と言うか大きな選択がありました。
この時、もし別の選択をしていたら、知人と会うことは無かったと思うし、そう

だとしたら、この業種の会社に勤めたのかな?・・・この道にたどり着いたのか

な?と思いますびっくり


そして今、きっとこの流れは、誰かが導いてくれたように、私は思っています。
どうしてこの道への導きなのかは分かりません。
でも、色々な選択肢がある中で、一つの正解の道は、ここへ来ることだった

のかなと思いますうーんうーん



そして気づくと、ここに、あの時母が予言した業種に、年齢の半分以上勤めて

居ましたデレデレ
それだけ居心地が良い職場だったんだろうなぁと思います
照れ照れ

 

 

そうそう、余談ですが、母は子供の頃、お葬式が出るお家を言い当てたそう

ですゲッソリ。葬式饅頭が欲しくて親にそれを言って、親にそんなこと言わないの

と怒られ、段々そう言う力は無くなったそうですアセアセ。自分でもあえて感じない

ようにしてたら、段々分からなくなっていったと話して居ました。でも、私から

見た母は、感の鋭い所があって、それが怖かった部分もありましたチーン

近頃は、右斜め上をボォ~っと見ている時があります真顔
絶対誰か来ているのを見ているとと思います笑い泣き
 
 
今日は・・・・おばけお盆らしい話になりましたかはてなマークグラサン
 
 

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