雑記の一 3.11の記憶 | WALL SOUNDS LIKE IT'S VIBRATING【AME desu.】

WALL SOUNDS LIKE IT'S VIBRATING【AME desu.】

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
つくば市、土浦市、水戸市など茨城県内と都内で活動してる筑波大卒理系ドラム&VJのAMEdesu.たまに女装のCHUPACHUPKOが送るドラムとドラマーと音楽のあれやこれや!

14:46、9年前の今。
自分は、4年生になって、入る研究室の配属希望の締切日で、書類を提出しに大学に向かっていた。
しかし、それは、気乗りがしないことだった。何故なら、前から希望だった医学系の研究室に行けないことが決まっていたからだ。
暗鬱とした気分を、唯一、癒してくれる楽しみが音楽だった。

ちょっとした、ため息を交えながら、先に、組んでいるバンドで演奏するACIDMANの赤橙、笑う花の入ったアルバム「創」のバンドスコアを買いに行くことにした。
その場の気分に従い、iiasつくばに車を走らせる。YAMAHAスクエアに目的のバンドスコアがあったのは前に確認済みだ。

車を停め、ポチッと鍵を閉める。当時はエスニック柄の服が好きで、青色の幾何学模様のカーディガンとカーキのチノパンツ姿で、降りた。
買い物気分で、ちょっと、上向く。

颯爽と駐車場からの道を歩いて行く。
自動ドアが開く音。1階から店内へ。
エスカレーターへの道のりの半分、20m程歩いた所だったか。ゴーッと音がする。少しづつ体が揺れる。地震であることはすぐに気づいたが、歩き続けた。
そのうちに、かな切り声を上げながら女性が1人走ってくる。周りの人達もほぼ同時に走り始める。自分の歩く方向とは逆側だ。そこでやっと、立ち止まる。先程よりかなり強く揺れているのが分かった。天井を見上げる。右へ左へと動いている。鉄骨の揺れて軋む音。
やっと自体が分かり、出口へとゆっくり歩き出す。店内に積んであった缶が倒れる音がしたが、色んな音がしていたし、入口だけ見ていたので、この時は、それが缶の倒れる音だと言うのを知らなかった。後々、話を聞いて、あれはそうだったんだ、と思った。
さておき、外に出る。駐車場。サーカスのテントからピエロが飛び出して来て逃げ惑っている。
近くの信号機はぐにゃんぐにゃんと曲がるように揺れている。
放送が流れている。落ち着いて避難してください。との内容だ。
しばらく、再開しそうもない。

大学に向かうことにした。
途中は信号機が停止していた。

着くと、駐車場から歩き、宛の教授はすぐに見つかった。建物の外に避難していたからだ。
書類を渡すと、「はい!受け取りました。ただ、こんな状況なので、どこに行くかわからないよー笑」とおっしゃっていた。
話を聞くと、5階建ての建物の一部が崩落したり、割れたガラス窓から物が飛ばされて落ちたりしていたそう。

そして、帰ろうとしたが、MUSIC PLANT(楽器屋)なら空いてるんじゃないかと思い、向かった。
空いてはいた。お客さん?と言う感じの顔で外に出ていた店員さんが話しかけてくれる。目的のスコアを探していることを伝えると、応対してくださり、
「ちょっと待ってください。レジ動くかなぁ…」
「あ、動いた。地震後、初のお客さんですよー笑」と、
スコアを買い終わって、自宅に帰る。
途中はやはり、信号機が動いておらず、十字路は譲り合いで進む。
家に帰って、両親、妹、おばあちゃん、家族全員がテレビを見ていて、事の重大さにやっと気がつく。津波の映像。巻き込まれていく人やもの。どのテレビを見ても、その映像ばかりだった。



あの日を思い出すと、脳天気な自分の本質を実感すると共に、あの瞬間にいくつもの生死の境があったように感じる。
もし、先に大学に書類を出しに行ったら…
広い大学だ。極度の方向音痴だ。校内で道に迷って逃げ出せなかったかも。あるいは放り出されるものに巻き込まれていたかもしれない。
そして、自分の時間軸で、目的のバンドスコアを
手に入れた頃、誰かの時間軸では、誰かが命を失っていたかもしれない。
たまたま、そこにいなかったから、そこにいたから…
被害に会うか会わないかを隔てているのが、場所の軸のみに感じた。そこにいるか、いないか。
どんなに、訓練をしても、備えても、災害が来たら、逃れられない状況は生まれる。

毎年、この時期になると、どこかしらで、地震の話になる。
その度、それを思い出す。


ここで筆を置くが、

あとがきとして、
センシティブな話だが、
逃れられない。
その状況では行動は何も出来ないんだろうか。
逃れられないと決めたのは誰だろう。
おそらく一人称。被害に会った人は、逃げられないとは思わなかったし、逃げることだけ考えたはずだ。あるいは死の覚悟をしたかもしれない。
しかし、昨今、何故、コロナウイルスでこうも、人は互いを避難し合うんだろうか。今回も被害に会うか会わないかは、場所軸だけなのに。どこにいても、かかる訳じゃない。居合わせてかかる。どっかの場所、どこでも、とかそういう問題じゃない。誰でも、だ。
自分が思うのは、やれることをやること。とにかく、コロナから逃げること。できる限り、ストレスを溜めすぎず、食べるために、いつも通り過ごすこと。それが今考えることな気がする。
恐怖は最初はあったが、調べてみると、歴史的にみれば、コロナの致死率は極めて低いし、感染経路もほぼ明確だ。ストレスの発散の場を他の人に求めるのだけは、惰性でやらないよう気をつけたい。
そんなことも考えたりする。


それはさておきで、あの日に向けて、黙祷。
3.11検索で10円寄付のリンクでも貼り付けておきます。