森の空想ブログ

桃李の国(七)市民気質/白い花の咲く頃(57)[詩人・伊藤冬留のエッセイと画人・高見乾司の風景素描によるコラボ

桃李の国(七)―市民気質
        伊藤冬留

大連や北京、青島等の都会でみる限り、中国人の人情というか市民気質は日本人と変わらない。大連では市場の焼芋売りの小母さんと親しくなりよく負けて貰ったし、同じ市場の鶏蛋餅(チータン・ビン)売り一家の十代の小姐から本気で日本語を習いたいと言われた。
大学では、先生達の学生に対する言動は我が国のそれと同じだったし、殆どのタクシーの運転手や喫茶店のウエイトレス、商店員のマナーもそうである。
しかし、1999年に初めて留学した頃はそうではなかった。大学前の郵便局の職員は、客が窓口に数人待っていても同僚とおしゃべりしていたし、封書を差し出すと当該の金額の切手を封書に載せて、ポンと客の前に放り出す始末だった(ポストが外にあったからだ)。
だがそんな横柄な態度も、2、3年の間にみるみる変わった。鄧小平の改革開放政策以来、政治は社会主義でも経済は実質的に資本主義そのものだったからだ。
あえて日本人と違うなと思ったことをいえば、大連の繁華街を歩いているとき、突然若い娘が近寄ってきて私の上着に触れ、どこで買ったのかと聞いたのだ。又市場で店の主人とトマトの日中の食べ方の違いについて話していると、あっという間に周りに人垣ができた。要するに好奇心が旺盛で、日本人のように遠慮はしない。日本ではタブーの若い女性の年齢を訊くことは中国では失礼にはならない。給与の額などもお互いあけすけに話し合うという。そのあたりは国民性の違いである。
困った習慣だと思ったものもある。例えば交通ルールを守らないこと。信号が赤でも道路を渡るし、信号のない所でも猛スピードの車の間を縫って渡る。一番驚いたのは、道路が渋滞しているとき、路上のタクシーが突然歩道を走り出したことである。
しかし近年交通マナーはずいぶん良くなったと聞く。以前と違い今日では車の量が断然多く、信号のない道路の横断は文字通り身を危険に曝すことになるから。

二〇一五年十二月一六日 執筆


「山景ー4」 金地に墨彩 60㌢×25㌢

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