森の空想ブログ

詩人の国で/中村哲医師の訃報が届く

哀悼。
時代を照らす希望の星が一つ墜ちたという衝撃。この事実を表現する言葉が、まだ、見つからない。
以上は昨日の記事。以下に今日の記事を追加。画像はインターネットから転載。



[詩人の国で]
中村哲医師の訃報から一日が経過した。せめて三日間ほどは言葉をつつしみ、喪に服すつもりでいよう、と思ったけれど、中村医師は、事業の継続を望んでいたという。できれば、現場に駆けつけたいところだが、それは現時点では不可能だし、私などが行ったとしても何の役にも立たず現地の人が迷惑するだけだろう。それゆえ、一人の偉人のことを「語り継ぐ」ことも役割の一つだと認識し、いま、心に浮かんでくる「ことば」を書き付けておこうと思う。
       ☆
アフガンとは、詩人の国である。
中村医師は、
「花を愛し、詩を吟ずるアフガニスタンでは伝統的な詩会が健在で、季節の花をテーマに詩人たちが集い、即興詩を吟ずる。南部ではカンダハルのザクロ、東部ではジャララバードのオレンジが有名だ。詩人は昔からどこにでも居て、身分、国籍を問わず集まってくる」
と言った。
この国の人々は、かつてソビエト連邦のアフガン侵攻と戦った。その戦争を率いたのは、マスード将軍だった。マスードは、学校を作り、病院を開き、わずかな休息時間には本を読みながら戦争をしたのだ。私は、その姿を長倉洋海という写真家の写真で知ったのだが、その時「正しい戦争というものが唯一あるのだとしたら、マスードの戦争である」と思ったものだ。彼の戦争とは祖国と彼の村を守る戦いであった。が、ソビエト撤退後、マスードはタリバンによって暗殺された。取材を装ったテロリストの自爆によって爆殺されたのである。
       ☆
話は古代中国に飛ぶが、伝説の王朝「夏王朝」の「禹王」は、黄河の治水工事を行い、王朝の基礎を築いた。 禹王は、半身不随になるほど黄河流域を歩き回った。その足の踏み方は、治水の呪法「禹法」となり、地霊を鎮める鎮魂の法ともなった。日本の神楽のステップにそれが残る。
       ☆
時代が下って、春秋時代の周の国の人「白圭」は、もと侠客であったが、決意して商業の道へ進み大富をなして、その財で魏の国の大梁を流れる川の治水を行った。白圭の商法の極意とは「義を買い、仁を売る。利は人に与えるもの」であった。中村医師の行動に通じるものがある。
       ☆
さらに時代が下がって戦国末期頃、蜀の国(現在の四川省)では李冰(りひょう)が大規模な治水工事を行った。長江(揚子江)の上流岷江(みんこう)の水を、川の中に堤防を作り一部を本流から分け、その水を運河を通して、岷江左岸の成都盆地へと流したのである。これにより、雪解け時の洪水は治まり、成都盆地は「天府の国」と呼ばれる肥沃な土地になったのである。都江堰(とこうえん)と呼ばれるこの灌漑施設は現存する。私も現地で見たことがある。
       ☆
中村哲医師は、当初、医者としてアフガンに入ったのだが、病気や旱魃の惨状をみて、
「100の診療所よりも1本の用水路」
と言い、井戸を掘り、用水路を開く事業を開始したのである。30年にわたるその偉大な活動は、凶弾によって中断された。が、詩人の国の人々は、詩を詠むように中村さんのことを語り継ぎ、やがて世界のどこからか、遺志を継ぐ人々が現れるだろう。それにより、中村哲という一人の日本人医者は、古代の英雄と同系列で論じられ、評価される日がかならずやくることになるであろう。そのことを願ってやまない。




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