しつこくまたゲッターズ飯田さんのリブログです。

 

 

 

 

今日は写真もありません。

(読んでくれる人居るかな?)

 

 

 

まず、ゲッターズ飯田さんの記事を読んでみて下さい。

 

 

 

 

 

 

そんな事知ってるよ!とか

 

 

いやいや、色々あった方が面白いじゃん。と思う方も居るでしょう。

 

 

 

 

度々私はブログでこれまでの人生の厳しさを

チョロっと書いていますが。。。

 

 

私の場合、まずは両親の在り方として結構なハードルでした。

 

 

父は幼くして両親を一度に喪い親戚の間をたらい回しされて

中学を出てすぐ自衛隊に入る事で生きていた人。

 

 

母は私と同じでナースになったのですが

多少容姿が良かった為、親からの政略結婚の為

父と出会う前には地元のお金持ちとの婚約を強いられている状態でした。

 

 

 

しかし、今では見る事はない文通という形で父と母は知り合い

当然、孤児の父との結婚は許されるはずは無く

 

二人は駆け落ちという形で結婚して生まれたのが私でした。

 

 

その私の出産の為に極度に体力を奪われた母

元々勤務していた病院が結核専門の病院だった為保菌者でした。

 

出産直後、母は喀血してしまい結核病院に入院する事に。。。

 

 

そして父は母の両親に土下座をして生まれたばかりの私を預かってもらい

懸命に働いたようです。

 

 

 

幼かった私に祖母が言い続けた言葉が・・・

 

 

 

われ(お前)さえ生まれなければあんな男と別れさせるのに!

 

 

でした。

 

それでも数年後母は退院、頑張った父のおかげで

私が小学生の3~4年生頃には家も裕福になり

プチお嬢様状態を味わいました。

 

 

そして、、、

 

私のその後の人生の数十年が決まった日。

 

 

父が反社会的組織の人間に罠に掛けられ事業が倒産。

 

 

私の進学を許さなかった債権者達の意見で

働きながら通うと言う条件で

 

それまで考えた事も無かったナースへの道が開けたのです。

 

 

ナースになってからも実家への仕送り、弟の学費の為

働き続けた年月。

その後も本当に嵐の中を進むしかなかったような年月を生きていました。

 

 

 

 

長々と書いてしまいましたが、

 

 

書ききれない程の悲しい日々は続いたのです。

 

 

 

それでも父と母を失くした4年前からやっと。。。

 

 

 

普通と思える毎日が私にも訪れて来ました。

 

 

 

 

朝、5時前に起きて

6時に相方を起す前にコーヒーを淹れ

 

 

相方が出勤した後は天気次第で家事をしたり

ベランダで多肉をいじったり。

 

 

ワンコ達は可愛くて可愛くて。。。

 

こういう生活に至るまでには40代半ばでパワハラの為にPTSDになり

ナースへの道は閉ざされ

 

その後も激務が何十年も続いた体は何所かしこ限界を迎え

心臓機能低下、糖尿病、股関節炎の為の杖歩行の日々。

 

 

 

 

 

でも、今が私にとっては人生で一番幸せを感じている毎日。

 

 

 

普通で居られる事で得られる心の安定感。

 

 

 

昼も夜もなく働いて居た日々は終わり

 

 

朝、夜明けと共に起きて、12時前にはベッドに入れる幸せ。

 

 

 

 

人生も終盤に近づいた頃にこういう時間が出来たのは

チョッと悔しいけど・・・

 

自分の血肉を分けた子供を授かれなかった事も

かなり残念だったけど

 

 

 

今まで私の身に起きた何かが欠けても今の私は居なかったのだから

 

 

 

せいぜい毎日のお天気と

相方の御機嫌だけ伺っていればいいこの毎日が

 

愛しくてたまらない。

 

 

 

変わらない毎日に飽きるなどという贅沢な悩みは

本当にもったいない事。

 

 

 

そういう時は何か没頭出来る趣味を探せば

なんて事ないのです。

 

 

 

 

先程、ネットでポチった多肉の苗が届きました。

 

 

 

サブスクで契約してあるサイト2つでも

観たい映画がいっぱい!!!

 

 

 

もう私の人生が終わるまで

この幸せな平凡な日々を楽しみたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

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