※ちょっと更新頻度落ちてますが、少し忙しいだけで、やる気が下がった訳ではないので、更新したり、されたりしますが、月末には頻度戻る予定です。
息子、小学三年生(バカな方)。
いつもニコニコ、深く考えず、おめでたい性格。物怖じせず、強過ぎるハートを持つ男。
ジェットコースターには乗れないし虫も怖がって近づきません。
が、幼稚園に入る前、プレの頃から、私の実家にひとりで泊まることができました。
全然さみしくない!ばあばの家は楽しい!
と、私と離れることが全く、平気なのです。度胸があるというか、恩知らずというか。
夜、私と離れることができる、というのは実はけっこうなメリットもありました。
まず、実家に泊まりで預けることができる。
親戚の子、幼稚園時代に、一度はおばあちゃんの家にお泊まりチャレンジしたものの、やはり寂しくなってしまい、迎えに来てもらったそうです。
息子、初回から、全然、何ともなし。何泊でも大丈夫。度胸があるというか、恩知らずというか
そして、そんな息子のメリットを最大限生かすべく、夏休みなど、割と小さい頃、年少さんくらいから、民間のキャンプに入れています。
年少さん、いきなり2泊。
結構なハードルですが、同じ園の顔見知りもいて、彼はゴキゲンに、何の問題もなく、行って帰ってきたのですが…
ターミナル駅の広場が、お帰りの集合場所でした。参加者の保護者も、続々集まってきます。
子供達が帰ってきました。めいめい、お母さんの所へ戻ってきます。中には涙ぐむお母さん、抱きつくお子さんも。初めての大冒険、頑張ったね!
…すると、このキャンプ主催の校長先生が、息子を連れて私の方に来ました。
「…息子くんのお母さんですね。彼、少し、甘やかしてはいませんか?何でも人にやってもらう癖がついています。生活のことに、手を出し過ぎなんではないでしょうか。このままだと彼が困ることになります。もう少し、厳しく育てないと!」
と、私が、説教されたのです。
ビックリしつつ、息子の為のものですから、はい、はい、申し訳ございません。そうですね、少し考えてみます。ありがとうございます。と、頭を下げました。
すると、それを見ていた、ママ友がやって来ます。
「…今、聞こえましたけど、うーん…私思うんですけど、主婦さん、むしろ、厳しめのお母さんですよね、公園とかでも、絶対に息子くんを甘やかさないように見えるんですけど」
そうなんです。
私はちゃんと厳しく育てているつもりだったんです。
一緒に行ったお姉ちゃん達に聞くと、参加者の中では比較的小さかった息子、お世話したい年頃の子達に、これやってあげるよー、これもー、とどんどん手を出され、何もせずにいたそうです。
これは、お世話した子は何も悪くないというか、むしろとてもいい子達だと思う。
問題は、息子。
普通は、「自分でもできるもん!」と、お世話され過ぎるのを嫌がったり、自分でやりたがったり、しますよね。
そういうの、一切、ない。
普段は、お着替えだって、食事の準備だって、お風呂だって、全部ひとりでできるし、やらせているのに、なんとキャンプでは、すべて人任せ。
先生、私は悪くありません。悪いのは、
息子のごっつあん体質なんです。
…と、なんと驚くことに、ここまでが前説です!長!
タイトルにありますように、私は自称、割と厳しめのお母さんです。ちゃんと叱りますし、大きい声を出したりもします。もちろん、そんな自分に反省もします。
感情で怒っちゃダメ、と頭ではわかっていても、キイイイーーーッッッッ!!ってなって、つい怒鳴って、ああ、またやってしまった、と後悔する、普通に、どこにでもいる、子育てに迷うお母さんです。
まったく人間ができていないので、感情で怒ってしまったり、ああ、こんな小さい子になんで大声を出してしまったのだろう、と自己嫌悪に陥ったり、身体的に危ないこと(飛び出しとか)があれば、軽くこずくことすら、あります。命に関わることになると、まったく冷静ではいられません。
一方で、なーんか、こんなフレーズ、聞いたことありますよね。
「叱らない育児」
これ。
私が知る限りではありますが、
「良さそうに聞こえて全然よくねえよな」
ということになっている、その代表的文言。
誤解なきよう、もう一度書きますね。
良さそう!って思われているけど、でも、実は良くないって思いません?
という意味ではなくて
「良さそうに聞こえて全然よくねえよな」で、ワンフレーズ。
要するに、「世間的にいいことになってる」と、認知されている、と、大多数が思っているものの、
実は褒めた論調なんて、ついぞ見たことない。
実は世間的にも、みんなアカンやろこれと思ってる
ということが言いたいのです。
そうですね、私がこの文言を一番目にしたのは、「子育てエピソード」的なものです。アメブロさんもやってますし、有名まとめサイトなどでもよく見るアレです。
「近所に、いわゆる『叱らない育児』を実践している方がいるのですが、子供はワガママで手がつけられず、とても迷惑しています。ポリシーは結構ですが、果たして子供のためになるのでしょうか」
といったカンジでしょうか。ほぼ、バリエーションなく、すべてこの展開のようにすら、思えます。
そして、これも不思議なのですが、
「実際、叱らない育児なるものを実践している人」が、非常に少ない。いや、あまり見たことがない、なんなら遭ったこと、一度もない、という人が多いのではないでしょうか。
エピソードが多いのは、それだけ失敗の確率が高くて、悪目立ちする、ってことなんでしょうかね。
そして、本当に実践している人がいるのか、そして実践している人がいるとして、それは本当に『子供のためにならない』のかどうか
このあたり、結局何もわからないのです。
…いや、実は私は知っています。
「叱らない育児」の実践者を。そして、その顛末を。
その人は、私の近しい親戚です。
子供の年齢が近かったので、とてもよく遊ぶことが多かったのですが
まず、お母さま、元、幼稚園教諭。要するに、子供のプロです。
彼女が、まー、子供を絶対に叱らないのです。
では、周囲に迷惑かけまくり、悪いこと、危ないことをしまくるのか、といえばそうではなく。
叱らない育児とは、
「叱って行動を止めさせるのではなく、気を逸らして、その行動をごまかしごまかし回避する」のです。
へええ、すごい技術だなあ。
しかし、それはいいとして。
問題は、子供の成長っぷりですよね。「よくある話」のように、ワガママで、分別なく、躾のされていない、どうしようもない子に育つのか。
これがですね、意外過ぎるほど、驚くほど、もう、我が目を疑うほどに、
とても行儀よく、ハキハキとした、ごくごくフツー(よりもずっといい)子に育っています。現在進行形で、何も問題ありません。ないどころか、ホント、すごくいい子です。いわゆる「聞き分けのいい子」ではありませんが、特に乱暴者とか、ワガママとか、そういうカンジは一切、ありません。
…この件で、私なりに「叱る」とは、どういうことなのかな、と考えました。
実は、「何も問題ない仕上がり」とは答えたのですが、その子育ての過程において、すべてが「問題なし」だった訳ではありませんでした。
非常に近しい親戚のため、幼いその子と、息子と一緒に過ごすことも多かったのですが…
例えば、一緒に児童館に行くと、
その子は、暴れまくり、ワガママし放題、友達のモノを取り上げ、迷惑顧みず、走りまくり…と、
まさに、テンプレ通りの問題児でした。
それを、ヒラリ、ヒラリと闘牛士のように、かわしていくお母さん。
友達から取り上げたおもちゃはさりげなく視界からフェードアウトし、元の子に返し、走り回るその子を、優しく抱きとめ、「ホラ、こっちで遊ぼうね」と、走らない遊びに誘う。実に見事なものです。
しかし、それとは別に、私は「困ったなあ」と思っていました。
お母さんは、迷惑行為を上手に阻止し続けてはいますが、
決して、注意するとか、叱るとか、そういうことはしません。あくまでも、そらし続けるだけです。
するとですね、当たり前なんですけど、
「あんな暴れん坊なのに、叱らないなんて。」
「躾されてないから、あんな子になるのね」
という目で見られてしまうのです。
そりゃ、そうだ。
そうだよね、躾してないから暴れる、そう見えるよね。
当たり前ですが、その視線は厳しいものがあります。他の保護者の目に映るのは、まさに、まとめサイトでよく見る、
「叱らない育児とやらで子供のワガママを許容し、周囲に迷惑をかける親子」でしょう。
これが、私にはとてもキツかった。ホラ同行者だし、身内だし。
この親子、私の近しい親戚です。もちろんお母さんは、あからさまに迷惑をかけた親子などには、きちんと謝罪もできる方です。
しかし、すべての目が届くという訳ではありません。
こちらで自分の子供が散らかしたおもちゃを片付けている間に、走り回って他の子に体当たりしたりしています。完全に、全部を掌握はできない。
そもそも、体当たりしないにしても、室内の、小さい、ハイハイの赤ちゃんもいるような場所で大暴れしている、ということ、そのものをあまり良く思わない方も多く…(当たり前だ)
実際、「ええ〜」という目で親戚親子を見る方も、あまりに暴れる子供がいるので、そそくさと児童館を去った方も、皆、見かけたことがあります。
何度でも書きますが、この親子、私の親戚です。その視線には堪え難いものがありました。
さりとて、私がこの親子に注意できるでしょうか。
できません。
息子が具体的な被害に遭わない限り、意見なんて絶対にできない訳です。
私、マジでいっそ、『息子にでも体当たりしてくれないかな』とすら、思いました。そうすれば、私の立場でもちょっと言えるのになあ、と。
(ここで、『なんで注意してあげないの』と思う方、実際、自分なら注意しちゃうな、という方、親戚付き合いとか、ちょっと注意した方がいいと思います。「それは良くないので、忠告する」という価値観、そのものが、とても危険だと私は思います。なぜなら、人の数だけ正解も、正義もあるからです。見えているものが全てではないからです。親でもない人間が、勝手に良くないこと、と判断するのは絶対にやっちゃいけない。ましてや子育ての方針、という非常にデリケートな問題、たとえ親兄弟であろうと、相談もされず、口を出すべきではない、と、私は考えます。)
このお母さん、決して無神経な訳でも、常識が無い訳でもありません。むしろ、私なんかより、ずっとずっとちゃんとした、きちんとした方です。母親として、いつも見習いたい存在ですら、あります。
が、お子さんが小さい頃は、
「近所の児童館で、暴れ過ぎてもう来ないでくれとも取れることを言われた」
「下階の住人から苦情が来てしまったので床材を替える」
と、心労が絶えなかったように思います。
そういう意味では、「叱らない子育て」というのは、多少は図太くないと、というか、「これが正しい育児だ」との強めのポリシーが無いと続かないのかもしれません。
他者への迷惑度はともかく、これって、実はすごく大変で、自分なりに強い信念が無いとできないんじゃないか、と、そう思います。
実際ですね、児童館でのあの冷たい視線、今思うと、「迷惑」に対して、ではなかったのかなと思うんですね。
「あんなに暴れているのに『叱らない』なんて」
「悪いことをしているのに、『自分の子供を叱ってない』そんな親」
要するに、「叱らない、非常識さ」そのものが、反感を買っていたように思います。
そう考えると、私にも心当たりがあるのです。
児童館などで、息子が人のおもちゃを取っちゃった。幼い子供だったら、よくある話です。
「こら、息子くん、ダメでしょ。ごめんなさい、は?すみません、これお返しします」
こんな会話を何度もしました。
この「こら、息子くん、ダメでしょ」の部分。
これって、
私は果たして息子に言ってたのだろうか。
それとも
事態を目の前にした、他の保護者に言ってたのだろうか
と。
つまり、「叱る」には、実は2種類あって、
「子供の躾としての『叱る』」
と、
「社会的に、『ちゃんと躾けてますよ』ということを提示することによって他者を納得させる『叱る』」
が、あるのではないかと。
そして、いわゆる「叱らない育児」というのは、
「社会的『叱り』」を、むやみにしない、ということなのか…??
だって、「社会的『叱り』」って要するに、親の保身のためのものでもあるから。
結局、「叱らない育児」で育った、その子はとてもいい子です。ノビノビと、それでいてちゃんと躾もされた、本当に何の問題もない、普通以上のお子さんです。
私も「叱らない育児」の具体的内容はわかってない人間ですが、少なくともこのお母さんは、子供のためにはとても立派だったとは思います。
バンボ、「お風呂で便利よ」と言われて買ったのですが、お尻洗えないじゃん!と私は思っちゃったんですよね。でも、結局は離乳食で大活躍。これもなくてはならなかった、私のお助けアイテムです。ベルフルール
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