フォーエバー・ヤング

 

先日、飲み会の席でのこと

 

ゆるふわふりふりフリルゴスロリ風ファッション30代後半女性「もうすぐこんな服装できなくなるんだから、今のうちにやっとかないとね☆」

僕「へ、へぇ…^^」

 

それでは本日も張り切ってまいりましょう。

 

世の中には、肉体に対して精神が遅れを取るケースがしばしば存在する。そしてそれは悲しいことに、年を重ねれば重ねるほど症状は悪化の一途を辿り、そうしてその乖離は更に助走を付けて広がっていく。

 

心の在り方はフォーエバー・ヤング。直近の症状は更年期障害。辛く悲しい物語である。いつまでも若く美しくありたいと願う気持ちは男も女も変わらない。そしてその思考は至って自然な現象ではある。ではあるのだが、そんな気持ちなどおかまいなしに時は無常に流れ流れて『老化』を僕らへ運んでくる。それは水が低きに流れるように、春の次に夏が来るように、そういった類の云わば摂理なのだ。

 

そんな当たり前の事実を、僕らはちゃんと認識し得ているのだろうか。無理はしていないだろうか。「ん?なんか違和感が…でも大丈夫だろ!まだ若いし!」などと、自分に言い聞かせてはいまいか。アウト、なのである。乖離はとうに始まっているのだ。

 

「普通はそうだとしても、自分だけは違う」

 

思い、願ってしまうことだろう。認めたくなど、ないのであろう。在りし日の美しい思い出が、雄雄しい己の姿というフィルターが、鼓膜に焼き付いて離れないのである。そうして悲劇の種が芽吹くのだ。

 

20代女性「もうすぐこんな服装できなくなるんだから、今のうちにやっとかないとね☆」

僕「へぇ⤴⤴⤴^^」

 30代女性「もうすぐこんな服装できなくなるんだから、今のうちにやっとかないとね☆」

僕「へ、へぇ…^^」 

 

時をかけたのか!?お前は!!!などと肩を揺らして問われる案件だ。可能ならば20代の頃の証言を録音し法廷で「意義あり!!!」と声高々に提出したいところだが、今回は自粛させて頂く。なぜならここは法廷ではないからだ。

 

このような悲しい事件は、一体なぜ起こってしまうのか。思うに『自らの能力を過信しすぎている』からではないだろうか。先ほどの女性の例もそうであるが、『過去になんらかの実績、それに伴う賞賛等を受けた』ということがある場合、同じような問題が起こった際に先ず浮かぶのは「前にも出来たから、出来るだろ」ではないか。実際、僕個人としても思い当たる節がある。

 

しかしそれは皮肉にも『人間として健全に機能している状態』であるのだ。どういうことかというと、我々人間は学習をする生き物であるということだ。なるほど確かに野生のアニマルにも"経験則"という概念はあれど、その経験を踏まえ様々な事態を想像し、そして解決する能力は人間だけに顕著な能力なのだ。

 

だとしたら、一体どうすればいいのか。それは、もう当たり前のこと過ぎる結論ではあるのだが、ただ、自分の身体の状態を正しく把握すること以外ないのではないだろうか。

 

かつてはこの程度難色を示すことなく出来た。しかし現状では難しいのではないだろうか…若かりし頃は苦もなくこなしたもんだが、今すると全身痙攣の如く筋肉痛が来るのでは…しかも2日遅れで…

 

 再三になるが、先ほどの妙齢女性の言について考察していこう。

件の女性、主張は分かる。言いたいことも理解はできる。具体的に説明を付け加えるならば

 

①もうすぐ ←時期の確認(時間詞

 

②こんな服装 ←程度の大小(副詞)

 

③出来なくなる ←状態の変化(動詞)

 

④から ←後節への助走(助詞)

 

⑤今のうちに ←状況説明(助詞)

 

⑥やっとかないと! ←決意、或いは覚悟(動詞)

 

⑦ね ←根(草木の地上部分を支え、普通は地下に張って、水分・養分を吸収する器官)

 

ということになる。ここまではお分かり頂けただろうか。

 

ご存じではあるが、この文章には当然ながら『ゆるふわふりふりフリルゴスロリ風ファッション30代後半女性』という前置きがある。これが僕が今回キーボードを叩く最大の要因になった原因でもあり、仮に

 

10代女の子「もうすぐこんな服装できなくなるんだから、今のうちにやっとかないとね☆」

 

という文章が表記されていたのならば、その服装が例え乳首を紐で隠しただけのようなハッピーターン(幸福的刺激物)であったとしても僕は「うんうん。君は君の道をひた走るんだよ…」と熱いエールを送ってしまうことだろう。財布からお札を取り出すことだって辞さない。

 

だが、現実は理想には遠く及ばない。時間軸にしておおよそ20年~30年。かかる状況は過去にはなく、僕らはいつだって現実”リアル”を生きている。よって初心に立ち返り、個人的に不本意に感じた背景、言語を嫌々甦らせれば、こうなる。

 

ゆるふわふりふりフリルゴスロリ風ファッション30代後半女性「もうすぐこんな服装できなくなるんだから、今のうちにやっとかないとね☆」

 

タイムリープでもしてんのか!!!!?!?!てめぇは!!!!!!!

 

 いや、もうね、ぶっちゃけるけどさ、あのさー、節度ってあるでしょ!?僕らの先生ウィキペディアによると『度を越さない、適当なほどあい』と表記されてるあれ。いやね、別にあなたがどんな格好をしてようが正味関係ないとですわ。正味ね。全然関係あらへん。せやけどそんな、言い訳するみたいにそんな、「もうすぐこんな格好出来なくなるから…」

いや、もうできねえよ!!!!!!!!!!

フォントの大きさだっていじっちゃう。それくらい僕は怒っているのだ。

 

 だけど僕は知っている。本当は僕なんかよりもあなたが一番そのことに気付いていることに。「あれ?なんか前着た時と違うような…」その心を。結局、自分を騙すことなんてことはできないのである。欲望は、涙のように自然と溢れてくるものだ。そうして、事ここに至った頃、ようやく淑女は気付くのだ。『あの服装は無理があったのではないか』とーーー。

 

 

 本稿の質疑はここで終了である。反省は痛みを以て、それでしか矯正されないものである。そして、個人がそうしたいと思ったのならば我々他者にはおよそ理解のできない物語なのである。理解などいらないのである。

 

果たしてそれは"若さ"故の過ちであったのか、それとも”あなた”故の過ちなのか。それは誰にも分からない。未来のあなたにしかそれは知り得ぬことだ。記事にするには余りにも陳腐で、ありふれた、卑怯な話ではあるが、僕はそう思う。

 

ただ、もしも自分がそのような立場にあった際、気を付けることがあるならば、

 

『同じ過ちを繰り返さない』

 

そんな当たり前のことなのである。