推定IQ70前後の「バカ」と呼ばれた母親

9月のお彼岸に母親が死んだ。母親が死んだのに正直ホッとして、悲しくて泣くことはなかった。母親らしい事は何もしてもらえず、幼い頃に母親に頼ること事を諦めた筆者。現在2人の子を持った筆者が母親に対して思った「やっぱりバカだったんだなぁ」というエピソードを綴っていきたいと思います。

娘に切り捨てられた母親

私は

母親の存在を受け入れられずに「迷い」

そして切り捨てる「決断」をしました。

 

切り捨てた結果、心が軽くなり、去年母親が死んだ今、常に心の片隅にあった重苦しいもやが、完全に晴れてすっきりしました。

 

 

母親は地元では「バカ」で名が通っていて有名だった。

今私が思うにIQは70前後程しかなかったのではないかと思う。

何にも出来なかったので。

(詳細は過去記事を読んで下さい。)

 

 

私がおとよさんを切り捨てたのは35歳の時。

はっきりと覚えている。

私が第1子を出産し母親になった時に・・・。

(もうおとよさんのことを心配して考えてお金や身の回りの世話を焼くのは一切しない、何とかなる、父と母でやってもらおう)

と。

文章にしてしまえば数行のことだが、これを決断するのに35年の月日が必要だった。

単におとよさんよりも大切な、私が守っていかなくてはならない息子という存在が出現したからだが・・・。

35年頑張ったのに、結構あっさり捨てられました。

 

 

私がまだ独身で働き始めたばかりの頃

ある日突然電話で

「理由は聞かないで、30万、いや20万でいい、お金送ってくれる?」

と連絡してきた。

切羽詰まったおとよさんの声に、私は心配になり、言いつけ通りに何も聞かず

貯金から30万おろして送金した。20万でも良かったのも知れないが、貯金があったし、なによりもおとよさんが心配で30万にしたのだ。

 

後で知ったことだが、電子ミシンを月賦で購入したものの支払いをしなくて督促状がきたと。

それで私にお金の用意をお願いしたと。

おとよさんは不器用でミシンで何か作るなんて出来ないので、

「ミシンで何作ったの」と聞くと

「色々だよ・・・」と。何故か上の空で答えている。

当時同居していた兄弟に聞いてみたら、

「あー、ミシンあるね、使ったの見たことないよ」と・・・。

埃を被った新品同様のミシンが部屋の片隅に置いたままで・・・。

おそらくは、ただのミーハーか誰かの口車に乗せられて購入したのでしょうね。

支払い当てもないのにね。

 

・・・当時の私はそう思っていました・・・。

 

 

「このミシン」は今、私の手元にあります。

何度か引っ越ししてますが、持ってきています。

おとよさんとは違って、割と手先の器用な私は裁縫は好きで、

さいころから手縫いで学校で必要な体操着袋とか縫っていました。

というか、おとよさんやってくれないので、いや、やってもらったことはありますが、波縫いの幅が大きすぎて縫い目が穴だらけに見えるという、とんでもないものを作ったことがあって。

それから自分でやるようになりました。

子供だった私は布が売っていることを知らないので、着なくなった服を裁断して作っていました。

リメイクというやつですね!

 

「このミシン」は今現在でも大活躍してます。

私の二人の子供の幼稚園グッズ、小学校グッズを手作りして。

布は子供たちと選んだ生地を買ってきました。

幸せ極まりないですよね。

30万というとてもお高いミシンですが、元は取れてたと思います。

 

でも「このミシン」もらう時にひと悶着ありました。

「どうせ使ってないんだから、私貰うよ」と言ってもらってきたのですが、

この期に及んでおとよさんは「使うから駄目だよ」と言ってきたのです。

でも使ってないし、おそらく使い方がわからないし(ボビンのふた?のところが折れてなくなっていたので、やり方が分からなくて壊したのだと思われます)

何よりもお金は私が払ったんだからと、言ってもらってきたのですが・・・。

のちに兄弟から「勝手にミシンを持って行った、泥棒猫だ」と

何かにつけ私の文句を言っていたそうです。

お金の事は棚に上げて、もう済んだことだから、ミシンはおとよさんの所有物っていう認識しかなくて、それを私がもって行ったから、怒り狂ったんですね。

 

 

こんなことがずっと繰り返されている人生。

まともな感覚でいられません。

私はこんな事が日常で育ちました。

 

知り合いに合ったら睨み付けてるおとよさん

いくら嫌いな人でも、本音と建て前を使って挨拶するくらいなんてことないのに・・。

おとよさんと一緒にいるのは恥ずかしい。

こんな人が母親だと思われたくない。

でも母親。

心配で気になる。

私がいないとおとよさんはどうなってしまうのか?

そんな複雑な感情の繰り返し。

 

常識とか普通の感覚は友人や大人になってからは職場の人など周りの人から教わりました。

見て真似したり

教えてもらったり

注意されたり

叱られたり

 

恥ずかしい思いをしたりすること多かったなぁと思います。

でも今は上手く軌道修正されて普通のまともな感覚の人間になっていると思います。

 

 

こんなおとよさんだけど、不器用なりに子供のことは一番に考えてくれていました。

 

「このミシン」。

 

手縫いで体操着袋が作れなかったからミシンなら出来ると思ったんだそう。

ミシンがないから子供に不憫な思いをさせたのだと。

でも当時は電子ミシンは高級品で手が出せなかったと。

ずっとほしいと思ってたそうだ。

月日がたち子供たちが成長した頃にミシンが月賦で買えると知り、月賦なら何とかなると思い購入したのだと。

 

なんか……。

自分本位の思考だけど……。

長年の付き合いだから、おとよさんの気持ちがわかる……。

これはおとよさんなりの愛情だと。



死ぬ前の年に入院先の病院にお見舞いに行ったときに

あのミシンで子供たちに色んなもの作ってるんだよと伝えた時、

案の定「泥棒猫」と言われましたが

当時絶対に言わなかったミシンを購入した理由を教えてくれました。

おとよさんも子供に作ってあげたい気持ちはあったんですね。

でも作れなくて、困ってたんですね。

 


そういえば、冬になると毛糸で(唯一出来るカギ網で)編み物していて

「マフラー作ってやる」

っていってたのを思い出しました。

完成したのを一度も見たことはないですが。

何でなのか?15センチくらい編んでは解いてをずーっと繰り返していました。

編んでは解きを繰り返す、

この光景毎年繰り返していて、

今でもたまに兄弟で集まった時は「あれなんだったんだろうね?」と話題になります。

 きっとこれも、おとよさんの子供を思う気持ちからでた行動で、でも完成させられない。

気持ちはあるけど、出来なかったんだと思います。


入院中も体調が良い時はベッドの上で編み物をしていたそうです。

看護師さんが何を作っているのか聞いたときに

「孫にマフラー編んでやってるんだ」と言っていたそうです。

 おとよさんの孫は私の子供しかいないので私の子供のマフラー……。



おとよさんは夜中に眠るように死んだので、家族全員がおとよさんの死に目には会えませんでした。

駆けつけたのですが間に合いませんでした。

せめてもの気持ちで

おとよさんの最後はどうだったのか?

看護師さんに聞きました。

苦しまず、眠るように息をひきっとった事、と編み物の話を聞きました。

荷物の整理をしてるときに編みかけの編み物がありました。

もちろん、未完成です。

完成させられなかったですね。

こういう所はぶれないですね。



おとよさんのことで恥ずかしい嫌な思いはたくさんしてきたけど、

子供の事を思う気持ちは、どの母親とも同様に持っていたから・・・。

だから私にとっておとよさんは常に心配な存在だったのだと思います。

 

そして、私は自分が子供を産んだらあっさりおとよさんを切り捨てる。

もしかしたら、「切り捨てさせてくれた」のかも・・・。

切り捨てるようにしむけてくれたのかも・・。

そんな風に感じてしまうこともあります。

いつまでも私がおとよさんを気にしないように。

自分の家族だけに愛情をかけられるように。

・・・おとよさんなりの愛情。

 

 

 

私が子供を産んだ途端に電話魔だったおとよさんは電話をしてこなくなりました。

お金のせびりは私以外の兄弟にしていたそうです。

・・・ おとよさんなりの愛情。

でもおとよさんはおとよさん。

こういうことろはぶれないですね。