孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ロヒンギャ難民問題  長期化に伴うキャンプ地での軋轢 スー・チー氏、国際法廷で反論か

2019-12-04 23:00:12 | ミャンマー

(あらたに流入したロヒンギャ難民が食料の配給を受け取るために並ぶ。地元住民には配給がないため、不公平感が募る【1128日 龍神孝介氏  WEDGE Infinity】)

 

【長期化に伴い、地元民や以前からの難民たちとの軋轢も】

ミャンマー西部ラカイン州におけるイスラム系少数民族ロヒンギャの弾圧から2年が経過しましたが、バングラデシュに避難した70万人を超えるロヒンギャ難民の帰還にめどが立たないことはこれまでも取り上げてきました。

 

長期化する難民生活で、受け入れ側のバングラデシュ地元住民、そして、以前から難民として暮らしていたロヒンギャの人々と、国際的支援を受ける新たな大量難民との間で生活環境や治安の悪化、雇用機会の競合など様々な軋轢が生じているであろうことは想像に難くありません。

 

****ロヒンギャ大流出で地元住民の生活は?****

20178月に発生したミャンマー軍主導による、大規模なロヒンギャに対する弾圧から2年が経過した。バングラデシュに逃れてきたロヒンギャの多くが早期の帰還を望むも、状況は改善されずキャンプでの暮らしは長期化の様相を呈してきた。

 

ただ、この被害者は大流出したロヒンギャだけではない。地元住民や以前からキャンプで暮らすロヒンギャにもしわ寄せがきている。こうした状況はメディアではあまり報道されていない側面だ。

 

70万人以上の難民を受け入れたコミュニティ

難民キャンプがあるバングラデシュ南東部のコックスバザールは国内でも貧しい地域で、多くの住民が日雇い労働や漁業、農業などに従事している。ここに2年前、あらたに70万人以上のロヒンギャ難民を受け入れることになった。

 

ロヒンギャが流入した当初、地元住民は食料を分け与えたり、寝床を貸したり、洋服をあげたりして献身的に助けていた。同じムスリムであり、困っている人を助けるのは当然だと言う思いがあり、そして何よりいずれ近いうちに彼らはミャンマーに帰るという観測があった。

 

しかし2年が経過するも難民の帰還は進まず、定住化の不安からかホストコミュニティ(ロヒンギャ難民を受け入れている現地の人々)の心境も微妙に変化してきた。

 

ロヒンギャに対しては食料などの援助も届き、無料の診療所が設けられるなど国際社会からの注目も高い。一方で多くの受け入れ側の地元住民は「何の恩恵も受けていない」と訴える。ロヒンギャが流入したことによる様々な問題も生じている。

 

居住地の環境や雇用が悪化

多くの地元住民がロヒンギャの居住地や国際機関、NGOの施設のために、農業用などの土地を政府によって接収された。広大な丘陵は削られて住居や施設のために整備され、森林は伐採され住居や燃料として使われた。

 

地元男性は「ここは以前、とても静かな場所で住みやすかった。ロヒンギャが来てから、井戸が無数に掘られ水源が汚くなった。木も伐採されたためどんどん暑くなってきている」と訴える。(中略)

 

ロヒンギャは国連機関によるインフラ設備、防災工事、NGOの手伝いに従事するケースもあるが、競争率が高いために現地住民が営む農業や漁業などに従事することが多い。

 

本来ロヒンギャは就労が許可されていないため、雇い主も安い賃金でロヒンギャを雇うことが出来る。結果として今まで働いていた地元の人が仕事にありつけなくなってしまう事態が起こっている。

 

地元住民にとっては、働き口が減少して収入は減少した中で、急激に増えた人口による需要の高まりで物価が高騰して暮らしを逼迫させている。(中略)

 

関係性もこじれ、事件も頻発

キャンプ内ではヤバという錠剤で使用されるミャンマー産の覚醒剤が蔓延している。2年前の大流出以降、国境警備の取り締まりが厳しくなり、犯罪組織がロヒンギャ難民を運び屋として利用しているためだ。

 

そのためロヒンギャが密売人や運び屋として逮捕されたり、治安当局によって射殺されたりする事件も数多く報告されている。少女が運び屋として逮捕されたケースもあった。

 

地元の若者がキャンプへ行ってロヒンギャとの関わりによってドラッグに手を染めるのでないかと大人たちは心配する。

 

今年の822日には与党青年組織の地域代表が何者かに殺害される事件が起こった。地元警察は容疑者として10人以上のロヒンギャを射殺した。

 

2年前の流入以来、ロヒンギャによる地元住民への強盗や空き巣が頻発。2年間にキャンプ内で50人近くのロヒンギャが別のロヒンギャに殺害されるなど治安は悪化する一方だ。

 

治安の悪化に怒りを募らせた地元住民によるロヒンギャが営む露店の破壊や、道路封鎖も起きており、関係性は明らかに悪くなっている。(中略)

 

数十万人のロヒンギャ難民が集結した抗議集会に対して、幾つかの地元メディアは「難民が政治活動を行うのは、国連やNGOなどが手厚く保護するからだ」と批判的な記事を掲載した。様々な代償を払い難民を受け入れているホストコミュニティのロヒンギャに対する心境は着実に変わりつつある。

 

2017年以前からキャンプで暮らすロヒンギャの心境

もともとバングラデシュにはおよそ30万人のロヒンギャがバングラデシュのキャンプに暮らしていた。主に彼らは1970年代から20178月までに何度か起こったミャンマーでの弾圧や圧政から逃れてバングラデシュにやってきた。(中略)

 

2017年以前から難民キャンプで暮らすロヒンギャたちは一様に2年前に比べて暮らしぶりが悪くなったと語る。彼らが言うには新しく来たロヒンギャの方が人数も多く、発言力もあって社会からの注目度も高いため、手厚い援助を受けている。「自分たちの方が古くからここで暮らしているのに不公平だ」と主張する。(中略)

 

以前から暮らしていたロヒンギャへの援助は減少し、移動は厳しく制限され、仕事にあぶれることも多くなった。通信も制限され、ミャンマーにいる家族や親戚との連絡手段がなくなった。「難民として最低限の暮らしを強いられてきたが、さらに不自由になった」と嘆く。(中略)

 

同じロヒンギャであり、同じ難民でありながら心境は複雑だ。注目度の高さや発言力により格差が生じている。はっきりとは言わないが彼らの多くがあらたにやって来たロヒンギャに何らかの不満を持っている。

 

2年前に起きた大弾圧で凄惨な体験をしたロヒンギャには安息の場所が与えられるべきである。しかし難民の間にも格差が生じ、ホストコミュニティにも負担が強いられる。

 

昨今、大量の難民が流入した一部のヨーロッパ諸国が体験したようにこの軋轢が今後、大規模な衝突や排斥運動に繋がることも懸念される。早期の帰還へのプロセス作りが最も優先されるべき課題だが、一方で共存への道を探ることも忘れてはならない。【1128日 龍神孝介氏 (フォトジャーナリスト)WEDGE Infinity

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難民生活の長期化に伴って、子供たちの教育をどうするのか・・・という問題も生じています。

 

****ロヒンギャ40万人に教育を 人権団体、バングラデシュを非難*****

国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチ(HRW)は3日、ミャンマーで迫害され、隣国バングラデシュで暮らすイスラム教徒少数民族ロヒンギャの子どもたち約40万人の教育を受ける権利を、バングラデシュ政府が奪っていると非難する報告書を発表した。

 

報告書は、バングラデシュは難民キャンプで暮らすロヒンギャの子どもたちに、公的な教育を受けることを許可していないと指摘。教育を受けられなかった子どもたちは児童労働や児童婚の被害者になる危険性が高まるとして、直ちに改善するように訴えた。【123日 共同】

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【故郷ラカイン州で活動が活発化する「アラカン軍」 改善しない治安】

問題の解決・緩和のためには、キャンプ地での共存のための施策、教育の提供も必要ですが、やはり本筋としては、早期に帰還できる環境を整えることが一番重要でしょう。

 

もちろん、バングラデシュ政府が検討しているような難民たちをベンガル湾に浮かぶ島へ移住させて実質的に隔離するというのは解決策になりません。

 

難民帰還のためには、故郷ラカイン州の安定が絶対条件ですが、弾圧の主体となったミャンマー国軍がその責任を認めておらず、いまだに状況があんていしないという問題があります。

 

それに加えて、ラカイン州では「アラカン軍」の抵抗という新たな問題が表面化しており、治安改善は見通せない状況のようです。

 

ラカイン州に暮らす地元住民ラカイン人はロヒンギャを迫害したとされていますが、ミャンマー全体からすれば彼らもまた少数民族であり、中央政府の差別に対する武装闘争を劇化させています。

 

****ミャンマー少数民族問題の新たな火種──仏教徒ゲリラ「アラカン軍」という難題****

<少数民族が武装闘争を続けるミャンマーで新たな混迷を呼ぶ「アラカン軍」が支持される複雑な理由>

 

(中略)ミャンマーには、政府に公認されているだけで135もの少数民族が存在する。モザイク国家を絵に描いたようなその多様性は1948年の独立以来、紛争の火種になってきた。少数民族を戦いに駆り立てるのは、政府や国軍の長年にわたる差別や搾取に対する強い不満だ。

 

独立時に掲げられた「連邦制」は名ばかりで、多くの少数民族には自治権はおろか学校で自分たちの歴史や言語を学ぶことも許されていない。

 

さらに彼らの居住地では、国軍による強制労働や土地の収奪、住民に対する暴力が頻繁に起きている。また、戦闘が発生するたびに多くの市民が家を追われ、隣国の中国やタイで難民化した。

 

中央政府は少数民族と和平協議を続けてきたが、その目的は彼らの土地に眠る天然資源や国境貿易の利権だったため、交渉はまとまっては決裂し、新たな紛争が生まれた。

 

2016年にアウンサンスーチー国家顧問が率いる国民民主連盟(NLD)が政権に就き、少数民族との和平を最優先課題に掲げると、やっと状況が変わるという期待が広がった。

 

だが、国軍と少数民族の調整がうまくいかず、和平協議は難航しており、現在も中国国境付近のシャン州などで、複数の武装勢力が戦闘を繰り広げている。なかでも今、勢いを増しているのが仏教徒ゲリラのアラカン軍だ。

 

アラカン軍は2009年に設立された比較的新しいラカイン人の武装組織。今年の1月、ラカイン州北部の警察施設への襲撃を皮切りに独立闘争を開始した。

 

これまでに警察施設のほか国軍の交通・物流の拠点などを幾度も攻撃しており、当初は北部中心だった戦闘地域も南部や市街地にまで伸張している。10月にはラカインの州都シットウェから北部に向かうフェリーをハイジャックして、ミャンマー軍兵士や警察官およそ50人を誘拐する大胆な作戦を敢行し、海外メディアにも注目された。(中略)

 

失望と戦いの悪循環

「ヤンゴンに初めて行ったとき、すごくびっくりした。ビルがたくさんあって、道路も整備されていて、どこでも電気が通っている。僕の村はとても貧しくて、毎晩ロウソクの火で勉強していたから」

 

(元「アラカン軍」メンバーの)アウンは最大都市ヤンゴンを訪れて、初めて故郷ラカインの貧困に気付いた。自分たちの失われた権利や富を取り戻すためには戦うしかない。それが、14年前にゲリラに入隊した理由だった。(中略)

 

かつてラカイン州に栄えたアラカン王国はベンガル湾の覇権を握る大国で、ラカイン人はその歴史に揺るぎない誇りを持っている。

 

1784年にビルマ人王朝に王国が滅ぼされた後も、学識の高さで知られたラカイン人は、英国の植民地政府で要職を得ていたという。だが独立後のミャンマーでは、多数派ビルマ人の言語や宗教、歴史を中心にした「ビルマナショナリズム」による国造りが進められる。

 

その結果、他の少数民族の人々は、経済開発の恩恵や社会的地位を得る機会を失っていく。ラカイン州も同じ道をたどり、同州の貧困率は今や78%と国内平均の倍以上だ。

 

もう1つ彼らが不満を募らせているのが、中国資本の経済開発だ。1988年に誕生した軍事政権下で国際的に孤立したミャンマーは、隣国・中国に依存するようになる。1990年代から対外援助を利用して自国経済の発展を目指した中国は、ミャンマーへの経済・軍事協力を続け、両者は親密さを増していった。

 

「一帯一路」構想が打ち出されると、インド洋に面し、豊富な天然資源を擁するラカイン州でも、中国資本の経済開発が盛んに行われるようになる。だが、こうした開発の収益は中国企業と中央政府で分配されているため、地元にはほとんど還元されていない

民主化の象徴だったスーチーの再起には、ラカイン人も期待を寄せた。ところが、地元の民族政党アラカン国民党(ANP)のミャウー支部で書記を務めるタンニーウィン(33)は、「スーチー氏が政権トップになって3年が過ぎたが、変化は感じられず、NLDに対する失望が広がっている」と話す。

 

誰も助けてくれないのなら独立しかない──ラカイン人の積年の鬱屈を晴らす唯一の希望がアラカン軍なのだ。(後略)【1128日 今泉千尋氏(ジャーナリスト) Newsweek

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「アラカン軍」は武器・資金の支援を中国に求めています。

中国は、紛争状態が続いた方が、調停者としての影響力を発揮できます。

国軍も、紛争状態が続く方が存在感が高まります。

 

このように、ミャンマーがいつまでも紛争から抜け出せない背景には、戦いに乗じて甘い汁を吸おうとする当事者の思惑があるとも上記記事は指摘しています。

あるミャンマー研究者は、「ミャンマーでは紛争が秩序の前提になっている」と指摘しているとも。

 

【スー・チー氏のもとでも状況改善せず 地方部で高まる不満】

そうした状況の打破が期待されたスー・チー氏でしたが、今のところは改善の歩みは遅いようです。

そのため、特に地方部においてスー・チー人気の陰りが見えるようです。

 

****こんなはずじゃなかった スーチー氏、地方で強まる不満****

ミャンマーでは2020年11月に総選挙が予定されている。4年前の選挙で大勝したのはアウンサンスーチー国家顧問率いる現政権党・国民民主連盟NLD)だが、最近は逆風にさらされている。(

 

「期待を裏切られ、悲しかった」。ミャンマー南部モン州議会議員を務める、少数民族モン族中心の政党メンバーのアウンナインウーさん(49)がそうこぼす理由は、州都モーラミャインの橋の名前だ。

 

地元の地名を使うと決まっていたのだが、一昨年、アウンサンスーチー氏の父、アウンサン将軍の名前をつけるようNLD政権から指示された。「この地の名前一つ一つはモンの人々にとって大切。それを権力で変えることが『民主化』なのか」。数万人による抗議活動も起きた。

 

もともと、ビルマ族中心の政府から距離を置いていた少数民族の人々だが、前回選挙では「民主化で平等にしてくれる」とNLDを支持した。(中略)しかし政権の座についたNLDの中央集権的なやり方に、地方では不信感が膨らむ。

 

各地で少数民族系政党の再編が進み、東部カレン州では4党が、モン州や北部カチン州では3党が一本化した。次の選挙でこれらの政党に票が流れる可能性が高まっている。

 

和平も改憲も進まず

NLDが公約した少数民族武装勢力との和平協議は進んでいない。約20ある武装勢力のうち、前政権で8組織が署名した停戦合意はNLD政権では2組織にとどまる。

 

少数民族側からは不満が噴出する。カチン州で強い影響力を持つカチンバプテスト教会のカラム・サムソン氏(58)は「和平の橋渡しをしなければならない州選出のNLDの国会議員には経験も熱意もない」と批判する。「党本部の意向ばかり気にして我々の声を聞こうとしない」(中略)

 

もう一つの旗印、憲法改正も見通しが立たない。スーチー氏らは議会の議席の4分の1を「軍人枠」とする現憲法の改正を求めるが、改憲には4分の3超の賛成が必要なため、軍の同意が不可欠だ。国軍側は少数民族との衝突が続く現状に「国の安定が必要だ」として、スーチー氏らの要求に応じる気配はない。(中略)

 

経済政策にも不満の矛先が向く。前政権で8%超だった経済成長率は5~6%台。増える消費に生産が追いついていないなどの理由から、インフレ率は19年8月に8%を超え、東南アジアで最悪だ。食料品を中心に物価が上がっている。カチン州の農家サラクエシンさん(35)は「NLD政権で暮らしも楽になると思っていた。前政権の時の方が生活はよかった」と憤る。

 

都市部はなお盤石

NLDが前回同様の大勝を収めるのは難しそうだが、都市部を中心にNLDへの支持はなお厚く、第1党は間違いない情勢といえる。(中略)

 

約70万人が難民になっている少数派イスラム教徒ロヒンギャ問題でも、国際社会が厳しい視線を送る中で「自国の問題。自分たちで解決する」と強気の姿勢を崩さないスーチー氏に国内の支持はむしろ強まっている。仏教徒が約9割を占めるミャンマーロヒンギへの視線が冷めているのが理由だ。(後略)【1130日 朝日】

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【ロヒンギャ問題で国際批判に対する“勝負に出る”スー・チー氏】

地方部での人気の陰りがみられるスー・チー氏としては、ロヒンギャ問題で国際批判に屈しない対応を示すことは、国民の支持をつなぎとめる重要な手段ともなります。

 

****スー・チー氏、12月国際法廷に ロヒンギャ巡りリスクも****

ミャンマーのイスラム教徒少数民族ロヒンギャの迫害問題を巡り、アウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相が12月上旬にオランダの国際法廷に赴き、欧米諸国からの厳しい批判に直接反論することになった。

 

国内では歓迎の声が上がる一方、事実上の国のトップだけに、不調に終わった場合のリスクが高すぎるとの懸念も聞かれる。

 

スー・チー氏が出廷するのは国際司法裁判所(ICJ、オランダ・ハーグ)。西アフリカのガンビアがイスラム協力機構(OIC)を代表し、ジェノサイド(民族大虐殺)があったとしてミャンマーを提訴した。スー・チー氏は、異議を唱える見通しだ。【1130日 共同】

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これまでロヒンギャ問題について語ることが少なかったスー・チー氏ですが、国際批判に反論する形で“勝負に出る”ようです。

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