病気でなかなか目覚めぬ子を抱え、年中行事やらさっぱり頭の中から消えている我々も、現在、人並みに帰省らしきことをしている。
ここでの生活といえば、娘がやっとの思いで目覚めた午後に、なるべく外に出て歩いて衰えた筋力のリハビリをさせるようにしている。この酷暑の中では逆効果になるため、専ら大型スーパーの快適に調整された空間の中を一緒に散歩している。
私達にとっての大きな進歩なのだが、娘の調子がよい時は、「外に出たい!」と、自分から言うようになったのだ。
脳脊髄液減少症の治療に関しては、ブログに書かなかった事も含め、現段階でやるべきことは取り敢えず一通り、納得するまでやり終えた感があるので、まだ漏れがあるかどうかは定かではないが、試しに歩いて体力をつけてゆく時期に入ったと感じている。
身体を動かしても改善せず、また症状が重くなる場合は、「まだ漏れている」または「再発」の可能性があるため、振り出しに戻って検査や治療に勤しむことになるのだが、今はとにかく、「廃用症候群」の予備軍のようになった身体を元に戻すことが先決だ。
苦しみの地「神戸」の重苦しい空気とは違い、帰省先ではのびのびとした顔を見せる娘。ここでは、少し無理にでも起こして、好きなものを食べに行ったり、外に出て歩くことを第一に考える。
昨夜は、久しぶりに一緒の部屋に寝たのだが、驚くことがあった。予想もしていなかったが、メンタル面での問題が深刻なレベルに重症化しているようなのだ。
夜寝る時も、電気は薄暗くつけて、「音楽」を聴きながら寝ようとしている。こんなことでは熟睡できないので、「電気を消して、音楽のイヤホンも外しなさい」と、ちょっと厳しめに言った。よく、朝までイヤホンをつけっぱなしのことがあったので。
すると娘は、急に嗚咽を漏らして、ボロボロと泣きながら訴え始めた。
「前から言ってるやろ・・・心の問題があるから、苦しくて不安で寝られないんや。
事故に遭ってからは、真っ暗が怖くて、音楽も聴いてなかったら、色んな事を考えて、悲しくて不安で心臓がどきどきして過呼吸みたいに苦しくなって息を吸えなくなるんや・・・。
だから、早く、お医者さんに診て欲しいってずっと思ってたのに、私の言ってること
真剣に聞いてくれなかったやろ?」
なだめても、なかなか泣き止まず、ティッシュペーパーひと箱をほぼ使ってしまった。
これは、私にとっては晴天の霹靂のような告白だった。過去何回か、鬱病のようになって、布団の中でずっと泣いて食事が入らない時もあったが、まさか、いまだに夜中にそんな不安に襲われているとは思いもせず、ましてや、「不安障害」「パニック障害」のような症状まで出ているとは・・・軽い「鬱」は、まだあるかもしれないとは思ったが、これは完全なる「盲点」といってもよいものだった。
実は先日、現在かかっている病院の脳神経科の医師から、「ここの児童精神科の先生に紹介させてください」という申し出があった。私はそれを聞いて「もう脳神経科では打つ手がないから、難しい病気がいつもそうであるように最後には精神科に回されてしまうのかな?」という気持ちもないではなかった。
しかし、それに異論を捉えないどころか寧ろ諸手を挙げて歓迎したのは、娘の体重減少と食欲がないことを、精神科のほうで何とか対処をしてほしいと考えたからだ。一般血液検査に異常値がでていないため、内科を始めとする他の科では何もしてもらえないとわかっていた。
なので、「食べられるようにするために」精神科に助けを求めようとしていたのだが、
もっと大事な問題を完全に見落としていたということだ。
しかし、さすがに、子供をたくさん診ているこの病院の医師は、娘の問題をよく観察し、潜在的な問題点を感じられていたようだ。たいていの場合、身近で子供をみている母親の勘のほうが医師よりも子供の実情を的確に感じ取っていると思っていたが、今回はそうではなかったようだ。
このようなメンタル面の重症化が、現在まだ続く「過眠」の一つの原因ではないだろうか?この間までは、「特発性過眠症」の症状にあまりに一致するため、睡眠障害の病院も既に予約しているのだが、これからは、この「深刻化した心の問題」の糸を解きほぐすため、専門家の先生の力を借りることが必要になる。
予約は、どこも一杯で、神経内科の先生が「死守」して下さった児童精神科は9月上旬、子供の睡眠専門外来は、なんと1月になるまで空きがないとのことだ。
それまでは、頑張って歩いて歩いて、身体に、脳に、免疫や自律神経に「自分達が以前どのように動いていたか」を思いださせたい。