Friendshipは船と港 ~藤田くらら 小6でTOEIC980点までの軌跡~

小学6年でTOEIC980点を取った女の子のお話。中学1年での、学校体育時の事故が原因で「脳脊髄液減少症」を発症。寝たきりから「復活」の兆しが…

娘が眠りから覚めた魔法の場所 ~ 脳脊髄液減少症の睡眠障害治療

その日は2月21日金曜日

心配だらけで娘を送り出した場所を訪れる日がとうとう来ました。

 

そこは、日本の標準時子午線の通る天文台を通過し、

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正面にトンビが悠々と舞うお城のある駅で降りて、

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バスに暫く乗って大通りのバス停で降りてから7分ほど歩き、身障者の職号訓練校やリハビリ施設の集合地区の始まりを告げるゲートをくぐり、

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受付から別館へ続く廊下の突き当りの一つ目のドアを通過し、

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いかにも「小児病棟」と言った感じの2つ目のドアを入って、

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エジプトのヒエログリフが一面に刻み込まれたエレベーターのドアが開くと

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そこに到着します。ロビーの向こうの病室に向かうと、

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娘は、脚丸出しで靴下も履かずにそこにいました。

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お腹の弱い娘が脚を出していると言う事は、すごく体調がいいサイン捉えられます。

 

一体なぜ5日間も連絡をしなかったのでしょうか?

 

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一体何が起こったのだろうか…?

 

以前は、どんなに眠らない努力をしても、眠ってしまい、どれほど起こそうと思っても、午後遅くまで起きられなかった娘。

 

昨年9月時点では、大好きなお祖母ちゃんのお葬式も、待合室で眠ったままいくら起こしても起きられない程のひどい状態でした。 

www.tomaclara.com

 

それから、昨年11月の福山でのブラッドパッチで、目に見えて睡眠時間が短くなり、覚醒に要する時間も短縮されていました。

 

しかし、同時に、夜の寝つきが極端に悪くなり、昼過ぎまで起きられなかったため、再び福山に入院して検査をした結果、RI脳槽シンチの残存率が23%と、髄液が依然として漏れている状態であるとわかり、ブラッドパッチをすることになりました。

それが、今年2月の初旬

 

その後、退院して様子を見ていても、変化は見られず、ブラッドパッチは上手くいかなかったのかもしれないと思い、術後2週間目で、どうせなら睡眠障害の治療にも乗り出すことにしたのです。

 

その入院が2月17日月曜日で、それから4回朝を迎えただけです。

 

一体何が起こったのでしょうか…

他の子供は6時に起きているのですが、娘は4日目で朝7時頃に目覚められるようになったのです。

 

寝るのは、9時の消灯後の10時くらいだそうです。起きてからそれまで、眠くなったり、うつらうつらすることはありますが、昼寝をしてしまっても巡回する看護師さんに30分以内に起こされるということです。

 

そして、娘がずっと連絡しなかったのは、「何も問題がなかったから」という事だそうです。娘のいない部屋を眺めておセンチになっていた母とはなんという違いでしょうか…

 

他の患者さんによると

 

このことに関して、いくつかメールを頂いたのですが、皆、「休みの日は泥のように昼すぎまで寝て居るが、仕事や学校があると目が覚めてしんどいながらも起きて行けていた」という経験をお持ちでした。でも、その状態では続かずに、その後ブラッドパッチをされています。

 

これは、まさに今の回復期の娘の状況に当てはまります。しかし、漏れが止まるならば、休日も自然に起きられるようになるのですが、現在は強制がないと起きられない状態です。おそらく、漏れはまだあるとは思うのですが、以前の昏睡睡眠、それに続く昨年11月までの、眠気や体調と闘いながら、「訪問授業」のみを何とか受けるために生きていたような日々に比べれば、隔世の感があります。

 

実は、本人もこの事は自覚していて、入院前にこう言っていたのです。

 

11月にブラッドパッチをしてからは明らかに違う。前は、全然起きられなかったけれど、今は何か起きなければならない事があれば起きられるようになってる感じだから!

 

しかし、そう言いながらも、実際は起きてきたことが皆無に近かったため、私は信じていませんでした。実際、RI残存率23%でしたから、起きられるとしても何かの強制があって無理をして起きるということだったと思います。

 

なので、「今の体調で強制があった場合、どのくらい早い時間に起きてどのくらいの時間を起きていられるか?」を見るために、この集団の中での様子を見られる環境に置くことにしたのです。

 

ここにいるのは楽しい!

あれだけ入院を決意するまでに葛藤があった娘です。当日までは、

検査が終わったら、2週間以内で絶対帰らせてな…

 

とむくれて言っていたのが、この日どう言ったと思いますか?

ここにいたら体調がいいし、同年代の友達沢山できたから、最低3週間はここにいさせてほしい!

 

のだそうです。こんなこと全くの想定外で、嬉しい悲鳴を上げそうになりました。

 

今、しんどいところとか、辛いことは何もないの?」との問いかけには、 

「そうやなぁ、便秘くらいかな…それと、検査で体育館に行けない事(卓球で遊びたい)」だそうです。

 

私の中では、「術後1か月はできるだけベッドで安静」と考えていましたが、無理のない程度に治療の範囲を広げてみたほうが、娘の場合、精神面には良いかもしれません。

 

術後3週間が経過する来週からは、毎日の散歩に加え、低温サウナに5分ほど入って昼間の深部体温を温めることを始めさせようと思います。

それで、異常がなければ、4週目からは、エアロバイクもできるかもしれません。

 

今回は、「守り」ではなく「体調を見ながらの攻め」のリハビリ期間を送らせてみます。

 

さらにびっくりした事ですが、私が苦労して持って行ったバイオリンと楽譜と楽譜代を持って、離れにある楽器練習室で弾きたいと言い出したのです!

家では、本当にたま~に5分~10分ほど軽く触るだけでしたが…エネルギーも沸いてきているようです。

 

ここでは1回30分だけ練習が許可されます。

練習風景、見ていてとても面白かったので、それについては次回に…

 

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 帰りの自宅近くの住吉川の風景が、今までとは違って見えました。

 

 

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