Friendshipは船と港 ~藤田くらら 小6でTOEIC980点までの軌跡~

小学6年でTOEIC980点を取った女の子のお話。中学1年での、学校体育時の事故が原因で「脳脊髄液減少症」を発症。寝たきりから「復活」の兆しが…

「心療内科に行かせて!」と、娘が言い出している…

学校生活は幾多の山を乗り越え、心理的ストレスもなく良い精神状態を保てる環境にやっとたどり着いたかと思ったのも束の間…

 

10月末のスポーツディでかつてのトラウマが蘇った娘

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それからと言うもの、今までは口にしなかったような感情の波を話してくれるようになった。娘によると、サインは出していなのに私がまったく聞いていなかったらしいが。

 

最近だと、

「いつも数学のgeometory(幾何) のクラスは、辛くなる。ものすごく不安になって泣きそうになってしまう」

 

ということらしい。他の授業ではそうでもないのだが、この時間だけだと言う。因みに先生は温厚で凄く良い方で「娘の事情」をよく理解して下さっている。

 

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 娘の不安感は単なる孤独感によるものではない

中学校に行けなかった二年間、不安感に苛まれていたのは夜だった。暗いと余計に不安になるので電気をつけたまま寝ていた。睡眠障害治療で入院中も本当は真っ暗にしないと治療効果が減退してしまうのに、事情を知る主治医の先生は常夜灯をつけさせてくれたらしい。

 

ほぼ3年前となる事故後から長い期間、引き潮のように波がサーッと引くが如く、娘の周りから人が消えてしまっていたのだが、2年経つ頃には徐々に暖かい交流も戻ってきて、それを傍で見ていた私は、娘の心の不安も徐々に消えると思っていた。

 

思うに、ある思い込みをしていたようだ。

 

娘の不安は全て、同年代の子供と中学校生活が送れなかった「孤独感」や「疎外感」に由来すると感じていた。

それなら、現在のように友達が普通に周りにいて笑いに囲まれた環境にあって不安が消えないわけはないではないか・・・

 

だとしたら、娘がここまで不安になるのは別の深い理由があるはずだ。それを具体的に書き並べることは不可能だと思うが、敢えて言及するならば…

 

例えば、自分が病気のせいで、できなくなった運動や、勉強の遅れなどが明確に目の前につきつけられる場面が多い環境に生きるようになったことはあるだろう。それは「社会復帰」をして健康な同年代の子供の中で生きるからには避けて通れないことだ。

 

2年後さえも見えない不安

 

また、将来一体どうなるのか、特にこの学校に来たことにより、2年後の進路はどうなるのだろういうような不安もあろう。

 

かつて高校までの道筋が、一寸先もわからぬ体調のまま流れ着くところに辿り着いた状態に今はいるが、この後、大学進学についてもどこまで体調が回復できるかで行き先は全く違っている。

 

娘は一貫して、海外に出て勉強したいと思っているのだ・・・

 

高校での給費留学はこんな健康状態では応募すらできなくなってしまっている。

 

そして、体調の改善がないなら、大学での留学も泡のように消える夢でしかない。

 

国内に行き場を求めるとしても、一人暮らしが無理だとして、近場のD大学は英語重視の入試なので、ここには入れるだろうか?と考えていたら、10月の面談で担任の先生はにこう仰った。

 

「ここは、うちの学校の沢山の生徒が志望しますが、よほど英語ができないと難しいです」

 

この言い方をどのように捉えたらいいのだろう?娘の英語力では不足なのだろうか?一応成績は目の前に置かれていたのだが、娘は先生の思う「よほど英語ができる生徒」に近いのだろうか、そうではないのだろうか?

 

私もがこの面談でちょっと不安になってしまったのだが、これは娘が気にするといけないので告げていない。

 

娘の周りの帰国の生徒たち(ハーフが多)は、もともとの人生設計も、海外へ出ることの容易さも全く違っていて、比較にも参考にもならないが、もう海外の進路先を具体的に考えていて(海外に「戻る」人も多)、それに向かった勉強をしている子がほとんど。

 

そういう、(娘の希望の海外留学については)この上なく恵まれた環境にあり、それを阻む健康上の理由もない友人たちが将来の夢を屈託なく語るのを娘はどんな気持ちで聞いているのだろうか?

(この3年間で、もう「自分は皆のように将来を語れない」状況には慣れっこになっているだろうが…)

 

いくら頑張って良い成績を取っていても、確固とした未来像が描けないもどかしさ…

この呪わしい病気と身体…

 

このような進路の不確定さは、娘にとっても不安の一部ではあるだろうが、しかしながらこれだけでは心療内科に行きたいと思うほど根深いものではないようにも感じる。

 

「心療内科に行かせてほしい」

 思えば、初めて娘がこういったのは、神戸での闘病中のことだった。なので、娘の心にずっと住み続けている不安は、やはり神戸時代からのものなのだ。

 

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 本当に色々あって、見たくもない人間社会の裏側の負の部分までしっかり体験してしまったのだから、それが脳裏から消えるまでは時間がかかっても当然かもしれない。

 

まさに、「語り尽くすのが不可能な暗く思い体験の総体」とでもいうべきものだろう。

 

敢えて、自然にして見守ろうと思っていたが、今一見幸せな状態にあるように見える娘が、SOSを出したことは事態はそれほど軽く見ないほうがよいかもしれない。

 

取り敢えず、心の問題の治療も脳脊髄液減少症と並行して行ってゆく時がきたと思う。

 

薬漬けにされないような児童精神科、もしくは診療内科。そして「民間治療」も視野に入れて、穏やかに解決に向かって進んでゆきたい。

 

 

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