帰国したことがいまだに正解かどうかわからない
たった1ヶ月だけ早めた帰国。だけど、もやもやが消えない。
何かに不安と焦りを感じている。
もうこう言う帰国はやめようと思う。
子供を産む前、そして深センに住んでいた頃は日本が一番良くて、帰国の度にホッとした。日本から来た人が、日本へ帰って行くことが羨ましかった。
でも、今はそもそも色々ありすぎて、のほほんと帰国したのとも違うしね。
日本に違和感もやっぱりあって、居心地がいいなんても思わなくなっちゃって。
「日本人も意外と親切だな」とか思うことが多い笑
海外生活が浅いときは「日本ならこうなのに」と思うことが多かった。
そして帰国する度に楽園についた気分になった。
でも、だんだんとそういった帰国を重ねるに連れて、海外滞在中に日本が美化されていることにも気づいた。
「日本のくせに、不親切だな」とか「日本面倒臭いな」と海外に出た時に感じやすい「日本万能説」は見事に崩れ去っていった。
海外生活も6、7年過ぎた頃からは、実にフラットに帰国するようになった。
なんの珍しさも、なんの楽しみもないような。
普通に実家に帰る嬉しさ、友達に会える嬉しさくらいになっていった。
あの時の、日本に帰れるだけのトキメキはどこへ行ったのだろう笑?
もう一度感じてみたいものである。
日本にいると香港の状況は、相変わらず掴めない。
一番大変だった時に、日本のニュースでは全く報道されていない、されていても隣国への忖度ばかりで呆れる報道に唖然としていたから。
めちゃめちゃになった街で、商店も早く閉まり、それでいてピリピリする催涙ガスの匂いが高層マンションの窓を閉めていても感じるようなところで、爆発音と破壊音が轟く夜。最前線の中継を動画で見ながら、お酒を飲み、真下で何が起きているか見ているような状況だった。
各方向に住む友人たちと見えるアングルが違うため、夜通し写真を送りながら情報を共有したりもした。
どれもこれも、怖くはなかったし、平常心だったんだけど。
こんな状況から早めに帰り、娘はいきなり幼稚園にも行けなくなった。
言葉も心配である。
私といると、英語を話してくることも多い。たまに広東語を一人で言ってみたりもしている。
頭がスカッとするような状態で楽しめていないんだけど、スケジュールはほぼ真っ黒である。
意外と充実はしている。
娘は、私が少し習っていた中国語の先生のところで個人レッスンを8回受けることになった。
1月の帰国まで。
中文老師のところに明日行くと言ったら嫌がっていたが、大陸系の幼稚園のお友達の名前を出して「○○ともっと遊べるようになるよ〜」と言ったら、他の普通話のお友達の名前も出して「え〜○○とも〜?」と笑顔になってくれた。
娘を説得しながら連れて行くぞー。
4歳、聞き分けがいいのか悪いのかわからんわ。
ものすごく楽ではあるものの、まだわがままは言う年齢よね。
そうなんだけど、イヤイヤ期でもない分、多めに見れない私。。。
あとは、夫と離れていることもキツイ。
早く家族で暮らしたいな〜。
娘も夜になるとパパーとメソメソするし。
もう少し毎日楽しんで暮らしたいものだ。。。