石ころ

世の終わりに備えて①(マルコ13章)

 

イエスが、宮から出て行かれるとき、弟子のひとりがイエスに言った。「先生。これはまあ、何とみごとな石でしょう。何とすばらしい建物でしょう。」
すると、イエスは彼に言われた。「この大きな建物を見ているのですか。石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」(1~2)

 

弟子は立派な神殿を見た時、神をほめたたえて、神の宮は永遠であると言いたかったのだろう。
しかし主は堅固な石造りの宮も、跡形もないほどに崩されると言われた。

それが崩されるに任されたのだ。もっと優れたご計画を持っておられたからである。

 

それは、もろい土の器であるキリスト者のうちに、何ものも手を触れることのできない、聖霊の宮を建てられるからである。これはまことに神のわざで、何事につけても、神のなさることはこのようである。

 

イエスがオリーブ山で宮に向かってすわっておられると、ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかにイエスに質問した。
「お話しください。いつ、そういうことが起こるのでしょう。また、それがみな実現するようなときには、どんな前兆があるのでしょう。」
そこで、イエスは彼らに話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。(3~5)

 

世の終わりに、サタンも悪霊も人を通して働く。キリストの御救いを受けた者が、それらに用いられることがありませんように。

私たちは神のことばが常に流れ出る器官である。いつもみことばに留まっているなら、人を惑わす者のように見えたとしても、世の終わりにも主に真実に居ることができる。

 

また、ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。私たちは人をだます者のように見えても、真実であり、(Ⅱコリント6:8)

 

わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、「私こそそれだ」と言って、多くの人を惑わすでしょう。(6)

 

贋キリストが大ぜい現れる時に、自分の信仰を守るためには、純粋なみことばをいつも食べていることである。聖霊の導きによって、キリストにみことばを聴いている者が、惑わされることはない。


なぜなら、キリストを昨日も今日も味わい、その味を知っているなら、偽物が入って来たときには、反射的に嘔吐するからである。それはみことばによって作られた体の作用なので、人の言葉を頼らず完全なのである。

 

また、戦争のことや戦争のうわさを聞いても、あわててはいけません。それは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。(7)

 

このうわさは、人に命の危険を予感させて心をかき乱すから、的確な判断が出来なくなってしまうのだ。
イエスさまが戦争が起こる事を知らせてくださっているのは、その時には、みことばを思い出して静まるためである。みことばはすべての知恵を与えて、闇の世の足のともし火、道の光であるから・・。

 

民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、ききんも起こるはずだからです。これらのことは、産みの苦しみの初めです。(8)

 

世の終わりのしるしを聴いている者は、それらが神の良きご計画による産みの苦しみと知っており、世の嵐の中で平安と感謝をもって主を待つことができる。みことばを抱きしめ祈りのうちに、キリストの訪れを待ち望むのである。

 

だが、あなたがたは、気をつけていなさい。人々は、あなたがたを議会に引き渡し、また、あなたがたは会堂でむち打たれ、また、わたしのゆえに、総督や王たちの前に立たされます。それは彼らに対してあかしをするためです。(9)

 

「気をつけていなさい」と言われているのは、それらが起こる事を何時も覚えていなさいである。
ゆえなく捕らえられ、辱めを受けて激しい責め言葉を聞く時も、弱り果てないためであり、騙されて自分を責めないためでもある。

 

こうして、福音がまずあらゆる民族に宣べ伝えられなければなりません。
彼らに捕らえられ、引き渡されたとき、何と言おうかなどと案じるには及びません。ただ、そのとき自分に示されることを、話しなさい。話すのはあなたがたではなく、聖霊です。(10~11)

 

その時は、主が準備されたキリスト者の晴れ舞台である。セリフは聖霊に導かれて、何時も聴いている言葉である。聴きなれた言葉を語るのだから、聴衆が王であろうと裁判官であろうと恐れることは無いのだ。
主に在って、ステパノ役を演じるように、しっかり立って御用を果たさせてくださるだろう。

 

今もまず、みことばがすべての人に伝えられる必要のために、主が備えてくださったあらゆる機会に、イエスさまのことばを恥じることなく、また、自分自身をも恥じることなく、主に聴いたことばをそのままに、何も差し引かず何も付け足さないで語るのである。
その時、耳はもう「よくやった良い忠実なしもべだ」という御声を聞いているのである。


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