新令和日本史編纂所

従来の俗説になじまれている向きには、このブログに書かれている様々な歴史上の記事を珍しがり、読んで驚かれるだろう。

坊主丸儲け

2019-09-15 16:18:36 | 新日本意外史 古代から現代まで
 

ここ2ヶ月の間、近親者等の法事が6回もあった。会社勤めの頃は地元不在が多く、家人代理で済ませていたが、
 退職後事業を立ち上げてからは、そうもいかず、全部出席した。
人は多くても寒寒した葬儀、「親子は泣き拠り」と謂う如く、悲しみの中にもシットリと肉親の情が溢れる葬儀と様々だった。
そして、通夜の後に必ず行われるセレモニーで、変わり映えのしない坊主の「説教」には毎度のことながら辟易させられた。
仏教の歴史を自派に都合よく歪曲し、宣伝臭ぷんぷんの有難い?下手糞な説教を30分も唸られては、「コヤツ、質問しておたおたさせたろか」と何度思ったか。
 日頃から末香臭い所が大嫌いな私は一瞬、狂暴な気にさせられる。
これも私の体内に沸々と流れ脈打つ日本原住民の怨念と反骨精神のゆえだろう。
元来日本人は仏教など全く無縁の民族だった。
それが中国勢力が日本に入って来た時、強制的に仏教信仰と漢字使用を命じた時から始まる。
それまでの日本人は自然崇拝で、拝火教、拝水教、山を恐れ敬う白山信仰などだった。
原住民は強制仏教を嫌い、形を変えながらあくまで己の宗教を捨てずに抵抗した者たちは、明治までは人口の七割は居たのである。
だから日本史の大きな側面はヨーロッパと同じように、宗教戦争と捉えるべきなのである。
神と仏は「太古、物部と曽我の争いから、壬申の乱、信長時代から秀吉の天正十一年合祀令。
家康の神仏判別令、綱吉による神仏混合令と続き、明治になって廃仏毀釈」と目まぐるしく変遷している。
同じ宗教と言っても仏信心と神道派は、互いに血みどろになって争い続けていたのである。

さて、言い回しと言うのは、うっかり聴いても納得してもいけない。例えばである。「日本は法治国家である」という。
だから「そうか。我々は法治国家の国民ゆえ、お上の法律によって守り助けてもらえるのだ」と、安心している人は幸せである。
しかしよく頭を冷やして考えてみると、これがまた全然逆なのである。六法全書を読んでも、民法にしろ刑法にしても、
これことごとく全条にわたって厳しくも冷酷に皆「何々をしたりなさねば何条によってこれこれの刑罰に処する」との罰則だけの羅列である。
国民を守ってくれる法というのは、憲法の中にある言論の自由だけと言っても過言ではない。
  しかし、ある作家は旧徳川公爵家の出自や、生類憐れみの令の真実を読売新聞に随筆として書いたら大変な目にあったという。こうなればこれとても怪しくなる。
さて、日本人には無宗教が多いとはよく言われる。私も何も信心はしていない。知人や友人も似たり寄ったりで適当なもんである。
 日本人は生まれる前は安産祈願の水天宮。七五三はお宮詣り。受験合格祈願は天神様。免許証をとると交通安全の成田山。結婚式は教会が流行。
 暮れになるとジングルベルと馬鹿騒ぎはキリスト国より騒がしく、信者でもないのにクリスマスケーキを誰もが求める。
 死ねば葬儀屋が伴ってくる坊さんでこれは仏教。全く無節操極まりなく地球上こんな国はどこにも無い。
「ひとつの民族とは、ひとつの宗教を持つ者らの集合体である」これが世界の常識である。
しかし大和民族単一説の日本ならば、皆が同一宗教同一信仰であるべきなのに、実態は仏教神道、天理教、創価学会、大本教からPL教と数えきれぬ程多くあり、無信心者も多い。
テレビでも「神仏に縋って」とか「神仏を拝して」と神と仏をごっちゃにしている。
そして今は神の方は「初詣」の対象だけだし、仏教は京都の拝観停止騒動を見ても、信心より銭儲けの現世利益が主である。
近頃は檀家も減り、寺の上りも少なくなったので、広い境内に駐車場や、酷いのはラブホテルまで建てて儲けている始末である。
 さて、私は子供の時から「殺生禁断」とか「葷酒不許入門」の標識が立っている禅寺の傍で育ったのだが、そこの住職はニンニクの味噌漬けやニラを肴に庫裡でいつも酒をよく飲んでいたのを覚えている。
殺生した牛肉のスキヤキも食べていた。
標石は建前だけで、寺の本音は全然違うのだと想っている。
だから、「三つ子の魂百までも」というように、子供の頃に坊主の内実を見て育った私は、こんな嘘つき生臭坊主の「説教」など片腹痛くてちゃんちゃら可笑しいのである。





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