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「×こういうのを読みたい(未来形)」「◎これが読みたかった(過去形)」

エッセイ

 「カクヨム」で毎日書いている「徒然」に書いた記事をがっつり手直しして掲載します。元記事はこちら↓

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 「書きたいことを書くんじゃなくて、読者を考えて書け」と言われたりしますよね。つまり、「書きたいこと≠読者の求めるもの」だからNGで、「読者の求めるものを書く」のが正義、みたいな論調。これって、なんだか善悪二元論みたいな感じがしています。

 実際のところ「善悪二元論」なんてものは成立してなくて、そんなものが成立してると頑なに思っている人は、それは一種のパラノイアだと思います。それと同じじゃないかなと思ったんですね、この論調。

「書きたいこと」と「読者の求めるもの」ってのは、あまりに雑なカテゴライズで、その上それを比較することについては、「メートル」と「グラム」を比べてるみたいなナンセンスさを覚えたわけです。

「読みたいか否か」は後付けの話

 読者ってのは確かに「読みたいものを読む」性質があります。学校の課題でもない限り、読みたくない本なんて読まないですよね。だから、義務ではない限り、「読者=読みたいものを読む人」という認識は間違いなく正しい。ただし「読みたいもの」という定義が広すぎて良くないのです。「読みたいもの」が先行して決まってる人なんていないと思うんです。特にWEB小説に於いては。

 その作品が、読者にとっての「読みたいもの」に「なる」か「ならない」かという話なんです。

 そもそもが「読者が読みたいもの」ってのはせいぜい決まっていて「大ジャンル」くらいだと思うんですよ。たとえばガチガチの「SF」好きが「恋愛」のランキングを見るかというと確率は低いですよね(※この辺、ジャンル嗜好の相関関係はあるかもしれないけど、仮にそういうことにしておきます)

 でも、基本的には、

  1. 興味を引かれる→アクセスする
  2. あらすじ・キャッチを見る→「この作品、行けるかな?」と思う
  3. 第一話を読んでみる→継続するか判断する

 ……という3プロセスを経て、その作品を「読みたい」か「読みたくない」かに分類すると思うんですよ。

 では、1.~3.をそれぞれ見てみましょう。

1.興味を引かれる→アクセスする

 「新着・更新時のタイトル表示」「SNSでの宣伝」「口コミ」「レビュー」「投稿サイトのピックアップ」「ランキング」……ざっと思いつくだけでこれだけ作品へのアクセス方法(入り口)があります。この時点で九割くらいが淘汰されます、多分。ここで大切なのは「タイトル」。または簡単な紹介文。御存知の通り、レビューや口コミなど、第三者によるものは波及効果が大きいです。SNSに於いては、読者(候補者)との交流もあったほうが確率は上がります。

2.あらすじ・キャッチを見る→「この作品、行けるかな?」と思う

 これはひと目見た時の印象ですね。作者読みされる場合は、このプロセスはほぼカットされます。これは「初めて接する作家」の「実力」を推し量る、「作品への興味」が湧くかのチェックなどのプロセスです。ですから「キャッチコピー」や「あらすじ」は大切になります。「後で読んでみるか」に分類されると、この時点で作品フォロー(小説家になろうなどなら「ブクマ」)がされることになります。ここで 1. を突破した人からさらに半減するかな。宣伝を目にした人の95%はここまでのプロセスで脱落すると思うと精神状態は安定するかもしれません。実際の所、宣伝等々で20人に1人が読みに来てくれたら大成功ですから、実際はもっと少ないと思います。ここは数の出しようがないので何となくの感じで

3.第一話を読んでみる→継続するか判断する

 第一話――誰もが何となく認識していますが、これがすごく重要です。多くの場合、1~3話くらいで切られます。それはどんな作品であっても同じです。書籍と違って財布が傷まない分、所有の心理も働かず、あっさりばっさり切られます。このあたりの心理は認知バイアスを学べば分かりやすいかも(ググってみるだけでもぜひ)

 実際に私の場合も、私の作品のPVを見てみても、作品を切る(読むのをやめる)時は第一話が大半ですね。これが曲者で「第一話を全部読んで切る」人はあまりいないんですよ。「第一話の数行で切る」んです。ここ間違わないように。PVは「そのページを全部見た人」ではなくて、「そのページにアクセスした人の数」にすぎません

 この時点で注意すべきは、読者は「文章が読みやすいか=自分の肌に合うか」「キャラはどんな感じで描写されるのか」「どんな作品なんだろう」などなどについて、「(極めて)懐疑的な目線」で見ているということです。この時点で作者の世界に入り込む人はまずいない。一発目の印象なので、改行のセンスや漢字の密度、句読点の使い方、記号の頻度など、「パッと目に入るもの」がすごく重要になります。言われてみれば当たり前なプロセスですが、人は文章を「読む」前に「画面を見る」からです。

 中には化け物みたいな実力の作家がいて、「いきなり来るか!」と最初の三行で「この作品は最後までついていける」と確信させられることもあります。作家ならばぜひこの領域を目指したいものですが、とりあえず、WEB小説の読者は書店の立ち読みの人よりは優しいので、1~3話くらいまでは猶予があることが多いかな。実はここはWEB小説のほうが有利だと思っています。

 書籍だと、私は背表紙にある「あらすじ」的なもので興味を持ったとしても、最初の半ページでだいたい判定する。だいたい原稿用紙1枚分くらいで買うかどうか判定するんじゃないかな。WEB小説だとその3~5倍(2,000文字くらい)は猶予があるかなという感じです、心理的に。でも「これは行ける」と確信してもらうのは一文字でも早いほうがいいわけですから、WEB小説でも冒頭400文字を目安に工夫をこらすのはありかもしれませんね。失速しなければ。

「読者がこれが読みたいものだった」と思うのは常に作品に触れた後

 で、最初に戻るわけですが。

 全く馴染みのないジャンルだろうがなんだろうが、1. で流入さえしてくれれば、後は作家の実力次第で「その作品」=「読者の読みたいもの」になるわけです。「読者の読みたいもの」が先に明確に存在していることはないのです。常に過去形。「そうそう、こういうのが読みたかった!」と思うあの現象です。また、「百合が好きだから百合を読みたい」ということはあっても、「AとBがああしてこうしてCが出てきてこうなって」とかを読みたい……と具体化できる人はいませんし、できるならその人が書いてるはずです。ここ、多くの人が誤解してる気がするなぁ。

 だから「タイトル」や「宣伝」で目を引くことももちろん大事です。流入の第一関門ですから。でも、ここで「読者がこういうのを読みたいんだろ?」っていう推測は成り立たない気がするんですよね。読者が「え、こうくるの? どういうのだろ?」ってなるのを創るのが正解という気がします。

 逆に「タイトル」で興味を引こうとすると「冷めてしまう」人もいます(※私とか)。なので一長一短だと思うんですよね、タイトル大喜利は。たとえば漢字四文字で頑なに攻めたって、勝てる人は勝てる。二文字でも勝てる人は勝てるでしょう。読者がついてそこからのレビューなどが呼び水になれば、いきなり 1.~3. をカットして読者になってくれたりするわけです。から、「短期的な受け」「初期からの爆発」を狙わない限り、実はタイトルってそんなに重要じゃないかな?って気がしました。

 むしろ重要なのは 3. までしっかり吟味した上で、1. に還元してくれる素晴らしい「読者」を確保することかなと。こうなってくれた読者さんは、素晴らしい「第三者」になってくれます。作家読みしてくれるような人たちはまさにこれですね。こういう方がついてくれれば、作家の作品は延々(コケない限り) 1. を広く保てますし、何なら 2. くらいのプロセスはカットできます。

 作家・作品にとって重要なのは、1.~3. のプロセスを理解することだと思うのです。1. だけじゃいわば「出落ち」です。そこを考える暇があるなら2.~3. に力を入れたほうが良い。1. はその次じゃないかな? 創るプロセスとしては3. → 2. → 1. じゃないかな? と思う次第です。1. だけ力を入れても一発屋にしかなれないです。読者はアホじゃない。むしろ 3. をクリアするまでは冷徹な批評家であることが多いです。

 「1. へぇ、面白そうなタイトルだな」→「2. あらすじ、なるほどね。まぁ読んでみるか」→「3. なんだかよくわからないな」→終了、となるパターンが大半なんじゃないかなぁ。いわば「一話切り」ですね。もったいない。3. まで来てくれる人は、多く見積もっても入り口前まで来た人の5%だと思ったほうが良いわけであって(実際は1%かもしれない)、その人を「一話切り」させてしまうのはあまりにもったいない。

 だからこそ、3. が大事。その作品を「その人の読みたい作品」リストに追加するためには、3. が一番大事なんだと思うんですね。ここまで来てなお読み進めてくれた人の何%か(つまりものすごく少ない)が、素晴らしい「第三者」になってくれる(かもしれない) 1. の勢いで最後まで読ませる人もいます。それも結局 2. と 3. のプロセスがきちっと作られているから。1. と 2. だけに腐心する人もいますが、そこの勢いだけで 3. を突破できるほど、読者を侮ってはいけないわけですよ。3. を確実に突破させる、それこそが文章力であり構成力であり……というと誤解を招くので一言「読みやすさ」なんですよ。3. にこそ一番力をいれれば、後は一部の選ばれし読者さんが然るべき手段で拡散してくれる。1. 2. の成果は後からついてくる。

 ですから、「作家は書きたいものを書いて良い」んですよ。ことプロでなければ。ニーズはそこにあるものじゃなくて、作家(あるいは創作物)が作るものです。ただし、しっかりと 3. ができなければ、せいぜいよくて「一発屋」、最悪「出落ちの人」になる。1. と 2. だけを磨くのは、所詮小手先なんですね。さっきも書きましたが、3. → 2. → 1. の順序なのです、力を入れるべきなのは。

 という感じです。

 以上、「どうしたら第一話を読まれるか」だけを考えず、「どうしたら一話切りされないのか」を考えるのを最優先にしてみたら如何でしょうかというお話でした。「読者の『読みたい』は、作者の『作品の後』についてくる」のです。趣味や趣向に合うかどうか、というのは、実は常に過去形なんです。

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