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#カクヨムコン5 の #読者選考 について

私はカクヨムプレオープン勢なので、「カクヨムコン」には全て参加しています。皆勤賞です。ついでに言えば一度も受賞歴はありません! いや、カクヨムコンに限らず全てで落選していますが!

さて5回目である今回は、新作・既存作で他に応募していないものは全部ぶち込んでいく予定でいます。実際にどれとどれをどこにエントリーするかはまだ決定はしていませんが、可能な限り。年明けに色々他のコンテストや公募もあったりしますが、まずは目先のものに全力で取り掛かりますし、魅力的なコンテストがあれば新たに書きます。(10作同時プロジェクトで途中の作品もいっぱいあるし!)

「読者選考」がおかしいワケ

モヤっとしますよね

毎回全力なので、その結果に後悔はないんですが、いつもモヤっとするのが「読者選考」の存在。「読者選考」はカクヨムコンの第一回目からずーっと見てきていますが、あれは正直「」です。私自身、明らかに間違いなく編集部拾い上げで通過したこともありますが、編集部も全作品なんて見ているはずがない。見ているとすればそもそも「読者選考」はやらないと思うんですね。何かの数値のフィルタリングで上手いこと残ったものをサンプリングしてチェックする……合理性を考えればこうなると思います。そこまで潤沢に人がいるわけでもないでしょうし、応募総数も毎回ヤバいし。

もう一つの可能性としては「編集部は全部読む。読者選考が拾い上げ対象だ」という場合ですが、実際の所結果を見るにその希望はあまりなさそう。あるいは編集部の拾い上げ枠がとっても小さいか。

そういうところにモヤっとしています。

バイアスがかかる選考に公平性があるわけがない

実際のところ、認知バイアスの「バンドワゴン効果」とか、経済学の「収穫逓増の法則」とか知っていれば、「ランキングを提示した読者選考」なんてありえない仕組みなんです。どっちも大学行ってれば知ってる程度の言葉です。ランキングを見せられたら、読者はそりゃハイランクの作品に群がります。面白さが(ある程度)担保されているからです。そして★の数は読了者の数に比例します。なので、ランキング上位に一度も入れなかった作品は「読了されることさえ無く」終わります。これは現実です。実際に本ブログの過去記事でも調べていますが、★0の長編(8万文字~)作品なんてゴロゴロあります。わざわざランキング下位作品を掘り起こしてくれるスコッパーは、応募総数に対して絶対的に足りません。なので、「ランキング(およびそれを決める要素)」が公開されていると、「公平な読者選考」は機能しないんです。

「ランキングが提示されない状態(できれば★もPVも♥も非表示)」での読者選考ならアリだと思います。バイアスのかかる余地がないので、せいぜいが「セルフプロデュース能力の差」で落ち着くことになる。今だと「序盤に人気が出たらそのまま雪だるま式に★が増える」状態なので、全く公平じゃないんですね。これが、コンテスト期間中、そういった「読者側に影響を与えるスコアの類」が全ての作品に於いて全く非表示になっていれば、バイアスがどうのとかスタートダッシュ組が有利とか、そんなバカな所で差がつくことはないはずなのです。読者選考は読者によってより慎重に行われることになります。という提言は何度もしてるんですが、KADOKAWAさん聞いてくれませんね。せめて「ランキング表示」だけは行わないことを祈りたい所。ランダムで参加作品をトップに表示して、ランキングを停止。これだけでもかなりバイアスは減ると思うんですけどね。

運営にはいい加減学習してもらいたい

楽なんでしょうね、「読者選考」という仕組みは。バイアスがかかるとはいえ、ある程度の人気作品は労せずに探すことができるという意味で。で、ガンガン色んな作品を刊行して人気が出なければ終了。ざっくり言えば「作家を使い捨てる仕組み」だと言うこともできます。消耗品扱いなんですよ。実際はどうかともかくとして、私はそう思って見ている。出版社のフォローアップの気配もありませんし(Tweet垂れ流す程度の広報なら、私だってやっている) 出版社の腕力をふるった宣伝なんて、ついぞ見かけません。それとも札幌ではやらないだけか? オンライン広告でもろくに見かけませんが。

しかし、最初の数年はチャレンジングな期間ではあるから良しとしても、さすがに「カクヨムコン5」、つまり「5回目」ではしっかり現状の問題分析をして、対応策を打っていただきたい。あるいはみんなが驚くような読者選考の仕組みを打ち出して欲しい。失敗してもいいから。さもなくばPDCAサイクルが、PDDDDDDDD…でエラー吐いて終わってるだけの、言ってしまえばオワコン化しているってことになってしまいます。私はカクヨムには希望を持っています。なので、ぜひ、変化進化を恐れずに、新しい方法論をぶち上げてみてほしいと願っています。

出版社こそが感性鋭く変化すべき

さすがに5年間何も変わらない・変えられないってのは、この時代に生きるにしては、あまりにも感性が鈍い。出版社の感性が鈍いっていうことは、小説だって鈍くなるっていうこと。というか、「ハズレ」が出やすくなるということ。そうなると「小説おもしろくねー」論者がドヤ顔して跋扈するようになり、我々小説家志望の肩身は狭くなり、新たに希望を持ってこの世界に参入してくる人が減り、結果、小説という文化は駆逐される。娯楽は他にもたくさんありますからね。

「小説? ああ、あの漫画(や映画)の元になったやつね」と言われるようになったら終わりです。小説の市民権は他メディアの餌にまで下がります。小説は小説としてのアイデンティティを維持しなければならないのに、現状の出版社(特に大手)の動きの鈍さ、頭のカタさ、舵取りの下手さ、IT理解の浅さ、そういうものを見ていると頭が痛いです。誰よりも先鋭的で創造的でなければならないのが、「小説の出版社」だと思いますよ、私は。ということは、誰よりも何よりも先に新しいことを打ち出せなければならないわけです。それができてない。二番じゃダメなんですよ。

そんなことを強く思いつつ。

そんな私は新作4作目が一週間以上止まっている。カクヨムコン5スタートまであと12日。残り85000文字くらい。これともう一作、まぁ、期間中にはなんとかできるでしょう(と思いたい)

「読者選考」について何となくでも「そうだよな」って思った人は、ぜひこの記事を拡散してくださいね~(直球)

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