歴史とドラマをめぐる冒険

大河ドラマ・歴史小説・歴史の本などを中心に、色々書きます。
ただの歴史ファンです。

麒麟がくる・隠されたメッセージ・屹立するエンタメ性

2020-09-21 | 麒麟がくる
「隠された」とかいう意味ありげな言葉は嫌いなのですが、他に適当な言葉が浮かびません。

大河ドラマは公共放送が放映しています。あまり明確なメッセージを出すと批判が起きます。「平和は大事」とか「家族は大事」とか「ほぼ批判がでない」メッセージならいいのです。しかし無理なものもあります。例えば「風と雲と虹と」には、当時の世相を反映して「おおやけ(公=政府)が何をしてくれる。腐っている。」とかいうセリフが多用されます。いろんな人が言うのです。かぶせてくる。あれを今やると、批判が出るような気がします。

「麒麟がくる」には「隠されたメッセージ」があるように思えてきました。その具体的内容はここではまだ自信がなくて書けないのですが(笑)

「麒麟がくる」はエンタメ作品です。そこに社会的メッセージを組み込む。それは簡単ではありません。

そこでウルトラセブンの話になるのです。「麒麟がくる」では、幾たびか題名が利用されています。怪獣ものというエンタメ作品でありながら、メッセージ性を持っている。しかもそのメッセージは、「隠れてはいない」ものの、小学校低学年では分からない。後になって「ああ、そういうことだったのか」と気が付く。

見ている時は明確に分からなくても、後になって分かる。いや後になって分からなくても、無意識に訴えかける。そういう構造を持った作品なんじゃないかという気がしてきました。

すると私の中では、あの主人公のあり方。多くの人が「どうしてこうなんだろう、もっと活躍させてあげればいいのに」と思うあの十兵衛のあり方が読み解けるような気がするのです。時代に対するメッセージがそこには「隠されている」かも知れないと「妄想?」するのです。

見ている人の多くが「面白い」という。屹立しているのはエンタメ性です。美しい映像、美しいシーン。しかしその背後に脚本家のメッセージを感じます。

「戦は残酷だ」とか「家族は大事だ」とか「光秀は純粋な男だ」とか、そういうものとは違っています。

何やら意味ありげに書いて、それが何かを書かない。まことにひどい文章ですが、今日はここまでにします。

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