歴史とドラマをめぐる冒険

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永禄の変の目的・将軍足利義輝の死・加筆前提

2020-09-23 | 麒麟がくる
私が永禄の変、私の中では「義輝暗殺事件」ですが、それについて書くのは、1年ぐらい早い。今まで考えてこなかったのですから、1年ぐらいしないと書けません。でも私は「無鉄砲」なので、しかもこのブログの読者はあまりいないので、まあいいかと思って書いてみます。加筆前提です。松永さん、三好さん、近衛さんなどを調べて加筆します。

1、三好は、義輝が邪魔であった。三好長慶らの死によってそれが顕在化した。

三好とは、普通は当主三好義継、松永久通、三好三人衆、そして松永久秀を指します。が、ドラマでも一部学説でも松永久秀の関与は少ないとされています、少ないであって「全くない」ではない。共犯、黙認、教唆、示唆、あるいは抑制。ここの結論はでていない、「出ている」という人もいるけど、出ていないと思います。

2、なぜ邪魔かというと義輝が「なまじ気概がある将軍であった」から。

剣術などという当時は将軍がやるべきではなかったスポーツが大好きなわけです。体育会系かなと想像できます。なまじ気概があります。
そして「遠国」と外交をするのです。畿内での権威は衰退していましが、遠国は田舎ですから、まだ通用するわけです。正規幕府官僚以外を使って外交したようです。近衛家がその代表各です。

3、結果として金が入った。将軍御所を軍事要塞化しようとしていた。

さて、私の話の元を素直に話しますと東大准教授の黒嶋敏氏「天下人と二人の将軍」だけと言ってもいい。そこで黒嶋氏は義輝御所が「相当スゴイぞ」と書いているわけです。鉄砲を備え馬を備え、城郭というべきものであった。それが完成間近でした。将軍権威とある程度の軍事力がある場合、どの程度の実力になるのかは分かりませんが、「三好」にとってはそれなりの脅威だったのでしょう。

4、そこで誰かが義輝を殺して、義栄(よしひで)を将軍にしようとした。

誰かとは上記の「三好」の誰かです。私は「わざと」松永久秀だと思っています。最近は久秀ではないという論が多いから、松永久秀だと考えることによって「論争的思考が可能」となり、まあ、そっちの方が面白いわけです。思考実験ですね。

今のところの論拠は、息子の久通の処遇です。久秀と久通の協力関係は「義輝殺害事件」のあとも続きます。

ウィキには将軍の系統に決着をつけようとしたという考えも書いてあります。これも宿題です。
これも宿題として後送りです。

今のところの結論は「義輝がなまじ気概をもって生まれてしまったから」です。のちのち加筆、訂正します。


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