ミャスコフスキー 交響曲第6番 27曲もの交響曲を残した作曲家の出世作 | クラシック音楽と読書の日記 クリスタルウインド

クラシック音楽と読書の日記 クリスタルウインド

クラシック音楽を中心にした好きな音楽と読書感想、日々の雑感などを思いつくまま気まぐれに書き綴ります

ニコライ・ヤコヴレヴィチ・ミャスコフスキー 交響曲第6番 変ホ短調 作品23 指揮:キリル・ペトローヴィチ・コンドラシン モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団 (モスクワ国立フィルハーモニック・アカデミー交響楽団) ロシア国立アカデミー合唱団 録音:1959年

 

昨日に続き、ロシアの、と言うかこの人はソ連の作曲家と言うべきなのかも知れませんね。

 

ニコライ・ミャスコフスキー。1950年に亡くなるまでなんと27曲もの交響曲を残した作曲家です。

 

これも何となくYoutubeを見ているうちに見つけたキリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団による交響曲第6番の演奏を聴いてみました。

 

この交響曲第6番はミャスコフスキーの作品の中でも一番規模が大きく第4楽章には合唱が使われています。演奏時間も70分にもなる作品です。

 

昨日のカリンニコフがチャイコフスキーの延長線上に現れた作曲家だとすると、ミャスコフスキーは現代音楽の匂いもちらついているようで何かショスタコービッチへ繋がっていくものを感じさせるような存在だと思いました。

 

ロシア的なメロディと現代音楽的なものがせめぎ合っているような感じがありなかなか面白い作品でした。とくに最終楽章の合唱はあまり長くはありませんでしたが印象的です。最初に女声が聞こえた時はもの凄く新鮮な感じがしました。

 

コンドラシンとモスクワ・フィルハーモニーも厳しく引き締まった魅力的な演奏を聴かせてくれています。


「ニコライ・ヤコヴレヴィチ・ミャスコフスキー(ロシア語: Николай Яковлевич Мясковский, ラテン文字転写: Nikolai Yakovlevich Myaskovskii, 1881年4月20日(ユリウス暦では4月8日) - 1950年8月8日)は、ロシアの作曲家である。ベートーヴェン以降の作曲家としてはきわめて異例の27曲もの交響曲を作曲したことで有名。これらの作品は最近まであまり日の目を見ることは無かったが、近年再評価が進んでいる。」(Wikipedia ニコライ・ミャスコフスキー より)

「交響曲第6番変ホ短調作品23は、ニコライ・ミャスコフスキーが1921年から1923年にかけて作曲した交響曲。ミャスコフスキーの27曲に及ぶ交響曲の中でも最長の作品で、70分を要する。また唯一、合唱を終楽章に用いた点も特色である。内容的には、ソ連において社会主義リアリズム路線に添う形で創作された交響曲の最初期のものといえる。
初演は1924年5月4日、モスクワのボリショイ劇場で、ニコライ・ゴロヴァノフの指揮により行われた。
ミャスコフスキーは1947年に改訂を行い、合唱を任意とした。」(Wikipedia 交響曲第6番 (ミャスコフスキー) より)
 

 

キリル・コンドラシン/Kirill Kondrashin The Collection

 

 

ミャスコフスキーの再評価のきっかけになったのは、スヴェトラーノフによる交響曲全集の発売だったようです。

 

 

Miaskovsky: Complete Symphonies

20世紀に活躍した作曲家でありながら27に及ぶ交響曲を作曲したことで知られるニコライ・ヤコヴレヴィチ・ミャスコフスキー(ミヤスコフスキー)は、1881年に生まれ1950年に亡くなったロシア/ソビエトの作曲家。
 幼少から音楽の道を志してはいたものの、軍人の家庭に生まれたために軍務が優先され、音楽院に入学したのは25歳になってからというミャスコフスキーですが、このとき知り合ったプロコフィエフとは、共作などを通じて親交を深め、その関係は生涯にわたって維持されました。  長年モスクワ音楽院の教授を務めたミャスコフスキーですが、作風の変遷には大きなものがあり、交響曲にしても、聴きやすさを基調にはしているものの、中には実験的で前衛的な要素や、民俗的な要素が認められるものもあり、また、シンプルで古典的なもの、合唱を交えた大掛かりなものから、ブラスバンドのためのものまで多彩をきわめているのが特徴。往年の名指揮者ニコライ・マルコによると、奇数番号の交響曲は瞑想的でペシミスティックな情感を湛えるものが多く、偶数番号の交響曲は、大衆のために作曲しているとミャスコフスキー本人が語っていたということです。  これだけの数の交響曲をまとめてレコーディングしたのはスヴェトラーノフただひとり。(Amazon 商品の説明 より)