バーンスタイン/ベルリン・フィル「マーラー交響曲第9番」巨匠とベルリンフィルの一期一会の邂逅 | クラシック音楽と読書の日記 クリスタルウインド

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今日はバーンスタイン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のマーラー交響曲第9番を聴こうと思います。

何度も書いていますが私はマーラーが苦手です。
ブルックナーは大好きなのですが、マーラーとなるとなかなか手が伸びません。


そう言えば、評価の高いバーンスタインのグラモフォンでレコーディングしたマーラーのシンフォニーもほとんど聴いていませんでした。(一応若い頃のソニーの全集は持っていますし一通りは聴いています。)このベルリンフィルとの9番だけは聴いてみなければとずっと思っていたのです。

数日前バーンスタインについて色々インターネットの記事などを読んでいるうちに、1978年にフェリシア夫人が亡くなってから、その死に自らの罪責を感じ深く悩んでいたと言うような記事を見かけました。80年代あたりから演奏のテンポが遅くなったのはそれも関係しているのではないか、と言うような話だったようですが、その辺のことについて興味がわき「フェリシア・バーンスタイン」で検索してみたところ、下記の「論文」を見つけました。なかなか興味深い内容ではあります。

(リンクをクリックするとPDFファイルがダウンロードされます。)
レナー ド・バー ンスタイ ンにおける中年期危機とその後の音楽活動

「1976年から1年近くバーンスタインは、妻のフェリシアと別居し男性の愛人と暮 らしていたが、その別居中に発症したと思われる肺癌のため、1978年フェリシアは死去した。」(上記PDFより引用)

以前読んだ現代の音楽家に関する雑誌の記事の中でバーンスタインについて「現代のアメリカ人が持っている悩みを一身に体現した・・・」と言うような表現をしている評論家の文章が頭の片隅に残っていましたが、なるほどという感じです。

表面的には華やかな世界にいながら大きな矛盾と深い悩みを抱えていた。そして夫人の死。彼女の死によってさらに自分を責め悲しみは大きなものになって・・・


夫人が亡くなったのが1978年6月。バーンスタインはそれから数ヶ月にわたって仕事から遠ざかり表舞台に姿を現さなかったようです。


ベルリンフィルとの一期一会の邂逅、マーラーの交響曲第9番が演奏されたのは1979年10月でした。演奏会実現までのいきさつと言い、時期と言い、曲と言いこの演奏が普通では終わらないという感じはプンプンしますね。

さて、聴いてみましょうか。

 

 

凄まじい演奏です。

歴史的な記録としても、これはずっと残さなければならない録音だと思います。

 

マーラー:交響曲第9番

これぞ一期一会!意外にもレナード・バーンスタインがベルリン・フィルを指揮したのは本盤の1979年10月4日と5日のマーラー第9のみ。当時の楽壇で帝王カラヤンと双璧をなしたバーンスタインの情熱溢れる指揮でベルリン・フィルが熱く燃えた伝説のライヴとして名高い名盤。

 

 

11月19日出版予定です。

 

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